No.51 丹波編      日本を走る ←No50大和編No52紀内編→
旅行期間 1987年4月18日〜1987年4月19日 旅行日数:2日間
総走行距離 271km
走破市町村 15
同行者 無し 使用自転車:WR
総費用 5,685円 当時の年齢:23歳
初日 1987年4月18日
走行区間 神戸市公団六甲寮〜京都市宇多野YH
走行距離 106km
走破市町村 4(能勢,亀岡,園部,八木)
累計数 1,952
 社会人の2年目を迎えた。この直前は3月31日に国鉄が分割民営化されるに伴う謝恩切符で自宅に祖父を見舞いに帰ったが、その翌週である6日に亡くなり、7日に祖父の葬儀に帰り併せて父の最初の市議会議員選挙の応援をしてきたりで、木更津に頻繁に帰っていた。ちなみに、この旅の2日目が選挙告示の日であったが毎週のように帰ってくる必要はないと言われ、翌週の投票日の26日を挟むように24日から29日まで木更津に帰った。父の第1戦は油断の落選に終わった。
 
  

 それはさておき丹波編であるが、朝10時とゆっくりした出発で、有馬温泉から蓬莱峡を越えて宝塚に降り、川西から山を越え園部に進む。昔から都人が歩いているのだから保津峡のハイキングコースは良く整備されているだろうと考え嵯峨野を目指すが思ったより山道でかなり難航して京都に入る。
 YHは合宿が入っており、旅人同士で交流できるような状況でなく、さっさと寝た。
2日目 1987年4月19日
走行区間 京都市宇多野YH〜神戸市公団六甲寮
走行距離 165km
走破市町村 11(京北,日吉,丹波,瑞穂,三和,西紀,篠山,丹南,今田,東条,吉川)
累計数 1,963
 朝は春の爽やかな日差しの中、北山杉の美林を走る。周山街道に出れば桜が満開。彦根編の真夏の早朝の大原も悪くなかったが、春の京都は木々の隅々まで人の手が行き届いている感じが伝わり大自然とは違う素晴らしさを感じる。
 京北から日吉町殿田に出て山陰本線に沿い下山まで走り瑞穂を経由して三和町免原から多紀連山越えにかかる。
 天気と風景が良ければ登りも苦に成らず鼓峠を快適に越え篠山盆地に降りる。篠山城は3月18日の丹南篠山口から福知山間の開通の際に寄っていたが特に印象を残していなかった。しかし春の陽気の中で城下町を自転車で走ると、レトロな雰囲気を残そうと努力している所が色々見受けられ、観光客も出歩いていることなどから街の良さを再発見した。なお、翌年3月の丹南篠山口から吉川JCT開通に伴う事前打合せを福知山事務所と篠山で行ったときに食べたボタン鍋の美味さがこの街の強い印象になっている。
 篠山を後に東條を抜けて三木市志染町から箕谷に帰る。この最後の登りが予想外にきつく、実は高原に住んでいることを思い知らされるのであった。(次は紀内編