No.44 信州編      日本を走る ←No43大島編No45九州編→
旅行期間 1985年4月27日〜1985年5月6日 旅行日数:9日間
総走行距離 984km
走破市町村 31
同行者 (W辺・S井・K野) 使用自転車:OP
総費用 11,201円 当時の年齢:21歳(大学4年)
初日 1985年4月27日
走行区間 桐生市塚本家〜入広瀬村入広瀬駅
走行距離 168km
走破市町村 3(広神,守門,入広瀬)
累計数 1,326
 今夜、旅に出た私の部屋に信州ツーリングをするS井が泊まるので、彼用に寝床を調えてから早朝に出発する。大間々から大胡を抜け渋川で夜明けを迎える。17号線で北上し猿ヶ京からの三国峠越えに力を入れていたら突然破断音とともにペダルが停止。降りて確認してみると前ギヤのインナーの40Tが折れている!アウターは56Tなのでそれでは重くてとても登れない。幸い峠まで残り僅かだったので押して登り、新潟側に降りて部品を探すことにする。
 湯沢に到着したのがまだ朝9時前なので店も開いていない上に個人商店ばかりである。部品も特殊なので比較的大きな店でなければ対応できないと思い壊れた自転車のままで北上を続ける。六日町の自転車に午前9時半に到着し、聞いてみると40Tの在庫は有るが、取り付けボルトが無いので問屋から取る、と言い連絡してくれる。せっかく早朝出発をしてきたのだが、ここで『少し』待つ事にする。天気も良くなり上越国境の山々も綺麗に見える。
 少し・・・待つうちに昼を回り、午後3時を回った所で問屋にも在庫がないことが判明。応急の部品による仮留めの状況で出発する。6時間も足止めでこの結果である。
 この日は小出から只見線に沿って走り、当初の計画では六十里越で田子倉湖畔を走り只見町に至り北海編の2日目に結合するつもりだったが、結局国道が冬季通行止めにより断念せざるを得なかった。6時間の足止め分だけ行程が短くなったわけである。夜でも守門岳の残雪が良く目に入る入広瀬駅で泊まった。
2日目 1985年4月28日
走行区間 入広瀬村入広瀬駅〜戸隠村横倉YH
走行距離 177km
走破市町村 11(山古志,十日町,川西,中里,津南,栄,野沢温泉,飯山,木島平,豊田,戸隠)
累計数 1,337
 今日も朝から天気が良い。昨日来た道を帰りながら広瀬から291号で中山トンネルを越えて山古志村に入り、堀之内に下り、後は117号線で信濃川をひたすら遡る。標高はさほど高くないのに田圃にまだ雪が沢山残っていることに太平洋側と日本海側の差を実感する。善光寺に至ると7年に一度のご開帳と言うことで大変な人混み。早々に退却する。
 今回の旅では、明日の夜にS井と木崎湖で落ち合うことだけ決めている。そのため今日は長野市内で終了しても良いのだが、まだ日も高いため戸隠まで進むこととして横倉YHを予約する。戸隠村への上りでもインナーが不安で使えず、重いギヤ比で立ち漕ぎを続ける。
 YHに着いて同宿の人たちと話していると「何でお前が此処に居る!」と言いながらW辺が入室。それはこちらのセリフだ!と訳を聞くと、S井との計画を耳に挟み、合流するつもりでカローラで来たと言うことだ。車で来たか・・・色々使えるから参加しても良いかな。その夜はYHに泊まった男6人と女2人で遅くまでトランプをした。寝室は40畳以上の宴会場の部屋であり、やたらと布団が余って、一人2枚以上つかって眠るのであった。
3日目 1985年4月29日
走行区間 戸隠村横倉YH〜大町市木崎湖YH
走行距離 59km
走破市町村 1(鬼無里)
累計数 1,338
 目が覚めると快晴。寝ている奴に余った布団を山のように載せるという修学旅行のような遊びをしたので皆が早く起き出す。この頃のYHは何処でも楽しかった思い出が多い。朝食前に戸隠神社の参拝に行こう、とW辺の車を出させ、神社参拝の帰りにスキー場に回り、そこから戸隠や高妻山等の勇姿と空の青さに感動を覚える。
 今日の走行距離は60km程度なので急ぐ必要はない。朝食後はゆっくりと出発し、戸隠から鬼無里に抜ける太望峠で北アルプスの景観に見とれる。しかし、本当に凄いのは鬼無里から白馬に越える道(現在は国道406号線)の峠のトンネルである。それまでは手前の山に隠れて見えない北アルプスが、トンネルを抜けた瞬間目の前に迫る風景は、言葉通りに息を飲んでしまう。日本中でも好きな風景10傑に入る風景だ。そこから山に見とれながらダウンヒルすれば白馬の街。泊まる宿はそこから南下し、青木湖を過ぎれば直ぐである。
 YHについて一息入れていると、寄り道をしてきたW辺が追いついたので彼の車で酒博物館とかを回る。そして午後5時半にSUZUKI GSX-R400でS井が到着。夕食後は他に個人で旅をしている数人と色々な話で盛り上がる。その一人が途中で我々3人がここで意気投合した者ではなく前からの友人同士である事に気づいて驚く。確かに自転車とバイクと自動車で個別に旅をしている者が仲間とは思わないよな。普通は車一台で旅行するものね。
