No.43 大島編      日本を走る ←No42陸前編No44信州編→
旅行期間 1985年3月8日〜1985年3月22日 旅行日数:6日間
総走行距離 367km
走破市町村 1
同行者 無し 使用自転車:OP
総費用 20,080円 当時の年齢:21歳(大学3年)
初日 1985年3月8日
走行区間 桐生市塚本家〜柏市F原下宿
走行距離 130km
走破市町村 0
累計数 1,322
 柏のF原より下宿にK藤が遊びに来るからお前も来い、という連絡が来たとき、桐生で私は前日の卒論発表会を聞いた後でW辺と酒を飲んでいるところだった。
 早めに切り上げて寝ようと思い、部屋に帰って横になるが寝付けない。すでに走破すべき自治体もないが寝られないぐらいなら走ってしまおうかと午前1時に桐生を出る。物のついでに開幕まで9日となった筑波に回ってみると夜明け間際というのに結構バタバタと作業をしている。突貫工事だなと思いながら6号線で利根川を渡れば午前8時半に柏に到着。言葉通り朝飯前の仕事だった。
 自転車は輪行袋に入れてF原の下宿に置き去りにしたままK藤の車で木更津に帰り10日はS井のバイクで房総半島をタンデムツーリング。16日には高校の同窓会がありY口君に夏の京都を話したりするような地元の春休みを楽しんで過ごすのだった。
2日目 1985年3月18日
移動区間 柏市F原下宿〜東海汽船(輪行のみ)
3日目 1985年3月19日
走行区間 東海汽船〜大島町都立大島YH
走行距離 37km
走破市町村 1(大島)
累計数 1,323
 17日に電車で柏に移り、F原と酒を飲んで、18日の夕方にやっと輪行袋を持ち上げ大島への旅に出る。国鉄で浜松町に出て、竹芝桟橋の大島行きの船に乗ると満員で、2等船室には寝る空間がない。部屋を出てみると通路や階段の踊り場で毛布を敷いて寝ている人が大勢居る。まるで難民船だな、と思いながら私も階段の踊り場で眠る。
 朝5時半に岡田港に到着。あいにくの雨だ。大島公園まで走ると雨が強くなり屋根の下に入る。前日の船で寝付けなかったから雨宿りついでに寝袋を出し7時から11時までの朝寝をする。
 小雨になったので出発。裏砂漠は一面の霧で視界が効かず。波浮港に着くとまた雨が強まる。都営大島YHに着いたのは午後0時半。三原山に登るような気力もなく同じように雨で時間を持て余している人たちとのんびりと過ごす。
4日目 1985年3月20日
走行区間 大島町都立大島YH〜箱根町早雲山YH
走行距離 62km
走破市町村 0
累計数 1,323
 朝も雨が残る。風早崎大島燈台まで走るうちに雨も上がり山に登れそうな状況になる。空港前からの登山道を登って外輪山を越えると三原山には雲が残っている。御神火茶屋から先に行くのを諦め、元町港に駆け下り船の切符を買う。
 熱海行きの双胴船から振り返るとくっきりと三原山の形が見えている。後2時間ほど茶屋でゆっくりしていたら快適な登山が楽しめたのか、と悔やんでも後の祭りである。
 熱海の梅園を眺めてからは熱海峠を駆け上がり十石峠、箱根峠を経て元箱根に出る。今夜の宿に早雲山YHを夕食付きで予約してあるが熱海で昼食を抜いたので空腹で力が出なくなる。YHまで5km程度の所で軽食を取ってゆっくり休憩を取ってから到着。それでも夕食は品数が豊富でお代わりするほど食べてしまった。
 夜から雨になる。食事後には同宿のみんなで大貧民などを楽しんで盛り上がっていたので雨が何時から雪に変わったかは知る由もなかった。
5日目 1985年3月21日
走行区間 無走行(箱根町早雲山YH)
6日目 1985年3月22日
走行区間 箱根町早雲山YH〜自宅
走行距離 138km
走破市町村 0
累計数 1,323
 5日目の朝目覚めると春の大雪で車はスチールチェーンの音を立てながら走っている。富士五湖に行く予定を取り止め、宿で仲良くなった8人で箱根観光を行う。4WDの車で来ている人が偶然にも2人居たのが幸いであった。
 6日目は晴れて日差しも暖かい。しかし昨日の雪が残っていると思われるので峠を越える富士方面に進むのを止めて自宅に帰ることにし、小田原に降りていつもの湘南を走る。
 伊豆編北陸編天城編四国編と通り慣れてしまった道なので、少しの気分転換に鎌倉の円覚寺によって、竹岡ではいつもの梅ノ家のラーメンを食べてから帰宅した。自転車を桐生に回送するのは春休みを終えて大学に帰る4月4日で、当時乗っていたブルーバードのトランクに乗せて行くのであった。(次は信州編