No.53 但馬編     日本を走る ←No52紀内編No54美作編→
旅行期間 1987年5月31日
走行区間 滝野社IC発の日帰り
輪行区間 神戸市公団六甲寮→滝野社IC→六甲寮(トレノ)
総走行距離 220km
走破市町村 20(八千代,中,加美,青垣,大江,但東,出石,日高,八鹿,関宮,大屋,養父,和田山,朝来,生野,神崎,大河内,市川,福崎,加西)
累計数 2,013
同行者 無し 使用自転車:WR
総費用 4,170円 当時の年齢:23歳
 前回の紀内編に続き、早起きしてMyCar輪行で滝野社ICまで移動して走り始める。滝野社ICの前の道は九州編で走った176号線なるので直ぐに軌跡がつながる。ちなみに車は料金所職員の駐車場に停めたが、職権を使い事前に担当者に了承済である。
 西脇から県道で八千代町を経由した後427号線に戻り、青垣まで北上する。途中の峠近くでは鳶が50m位前に降り、近付くと飛び上がりまた少し先に留まると言うことを繰り返す。鳥の道教えなんて珍しいなと思いつつも登りの励みになる。
 青垣から福知山を経由して大江町に入り登尾峠を越えて朝日新聞の紹介記事で頭に残っていた出石に行ってみる。するとこれが落ち着いた城下町で、その上蕎麦が少し高めだが美味い。一遍で好きになってしまう。
 日高町江原に出て八鹿から9号線を関宮町境界まで走り、琴引峠を越えて大屋町に降りて養父に出る。後は和田山から312号線を南下しながら大河内町に入るのを忘れないように進む。
 さすがに日が長い季節とは云え福崎に出る頃には日没を迎え、滝野社に着いたのは8時近い時間だった。残る体力で車を運転し、寮の近くの酒屋で麦酒を買って健闘を自ら慰労した。なお、今回の走行を終えて残る京都府は5町だけとなる。いよいよ秒読みである。(次は美作編