4日目 1985年4月30日
走行区間 大町市木崎湖YH〜戸倉駅:伊勢崎駅〜桐生市塚本家
輪行区間 国鉄戸倉駅→伊勢崎駅
走行距離 76km
走破市町村 3(美麻,小川,中条)
累計数 1,341
 この日は午後から建築学概論の講義があるので、それに間に合うように帰る。もちろん自転車だけでは間に合わないので途中から輪行をする。旅費を安価に上げるためには学割を使用することだが、100km以上でないと割引にならない。また時間短縮のためには特急使用が不可欠だが100kmを越えると料金が高い、等と事前に検討したところ、信越本線の戸倉から両毛線の伊勢崎まで乗れば118.9kmで学割対象の最低運賃となり、特急は高崎までの96.3kmなので100km以下という条件を満たす。おまけに高崎の乗り換えは7分という都合の良さ。これだ!と鉄ちゃんのように自己満足する。
 そんな訳で10:55戸倉発の「あさま」に間に合うように朝8時出発でタイムトライアルである。S井は30分遅れで出発し、直ぐに追いつくだろうと思ったらしいが、長野市内まで追いつけず。途中若干の寄り道したのと現在のオリンピック道路ではなく狭く屈曲の多い道だから飛ばせない事も原因である。こちらも座禅草を見るため少し寄り道をしてはいるけれどね。
 長野郊外で何年ぶりかのS井との併走を行い、バイクの後ろに着いて風を切って貰い速度を保ち何とか無事に戸倉駅に到着。輪行で伊勢崎駅まで移動し、再度自転車を組み立てて大学までひた走る。信州編の前半はこのように終わり、講義を遅刻もなく受講し終えた頃に彼らも桐生に到着する。この夜は大宴会となったことは言うまでもない。
5日目 1985年5月2日
走行区間 桐生市塚本家〜府中市吉田荘
走行距離 98km
走破市町村 0
累計数 1,341
 5月1日の朝にS井は帰り、私は建設工学科の新2年の前橋から桐生への移行歓迎コンパが有って研究室に泊まり。2日も午後5時まで研究室で所用を行った後でK野に今から行くぞと電話をかけ、桐生出発は18:00。既に関東平野中に未走破の自治体は無いため最短ルートで走り、22:10府中到着。銭湯に出かけた後、K野の北海道土産のワインで夜明けまでの宴会に。
6日目 1983年5月3日
走行区間 無走行(府中市吉田荘)
7日目 1983年10月8日
走行区間 府中市吉田荘〜秋山村観音堂
走行距離 53km
走破市町村 1(秋山)
累計数 1,342
 3日は昼過ぎに起きて、ぼんやり過ごし、夕方からK野お勧めの居酒屋へ。元サラダオイルの運搬をしていたトレーラーの運転手だった親父が作る絶品のつくねを食べながら大学卒業後の進路や人生の意義などを語り4日間連続の深酒で4日となった午前8時に就寝する。
 その日の目覚めは午後3時過ぎ。さすがに今日は走らねば駄目道まっしぐらだと思い午後4時に出発する。橋本を抜けて相模湖に着いたら既に夕焼け。県道に入り秋山村の観音道の軒先で寝た。
8日目 1985年5月5日
走行区間 秋山村観音堂〜小諸市乙女駅
走行距離 248km
走破市町村 12(都留,西桂,芦川,櫛形,若草,白根,八田,明野,須玉,茅野,原,諏訪)
累計数 1,354
 朝5時前に目覚め、そのまま走行を開始する。秋川村から都留市に出て河口湖に出るが水蒸気多く富士山はうっすらとしか見えず前半の北アルプスとの差に落胆する。精進湖からトンネルを抜けると芦川村に向けた驚くほど長い下り坂が現れる。若草から白根、韮崎を経て白州に至りSUNTORY博物館の見学をする。実はかなり疲労と暑さで休憩を欲しかったところだし、試飲の楽しみも期待していたが・・酒は飲ませて貰えずガッカリする。
 20号線で諏訪神社に至り、今夜の宿を確保すべく白樺湖YHや諏訪YHに電話をするが何処も満員と断られる。まぁ良いか。今夜も野宿しようと決め、和田峠に取りかかる。長門、丸子を過ぎる内に日も傾き、小諸市内に着いたところで夜が訪れた。寝る場所は夜行列車が通過する信越本線ではなく小海線の駅が良いだろう考え乙女駅に行ってみると既にライダーの先客が居る。幸いベンチ数も多いので同室(?)させてもらう。駅寝でビールの乾杯も悪くないものだ。
9日目 1985年5月6日
走行区間 小諸市乙女駅〜桐生市塚本家
走行距離 105km
走破市町村 0
累計数 1,354
 今日は上りも少ないし、桐生に帰るだけだから軽井沢で寄り道でもと考えたが天気がぱっとしない。これは一気に帰るのが良いな、と飛ばせば11時に下宿到着。昼飯前の仕事で信州編の後半も終了する。
 後半戦は5月5日以外は日没後や夕方、午前中だけの走行と終日真面目に走らない上に日本酒・ワイン・焼酎・ビールと酒浸りの旅になってしまった。(次は九州編