No.45 九州編(3/6)1/6 2/6 4/6 5/6 6/6  日本を走る
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旅行期間 1985年7月11日〜1985年8月17日 旅行日数:38日間
総走行距離 5,602km
走破市町村 543
同行者 無し 使用自転車:OP
総費用 143,660円 当時の年齢:21歳(大学4年)
13日目 1985年7月23日
走行区間 大方町入野駅〜宿毛市宿毛YH
走行距離 152km
走破市町村 2(大月,宿毛)
累計数 1,545
 今日は4年前の反省を込め慎重に走ろうと自分に言い聞かす。321号線で以布利に至り、窪津崎、稲荷崎と過ぎ足摺岬・金剛福寺到着。前回はスカイラインで転倒しているので海岸を明神崎、遠見崎と、♪岬巡りのチャリは走る。
 診察を受け中断した土佐清水を通過して無傷のまま先へ進める。今日は洗濯物が溜まった事もありYHに泊まろうと宿毛YHを予約する。そうなると時間に余裕が出来るので竜串海中公園海底館に入り水面下の世界を堪能する。
 大月を経て宿毛の街から松田川沿いに20分も遡ればYHに到着する。まだ午後4時なので海パンに着替え、今までの衣服とともに洗濯機にセットしたらYHお勧めの川遊びに行く。小学生が30名ほど遊んでおり、飛び込みやロープでターザン遊びをやっている。この子供達もYHに泊まりとの事である。
 食事の時に見渡せば引率の先生以外に夏休みを利用して遊びに来ている東京の小学校の女性教師や60歳を回ったサイクリストなどが居て話が弾む。小学生がキャンプファイヤーをやるから参加しないかと誘われ、楽しい夏の夜が更けていく。
14日目 1985年7月24日
走行区間 宿毛市宿毛YH〜中山町盛景寺
走行距離 177km
走破市町村 13(一本松,城辺,御荘,西海,内海,津島,宇和島,吉田,宇和,大洲,五十崎,内子,中山)
累計数 1,558
 朝は老サイクリストと同時に出発し、向かう方向は一緒の松山なのだがYHの前で南北に別れる。北に行けば峠越えで一気に津島に出られるが、それでは海岸沿いの自治体を飛ばしてしまうので、私は一度南下して国道に戻る。さらに56号線だけでは過ぎてしまう西海町に行くために海岸の県道も走らねばならない。石垣の里という案内に従って外泊まで足を延ばすと、確かにわざわざ来る価値のある景観である。四国に行くたびに思うのだが関東では耕作不適と思われる所まで石垣を組み水田を作り、居住にはどうかと思うところまで家を建ててしまう。その長い間の試練と努力には本当に頭が下がる。西海見学後は内海を経て宇和島に到着。闘牛の定期大会開催日らしいが入場料金の高さに諦めて城だけを見学する。
 吉田町を過ぎたところで、昨日老サイクリストが法華津峠は旧道が美しい、と言っていたのを思い出し旧道に入る。教えの通りに西海のリアス式海岸を見下ろせる綺麗な峠であった。宇和町から56号線で北上すると大洲、五十崎、内子と、綺麗な街並みが連続して訪れ松山突入への旅情が高まってくる。内子駅で泊まろうと交渉するが駅員に駅は寝るところでは無いと断られる。それは正しいのだが・・。仕方ないので先に進む。立川は暗さのため油断して過ぎてしまったので中山駅には泊まろうと考えお寺で道を聞くと、良ければ泊まって行きなさいとの話。布団は辞退するが、有り難くお堂の一部を借りる。
15日目 1985年7月25日
走行区間 中山町盛景寺〜竹原市吉名駅
走行距離 97km
走破市町村 12(伊予,松前,松山,北条,菊間,大西,今治,玉川,波方,大三島,上浦,竹原)
累計数 1,570
 住職さんにお礼を言い、大寄隧道を抜けると今回の旅で期待の大きかった道後温泉と松山城に駆け下っていく。
 期待に違わぬ良い城を見終えたら朝から道後温泉に浸かる。こんな文化財級の建物の温泉に200円で入れ、さらに良いお湯に感激。湯上がりは近くの愛媛大学に紛れ込み学食で定食とスイカ(380円)を食べる。松山からは196号線を北上し、大西から玉川町に入り今治に出てから波方港に出て四国を後にする。
 宮浦港行きの船に乗る。目標は国宝の島と言われる大山祇神社である。刀剣武具の国宝や国重文は全国の8割が有ると言われるだけあって国宝館(600円)は見応えがあった。せっかく大三島に上陸したのだから島の西側にある上浦町も走ってから再度宮浦港に戻り竹原港に渡る。土曜丑の日だから夕食はサービス品の鰻丼(600円)を食べて竹原市街の西側にある呉線の吉名駅で1泊する。
16日目 1985年7月26日
走行区間 竹原市吉名駅〜倉敷市K坂実家
走行距離 162km
走破市町村 17(安芸津,安浦,川尻,呉,黒瀬,東広島,河内,本郷,三原,尾道,福山,笠岡,里庄,鴨方,金光,倉敷,船穂)
