No.52 | 紀内編 ←No51丹波編・No53但馬編→ | |||||||
旅行期間 | 1987年5月2日〜1987年5月5日 | 旅行日数:3日間 | ||||||
総走行距離 | 462km | |||||||
走破市町村 | 30 | |||||||
同行者 | 無し | 使用自転車:WR | ||||||
総費用 | 14,660円 | 当時の年齢:23歳 | ||||||
初日 | 1987年5月2日 | |||||||
走行区間 | 吹田市千里古江台寮〜本宮町河鹿荘YH | |||||||
輪行区間 | 神戸市公団六甲寮→吹田市千里古江台寮(トレノ) | |||||||
走行距離 | 201km | |||||||
走破市町村 | 10(四条畷,大東,羽曳野,富田林,河内長野,西吉野,大塔,天川,十津川,本宮) | |||||||
累計数 | 1,973 | |||||||
GWの前半は自宅に帰っていたが、後半は1年ぶりの自転車を行うことにした。場所は紀伊半島の内陸部、略して畿内ならず紀内地域である。 さらに今回からMyCar輪行を開始する。この行動の自由さは次回の但馬編はもちろん、数多くの旅に使用していくことになる。 昨年9月上旬まで住んでいた千里古江台寮の駐車場に移動して走行開始。ちなみに中国自動車道は職員用の通行券を使用させていただいた。 吹田から守口、四条畷を通り富田林でPL教壇の塔に感動を覚える。そこより紀見峠を越えて橋本におり五条から吉野の細道に入っていく。西吉野の天辻峠を越えると清流と吊り橋以外は何もないような地帯に突入する。ちなみに20年近く経っても部分的な改良はあるがほぼ変わっていないことを確認してきてしまった。 風屋の吊り橋という有名な橋が有ったが一方通行と知り、渡る気が失せ素通りする。その後に出会った下向吊橋は長さも高さもダントツでは無かったけど構造がグレーチング床版橋で有った。つまり橋の走行面が金網で下が見えるのである。これを自転車で走るのは空を飛んでいるようで非常に楽しかった。 川場温泉にある河鹿荘YHに泊まり、目の前の川に掘られた千人風呂に日没後に入り、そのロケーションとスケールに感動する。これが如月編での再訪に繋がるのである。 |
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2日目 | 1987年5月3日 | |||||||
走行区間 | 本宮町河鹿荘YH〜川北村民宿紺ちゃん | |||||||
走行距離 | 123km | |||||||
走破市町村 | 6(熊野川,紀和,北山,下北山,上北山,川上) | |||||||
累計数 | 1,979 | |||||||
朝目覚めると雨。仕方ないので川で朝風呂を楽しんでいる内に同宿のライダーは合羽を着て出発する。私も9時になって雨も弱くなったのを見計らい出発する。しかし強く降る度に雨宿りを繰り返すのでなかなか進まない。 静峡に到着。観光船は川を遡るが道路地図で川沿いの国道168号線は繋がっていない。前回の保津峡のパスハンで懲りているので、赤木集落を通る山道で迂回する。 幾つものダムや上り坂や雨宿りを繰り返し伯母峰トンネルに到着。ここまでは体に負荷が掛かり続けていたので寒いのも気にしなかったが、トンネルの先のダウンヒルで汗もすっかり冷たくなり、ダムに沈み行く北川村の民宿に泊まる。 ちなみにこの夜は関西旅行に来たS井が六甲寮に泊まっている。鍵はGWの前半に故郷で会ったときに貸した物を使用しているはずである。 |
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3日目 | 1987年5月4日 | |||||||
走行区間 | 川北村民宿紺ちゃん〜吹田市千里古江台寮 | |||||||
輪行区間 | 吹田市千里古江台寮→神戸市公団六甲寮 | |||||||
走行距離 | 138km | |||||||
走破市町村 | 14(吉野,東吉野,免田野,大宇陀,都礼,山添,月ヶ瀬,島ケ原,南山城,笠置,和束,加茂,生駒,交野) | |||||||
累計数 | 1,993 | |||||||
明日も休みであるが、今夜はS井とその友人と落ち合うため今日中に寮に帰る事にした。昨日の雨も上がり吉野杉の美林の中を北上する。 名張や伊賀上野出たところで6年前の四国編の記憶がよみがえる。 木津川と関西本線に沿って走る道で川を見ると新緑の中に多くのカヌーが気持ちよさそうに水面で遊んでいる。ここが大手カヌーメーカーであるフジタの本拠地であることを知ったのは自分がカヌーを購入した後の事だった。 全く海を見ないままの3日間が終わり、寮でS井達を待っていたが帰ってきたのは近所の居酒屋も終わった深夜遅くであった。(次は但馬編) |