No.60 道東編      日本を走る ←No59丹後編No61吉野編→
旅行期間 1988年4月28日〜1988年5月8日 旅行日数:11日間
総走行距離 824km
走破市町村 24
同行者 W田・W辺 使用自転車:WR
総費用 105,432円 当時の年齢:24歳
初日 1988年4月28日
移動区間 神戸市公団六甲寮→JR新大阪駅→JR敦賀駅→新日本海フェリー
2日目 1988年4月29日
移動区間 終日新日本海フェリー船中
3日目 1988年4月30日
走行区間 新日本海フェリー:小樽港〜積丹町積丹YH
走行距離 72km
走破市町村 2(古平,積丹)
累計数 2,095
 青函トンネルが3月13日に営業を開始したので今年のGWは北海道に決めた。しかし夜行寝台「日本海」はとても予約できず往路は船にする。その方が安いことも魅力である。また、今年就職したW辺も自転車で走り始めたというので、現地集合の約束をする。
 28日は仕事も定時に終わらせ、如月編と同様に同僚に新大阪まで送ってもらい、北陸本線の敦賀まで輪行する。港まで輪行袋を担いで歩く。冬服で大きな荷物の人が大勢同じ方向に向かうのでここが北への入口であると実感する。
 事前に予約してある2等寝室に行くと入口に居た一人旅の娘がW田さんだった。夕食を誘い、これからの30時間の船旅を伴に過ごすことになる。29日は生まれて始めて終日船の中である。でも一人じゃないのは楽しい事である。旅行の日程の中で知床の予定が重なる事が解り、知床YHでの再会を誓う。早朝に小樽に着き、運河までの道を共に歩き、駅で見送る。
 今夜は積丹半島先端までだし早朝から行動開始なので時間に余裕がある。そこで余市のニッカ工場の見学を朝1番の組で行う。顔を見たような若者が居たので話しかけると同じ船で来た舞鶴高専生だった。彼はこの近くの海岸にテントを張るという。色々意気投合してしまい、試飲会場で3時間も飲んでしまう。
 すっかり酔ってしまい、海岸で昼寝。余別岳が白く聳え、道端には水芭蕉が咲き乱れとても気持ち良い。午後1時過ぎに走行開始。YHに荷物を置いて神威岬や道路の終点まで走ってくる。夜は宿泊者の殆どが関西人で、賑やかに過ごしていくのであった。
4日目 1988年5月1日
走行区間 積丹町積丹YH〜苫小牧市駅前旅館
走行距離 186km
走破市町村 4(京極,喜茂別,大滝,千歳)
累計数 2,099
 神威岬の夜明けを朝食前に見よう、という話になって午前4時に出ていく。真っ暗なトンネルのある遊歩道を抜けて朝の岬に行くが早く岬に着く前に太陽が昇ってしまい海の夜明けは見られなかった。先端までのんびり3時間散歩してきて7時から朝食である。
 積丹半島を1周したいと思ったが、道路の未開通区間を越え反対側の道路開通区間に渡る船が無いことを昨日確認しているので仕方なく昨日と同じ道を余市まで帰り、5号線で南下を始める。途中函館本線と交差する陸橋上に大勢のテツが居るので聞いてみると数分後にSLが通過すると言うことなので私もカメラを構える。
 倶知安に近付いてくると激しい向かい風。立ち漕ぎをしないと進まないような状況。1時間に10kmしか進めない。羊蹄山にも雲が掛かり激しく流れている。これは今日中に苫小牧までは行けないかなと覚悟をして支笏湖YHに泊まろうと電話するが学校の合宿が入っているので一般客は泊まれないと断られる。GW中のYHとして間違っている姿勢だと怒るが、仕方ない。
 尻別を過ぎると風が止まる。どうやら羊蹄山の谷風らしい。峠が近付くに連れ周辺の雪はどんどん深くなっていく。美笛峠を越え、冬姿の支笏湖に至る。そこから長い下り坂を降りれば苫小牧の街である。