累計数 1,587
 夏の九州計画を後輩に話したところ倉敷に来たら寄って下さいよ、と申し出てくれた後輩のK坂の実家に今夜と明日の夜に泊まる計画となっている。竹原から倉敷に直行すると昼頃着きそうだなと考えた結果、竹原から185号線で西に進み、呉市西まで行ったところで375号線で北上、東広島市西条まで行ってから山陽本線沿いに東へ進んで倉敷に入るという奇抜なコースを考えついた。だから昨夜も西に進んで寝ているのである。
 今日も晴れ。これで13日連続である。予定通り竹原市を包囲するかのような走行を続け竹原の東隣になる三原に着いたのはお昼近い時間だった。尾道で大林映画のロケ地を見て回り、路地のある街の魅力と区画がハッキリした新興住宅地の機能美に付いて思案する。
 それより2号線を東に進み、福山城を抜ければ岡山県に突入。倉敷郊外で手土産の大玉スイカ(1,480円)を購入し、今日バイクで桐生から帰り着いたばかりのK坂に世話になる。


17日目 1985年7月27日
走行区間 無走行(倉敷市K坂実家)
 この日は全くの休息日。K坂家のスクーターを借りてバイクのK坂と倉敷周辺のツーリングを行う。
 まずは鷲羽山に行き本四架橋の工事現場を眺め、次に産経新聞で無駄と指摘された倉敷市役所(写真)に向かい食堂で昼食を取る。その後大原美術館やIVスクエアーなどを回った後、日差しが弱くなった午後3時過ぎに渋川海岸に行って瀬戸内海の海を楽しむ。写真を見ても解るように空気も澄んだ日で瀬戸内海の島々を近くに見ながらの快適な海水浴であった。
 さらに渋滞回避のため倉敷駅にバイクを止め、国鉄で岡山まで行き、この日行われた花火大会まで味わうという、走らずとも内容の濃い1日を送った。
 もちろん夜はK坂の実家でお疲れさま会である。
18日目 1985年7月28日
走行区間 倉敷市K坂実家〜黒田庄町へそ公園駅
走行距離 175km
走破市町村 24(真備,清音,山手,総社,岡山,邑久,長船,瀬戸,備前,日生,赤穂,相生,揖保川,龍野,太子,姫路,高砂,加古川,三木,小野,社,滝野,西脇,黒田庄)
累計数 1,611
 朝食を食べた上、お昼のおにぎりまで頂いてしまい恐縮しながらK坂家を出発。総社から高松を経て吉備津神社に至る吉備路をのんびりと進む。後楽園、岡山城、西大寺と進むうちに気温はぐんぐん上がる。おにぎりが悪くなる前にと西大寺のお堂で早めの昼食を取り、2号線を備前まで進む。
 交通量の多い道は排気ガスでさらに温度が上がり耐えられないため備前から250号線で海沿いを走るが、それでも日生で耐えきれず冷たい牛乳を買って駅で休憩。赤穂から相生を抜けて姫路に午後3時半に着くが体がオーバーヒート気味である。喫茶店でカレーライスを食べながら休息を取り姫路城に付くと4時閉門と言われ愕然とする。
 気を取り直して加古川まで進み、明日以降の長電話対策に電電公社のテレホンカード(1,000円)をダイエーで購入する。ちなみにNTTと通称される日本電信電話株式会社はこの年の4月1日から設立しているので在庫品であると思われる。
 加古川から10日目に通過した鈴蘭台の西方約25kmになる小野市市場に至り175号線を日本海に向けて北上。西脇市で食事をとった後、加古川線の日本のへそ公園駅という変な名前の駅で寝た。
19日目 1985年7月29日
走行区間 黒田庄町へそ公園駅〜峰山町峰山駅
走行距離 224km
走破市町村 19(山南,氷上,柏原,春日,市島,福知山,綾部,和知,美山,名田庄,小浜,大飯,高浜,舞鶴,宮津,岩滝,野田川,大宮,峰山)
累計数 1,630
 今日も快晴の朝に出発し、福知山間で北上後、山陰本線に沿って綾瀬から和知に抜け、そこより大野を経て162号線に出て堀越峠を越えて福井県に入り小浜まで東進する。和知では4日目到着の京都まで僅か51kmまで近付き、北陸に分類される福井県に入るなど、とても九州を目指しているとは思えない行動だが、ここから西に進むので安心していただきたい。
 若狭湾の海水浴場を眺めながら西に進み、再度京都府に戻り智恩寺を参拝してから日本三景の一つである天橋立を南から北に走り抜ける。岩滝、大宮を通過して宮津線の峰山駅に寝場所を決める。銭湯(220円)を出て缶酎ハイ(260円)を飲んで深夜長距離割引になる夜10時にS井に電話。
 「長崎の合流まで2週間となったが木更津の方では何か変化は有ったか?」「いや、特に何も変わりはない。引き続き気を付けて旅を続けろよ」という内容の会話で電話を切る。実はその直後に色々な変化が起きるのだが公衆電話からの一方的な連絡なので私に情報が伝わるのは定点にした8月1日の松江YHまで待たなければならなかった。(4/6に続く