No.45 九州編(1/6)2/6 3/6 4/6 5/6 6/6  日本を走る
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旅行期間 1985年7月11日〜1985年8月17日 旅行日数:38日間
総走行距離 5,602km
走破市町村 543
同行者 無し 使用自転車:OP
総費用 143,660円 当時の年齢:21歳(大学4年)
初日 1985年7月11日
走行区間 桐生市塚本家〜岡谷市川岸駅
走行距離 220km
走破市町村 0
累計数 1,354
 大学3年の夏に色々あり、一時は諦めた九州への旅。しかし思い捨てきれず教授や研究室の友人に40日間の不在の許しを頼む。もちろんその為に6月中は濃密な研究を進め、みんなの手伝いも出来る限りする。大学も最終年度であるから就職を決めていく者も出ており、この夏が勝負だと心配される中、旅を優先する姿勢の強さに周辺も理解してくれて、旅の出発の環境は整った(バブル採用になるのはこの2年後で1986年は第二次オイルショックの影響で建設関連はまだ冷えていた)。
 7月7日は東工大でT種国家公務員試験後の1次試験を受けて府中のK野の下宿に泊まり、彼が卒業後は就職せずにインドの長い旅に出る話を聞く。翌8日に桐生に帰り、8月16日の日向〜川崎の切符の購入や持ち物の準備、研究室の片づけや引継を行って10日は夜8時前に就寝する。
 前振りが長くなったが、11日午前1時、小雨の中で長い旅の出発の時を迎える。北海編が尾瀬越えというスタートだったので今回は奥秩父の中津川林道の三国峠越えと云う、漫画の「サイクル野郎」が日本一周の最初に越えたルートで西へ進む事を決めるが、ダートの上りはさすがに厳しい。標高1,730mの峠を越えたときは既に昼を回っていた。なお峠の直ぐ北側に有る御巣鷹の尾根で悲劇が生じるのは約一月後の事である。梓川に降りると天候は回復し、川上から野辺山を越えて清里から大泉、小淵沢と八ヶ岳を回り、茅野の高島城に着いたときには日没間近であった。夕食後も走り川岸駅で寝ることにした。
2日目 1985年7月12日
走行区間 岡谷市川岸駅〜犬山市犬山YH
走行距離 214km
走破市町村 24(辰野,箕輪,南箕輪,伊那,宮田,駒ヶ根,飯島,中川,高森,松川,豊丘,喬木,飯田,上郷,阿智,清内路,坂下,御嵩,兼山,八百津,美濃加茂,川辺,可児,坂祝)
累計数 1,378
 昨日の厳しい峠越えの疲労を回復せねばと寝袋で眠っていると、中央本線の始発まで3時間以上も有る午前2時頃に中年の女性が駅の待合室に入ってくる。1時間もしないうちにその夫らしい男性も入ってきて、私の存在に気が着きながらも「頼むから出ていかないでくれ」などと言う騒ぎが続き、すっかり寝不足となる。寝てられないので仕方なく夜明けを待って早朝に出発する。
 信州の空白区になっている伊那谷で天竜川の左右に点在する自治体を走破しながら南下。飯田市で有名な林檎並木を見て市役所の食堂で天麩羅定食(430円)を食べてから清内路峠に取りかかる。昨日のハードすぎる三国峠が頭にあったためか意外に楽に越えて1年ぶりの妻籠宿に駆け下りる。18号線で土岐までのアップダウンを繰り返したら21号線で美濃太田に至り、木曽川に沿って犬山まで下り2泊目にして早くもYHを使い体を休め前夜の寝不足を取り返す。なお、この時の宿泊料は素泊まり1,150円である。
3日目 1985年7月13日
走行区間 犬山市犬山YH〜長岡町近江長岡駅
走行距離 159km
走破市町村 21(扶桑,大口,江南,一宮,川島,木曽川,笠松,柳津,真正,北方,糸貫,大野,本巣,谷汲,揖斐川,久瀬,藤橋,坂内,余呉,浅井,伊吹)
累計数 1,399
 朝から雨模様。扶桑、江南など木曽川南岸を走り木曽川から笠松に渡り墨俣の一夜城址に着く。5年前の夏にも来たな、と思いを巡らす。北上し本巣を過ぎて華厳寺に着いたところで雨が本降りになる。ポンチョを被り出発するが揖斐の喫茶店で雨宿りすることとし、ピラフ(350円)を頼む。卒業を控えた大学4年なのに雨の中で何してるんだろうと思っていると、店のスピーカーから中島みゆきの歌が流れる。
 
♪ファイト!戦う君の歌を戦わない奴が笑うだろう。
  ファイト!冷たい水の中を震えながらのぼって行け〜

