No.61 吉野編     日本を走る ←No60道東編No62越飛編→
旅行期間 1988年6月19日
走行区間 神戸市六甲寮〜吉野駅:箕谷駅〜六甲寮
輪行区間 近鉄吉野駅→神戸電鉄箕谷駅
総走行距離 192km
走破市町村 13(松原,美原,狭山,河南,千早赤阪,太子,上牧,王寺,三郷,平群,大淀,下市,黒滝)                     
累計数 2,130
同行者 無し 使用自転車:WR
総費用 5,837円 当時の年齢:24歳
 神戸に赴任して2年も経とうとしている6月16日に7月1日付け転勤の内示が下った。私の前任者も2年だったから予想通りの結果ではある。転勤先の長野県上田は出身大学の近くに帰して上げるという配慮か解らないが、信州も住みたかった所であるから歓迎である。ただし付き合い始めたばかりのW田さんと離れてしまうのは正直辛い。それはさておき、転勤前に関西走破を終えなければならないので神戸時代の最終走行を企画した。
 梅雨入りはしているが天候は雨には成りそうもない。ただ湿度の高さは辛そうである。出発は例によって夜明け前。最後の関西なので未明の大阪駅前や大阪城前を通過し、2年間の様々な思い出を呼び起こしたりする。
 松原に至り夜が明け千早赤阪村を経て太子町に入れば大阪府走破完了となる。この頃、梅原先生の『隠された十字架』を読んでいたので、それに導かれるように聖徳太子の墓を詣でて桜峠を越え信貴山寺や法隆寺を訪ね走る。
 奈良盆地内の未走破自治体を走り抜いたら吉野山に登り始める。桜の時期ではないが吉野神宮や金峯山寺、金峯神社とどんどん標高を上げながら見る歴史の厚さは感動的である。そして青根ヶ峯を越えれば行政区分も黒滝村になり奈良県走破完了である。水分神社や蔵王堂を詣でて近鉄吉野駅から輪行して箕谷駅まで帰り神戸最終ランは終了となる。

 上田への転勤は次のような経過を辿る。
7月1日に辞令を受ける。
3日に荷物を全て送ったあと梅田にて関西勤務の同期の送別会を受ける。
4日に赴任してきた後任に業務の引継を行った後、職場の送別会を受ける。
5日に関係部署への挨拶回りを行った後、夜中に高速を走って上田に向かう。
6日朝に上田工事事務所に出勤する。自転車は車に積んだままである。

 神戸時代を総括すると16本の旅を行い、40日間の旅行で4,352kmを走り232の市町村を新たに走破したことになる。この2年間の関西生活が無ければ日本走破は大変困難であったと思われる。(次は越飛編