 駅の看板で安い宿を見つけそこに泊まる。2階の部屋に案内されるも階段を上がることが辛い。風呂に入って部屋に戻り腰を下ろすともう立ち上がる気力すらなくなり、そのまま7時前に寝てしまった。
5日目 1988年5月2日
走行区間 苫小牧市駅前旅館〜襟裳町えりもYH
走行距離 181km
走破市町村 6(新冠,静内,三石,浦河,様似,えりも)
累計数 2,105
 朝5時前に起床。天気は今日も快晴。風は今の所無風である。早く寝たので体調も復活している。5:15着の急行「はまなす」で到着するW辺を迎えに苫小牧駅へ走る。W辺とは会津編九州編で彼の原付であるMT50と併走はしているが、自転車の彼と走るのは初めてである。
 走り初めて直ぐに風が出始めるが、何と今日は追い風である。道もほぼ平坦なのでどんどん速度が上がり距離を稼げる。日高山脈も野を駆ける馬も美しい。W辺は自転車って良いなぁと鼻歌混じりである。シャクシャインの砦跡でアイヌ民族が大和民族に負けていく歴史を見て国の成り立ちを思う。
 YHには日没頃と思っていたがあまりの高速走行で4時前に着きそうになる。襟裳岬をゆっくり見て回り、YHに到着。噂以上の食事の豪華さとミーティングの盛り上がり。午前1時まで吉田拓郎を歌い続けてしまった。
 ♪人間なんてラララララララ〜
 まだまだ宴は続くのであるが明日の行動を考え、まだまだ騒ぎたがっているW辺を引き抜いて眠りに付いた。
6日目 1988年5月3日
走行区間 襟裳町えりもYH〜池田町民宿ワインの国
走行距離 151km
走破市町村 8(広尾,大樹,忠類,更別,中礼内,帯広,幕別,池田)
累計数 2,113
 朝食も食べきれないような量。連泊すると太りそうだ。今日も天気は良いが朝から風が強い。向かい風だ。帯広に向かうというサイクリストと同行し3人で北上する。走り初めて少しで私がパンク。2人には先に行って貰いタイヤを見るとだいぶ薄くなっている事に気づく。手早く直して2人を追いかけ黄金道路の途中で追いつく。風はますます強くなってくる。
 広尾の街に着く前に3人目のサイクリストが「ゆっくり行きますから」と隊列を離れる。するとここまで意地で走っていたW辺も急激に遅くなり始め、少しの上り坂でも押して歩き始める。W辺は自転車って辛いなぁと溜息混じりである。今夜の宿は浦幌にしようと考えていたがこの速度ではとても付けそうもない。何とか励まし騙して幸福駅跡まで着けば先に離れたサイクリストが到着している状況である。
 宿を池田ワインの国に予約してW辺には坦々と進めよと伝え愛国駅跡で別れる。私は帯広のショップでタイヤを探し、交換後は全力でW辺を追いかける。ワインの国に着いたのは私が先だった。どこかで抜いたらしい。少し経つとヘロヘロなW辺が到着。美味い宿の飯とワインで体力を復活させるのであった。
7日目 1988年5月4日
走行区間 池田町民宿ワインの国〜標津町標津町YH
輪行区間 JR釧路駅→JR根室標津駅
走行距離 118km
走破市町村 4(豊頃,浦幌,音別,白糠)
累計数 2,117
 今日は朝から小雨。風は無い。昨日の疲労が抜けていないので出発はゆっくりと8時を回る。日立の木とW辺が主張するニレの木を豊頃に見て、音別まで進めば空も晴れ始める。W辺が「俺は輪行するから・・」と言い始める。あまり自転車旅が辛い物だという印象だけ持たれても困るので釧路まで観光しながら走り、釧路からともに輪行することにした。標津町YHを取ってあるので14:11の釧網本線で行けば夕方には標津に着く事を音別駅の時刻表で確認する。
 38号線を東に進むがW辺の速度は上がらない。庶路を過ぎる頃、もはやこの状況では予定の列車に間に合わないであろう事は明白になった。14:11の次は17:35発まで無い。思い切って次の便に変更する。そうなると時間もだいぶ余裕になるので大楽毛から丹頂鶴自然公園まで往復することにした。丹頂鶴をゆっくり見て、釧路湿原のサイクリングロードを走り釧路駅に到着し輪行体制を取る。