 これほど歌が力を与えてくれるのかと感動し、雨の中を颯爽とポンチョをまとい峠に向かう。藤橋村を超え八草峠に近づくと工事中通行止の看板がある。ここから引き返すのは遠回り過ぎるし工事現場内の作業員通路が有れば越えられるはず、と強行する。峠を越えて工事現場は何とかクリアするが下り道が酷いダートである。やっと舗装路になって喜んで速度を上げるとコーナーでスリップして転倒する。路面をよく見れば側溝が詰まって水が路面を流れアスファルトの上に苔が生えている。周辺を見ると営林署の撤収した後のようなゴーストタウンである。『ファイト!』と口ずさみながら不気味な地域を抜けて、その夜の宿に決めた東海道本線の近江長岡駅に辿り着く。この日の雨を最後に梅雨が明けた。
4日目 1985年7月14日
走行区間 長岡町近江長岡駅〜京都市Y口下宿
走行距離 89km
走破市町村 17(彦根,多賀,甲良,秦荘,湖東,愛東,永源寺,八日市,安土,近江八幡,竜王,野洲,守山,栗東,草津,大津,京都)
累計数 1,416
 朝から晴れ。今夜は高校の同期であるY口君の下宿に泊まるので連日のようなハードな走りをしなくて済むと思えば、さらに楽しく夏の近江路散策になる。
 国宝彦根城、多賀神社、西明寺、金剛輪寺と見て八日市から野洲、草津を経て石山に至り三井寺に到着。Y口君に電話するがまだ昼間なので外出中。そうなると京都観光で時間はいくらでも潰せる。おまけにこの夏は古都税反対のために主要寺院が無料拝観運動を行って居たため貧乏な旅人は有りがたく見学をして回ることが出来るのである。南禅寺から哲学の道を通り銀閣寺に至り、金閣寺、下加茂神社、上加茂神社、二条城、京都御所と回ってY口君の下宿にお世話になった。
 なお、Y口君とはこれまでの旅仲間では無かったが4ヶ月前に木更津で行った同窓会で『俺も自転車に乗っている。夏に京都に来るなら寄りなよ』との言葉に甘えさせて頂いたので、敬意を表して「君」付けである。
5日目 1985年7月15日
走行区間 京都市Y口下宿〜京都市Y口下宿
走行距離 72km
走破市町村 0
累計数 1,416
 朝、Y口君の通う立命館大学まで同行して学内を見て回り、昼に下宿で待ち合わせを決めて午前中は単独行。仁和寺、大覚寺、念仏寺、渡月橋、嵐山、広隆寺、妙心寺と無料で見て回り、立命館大学の学食で昼飯を食べて一旦下宿に帰る。
 昼からY口君の案内で京見峠を越えて北山、神護寺を回り嵐山を経て帰宅。この日は祇園祭の宵々山であるが彼は明日提出のレポートが忙しいと言うことで一人街中に出る。祭りを楽しんだ後、夕飯に入った餃子の王将で「餃子10人前を30分で食べれば無料」という張り紙に目が行く。1人前140円だから駄目でも1,400円払えば良いんだな、と気楽に挑戦。10分で7人前程度も食べ、これは楽だろうと思ったが20分過ぎで残ったあと1人前がきつい。時間ぎりぎりで何とか食べきったが、もう餃子はこりごりである。下宿に帰るとY口君が「ニンニク臭い」と窓を開け、そのうちレポートの調べ物で大学図書館に行くからと外出し、帰宅は朝に近い頃であった。迷惑な事をしてしまったと反省する夜だった。
6日目 1985年7月16日
走行区間 京都市Y口下宿〜曽禰村山粕神社
走行距離 117km
走破市町村 15(宇治,城陽,田辺,井手,山城,精華,木津,奈良,大和郡山,斑鳩,安堵,河合,広陵,大和高田,曽爾)
累計数 1,431
 Y口君に感謝をし、朝8時に出発。平安神宮、清水寺、三十三間堂等を無料見学の後、24号線を南下し奈良市に入る。奈良県庁でカツカレー(420円)を食べた後、東大寺、薬師寺、法輪寺、法越寺、法隆寺とお寺巡りをして、高校の修学旅行やその頃の同級生などを思い出す。
 4年前の四国編と同じコースを逆行するように東に進み、夕方の室生寺を見た後は暗くなり、名松線の駅まで走る間に適当な寝床が有れば終わりにしよう、と思いながら走れば曽禰村の山粕神社が回廊でよく寝られそうであり、近所の商店で朝飯のパンを購入して寝袋に入る。なお、今回の旅は北海編の時ほどコスト管理を厳しくしていない上に長旅へ備えるため野宿は最大でも4連泊に留まる。特に九州に入ってからは半分YHに泊まっている。また、酒も旅の最初のうちこそあまり飲んでいないが、途中から財布が緩み、軽い寝酒を取り始めたという特徴がある。(2/6へ続く