 駅の食堂で期待以上に美味い夕食を取り、ワインを購入。車窓に広がる夕暮れの釧路湿原を見ながらワインを飲み、一眠り。根室標津駅着は20:43である。YHのペアレントさんが遅いので心配していた。今更ですがこの場を借りて反省します。申し訳有りません。
8日目 1988年5月5日
走行区間 標津町標津町YH〜斜里町知床YHGH
輪行区間 標津町→斜里町
走行距離 77km
走破市町村 0
累計数 2,117
 国後島が目の前に見える朝を迎える。今日も天気が良い。YHに荷物を預けたまま野付半島に行く。トドワラの倒木が広がる最果ての風景を楽しみ、YHに帰ろうとすると厳しい向かい風。「峠を越える力は無い」と相方は呟く。JRで輪行していくと斜里到着が遅くなるのでヒッチハイクを検討する。車が掴まらなければ自力で峠を越えるんだぞ、と言うとW辺はYHで貰った段ボールにマジックで「乗せてって斜里」と書きそれを背負う。すると効果は直ぐに現れ、斜里まで運搬される事に成功。
 斜里からは334号線を宇土呂に向け自走する。ちなみに知床横断道は冬季通行止めの最中である。ゆっくりYHに着けば本館改装中と言うことでゲストハウスに割安料金で泊まる事になる。W田さんはまだ到着していない。同室の豊中の青年と3人でオロンコ岩に登りキタキツネと遊び、夕食に帰ればW田さんに再会。YH主催の焼酎飲み放題の宴会で夜遅くまでみんなで盛り上がった。
9日目 1988年5月6日
走行区間 斜里町知床YHGH〜夜行急行・大雪
輪行区間 宇土呂BS→JR斜里駅
走行距離 36km
走破市町村 0
累計数 2,117








 飲み過ぎで少し頭が痛い。しかし今日の目的はカムイワッカの湯滝入浴だからそれほどきつい日程でもない。豊中の青年がスクーターを借りに行き、W田さんと4人で沢歩き用の草鞋と湯上がり用の麦酒を持って出発する。
 知床林道は車両通行止めになっており、その前にレンタカーで来ている柏崎から来た女の子が2人迷ったように立っている。こちらにもW田さんという女の子も居るので、一緒に行こうと誘い6人で林道のハイキングを楽しむ。
 水平線の手前に白い帯が見える。流氷だ。まだ残って居るんだと感動している内に登山口に到着する。沢を登り、まず男衆が先に入る。立ち泳ぎが出来るほどの深さで気持ちよい。ついで女性の入浴のため、男衆は一段低いところまで沢を降りる。その際にW辺は油断してカメラを水中に落として駄目にしてしまう。気が付くと雪が舞い始めている。
 登山口まで降りると偶然営林署の車が通る。女性3名を載せてもらいこちらは林道を疾走する。知床5湖に立ち寄りそこで柏崎の2人と別れYHまで帰る。すると雪も強くなってきたのでバス輪行をして帰ることにした。斜里駅前のつぼ八で宴会を行い、酒を買い込んでみんなで急行大雪に乗るのであった。
10日目 1988年5月7日
移動区間 夜行急行・大雪〜夜行快速・海峡
11日目 1988年5月8日
輪行区間 JR斜里駅→北神急行谷上駅(3日間の集計)
走行区間 谷上駅〜神戸市公団六甲寮
走行距離 3km
走破市町村 0
累計数 2,117
 既に鉄道旅行となってしまった帰り道である。朝方札幌に着き、市内観光をしたところで豊中の青年が別れる。函館空港から帰るW田さんと函館観光に行こうとすると札幌観光を楽しむと言っていたW辺が着いてくる。ゆっくり札幌見たらと暗に別行動をほのめかすが彼の心には届かない。仕方ないからおまけ付きで函館観光をする。最後に赤ちょうちん本店で打ち上げを行い解散。
 夜行快速で青函トンネルを抜け、特急、東北新幹線と東海道新幹線を乗り継いで一気に神戸に帰るのであった。(次は吉野編