No.98 釜山編(2/2)(1/2) 日本を走る ←No97島並編No99洋上編→




















6日目 2000年5月4日
走行区間 下甑町竜宮荘〜旅客船/カメリア(輪行1回含む)
輪行区間 JR串木野駅→JR博多駅
走行距離 4km
走破市町村 0
累計数 3,104
 7:40手打港出発の船で4時間25分間かけて串木野港に向かう。「何で下甑から出発して釜山に渡らなければならないのか疑問を感じませんか」とF島に言われるが「今回の旅はそんな物だよ」と答えるしかない。実質的に走破の旅は終わり、これ以降はおまけのような物であるが実は気持ちの上では力を入れている。
 12:05に串木野港に着き12:51串木野駅発の特急つばめで16:15に博多駅到着。街はどんたくの喧噪の中にあるが17:00までに出国手続きを済ませねばならないからゆっくり祭見学も出来ず。おまけにF島の前ギヤ中が折れる等のトラブルも派生するがショップを探すわけにも行かず、韓国ではアウターだけで走ることになる。
 出航は遅いのであるが出国手続きを終えて街中に戻るわけには行かないと、当たり前の話で午後6時から船に閉じこめられる。仕方ないので船内食堂を利用するが、ユッケジャン定食などと既に韓国メニューがあり、それを食べる。出航前には博多どんたくの花火を甲板の上という1等席で見ることもでき、船の設備も良いので結構得した気持ちで日本を離れていった。
7日目 2000年5月5日
走行区間 旅客船/カメリア〜釜山市ソウル旅館
走行距離 62km
走破市町村 国外なので計上せず。
 早くに寝てしまったので夜明け前に目を覚ましてしまった。すると船の振動が無いことに気づく。甲板に出てみると沖合停泊を行っているところだ。何処の国も税関と入国審査という官僚が起き出すまでこのように大勢の人や物資をとどめているのかと思うと、官僚の改革は必要だなと思う。
 ガイドブックには港湾施設の写真撮影はいけないと書いてあるが甲板に出て写真を取り始める人が大勢出てくる。その内船が進み始め、港の奥に入っていく。両側に山が迫り、湾も深く良港であることは一目で分かる。その上、コンテナクレーン等の港湾設備の充実ぶりを見ると横浜が抜かれたのも仕方ないかなと思ってしまう。
 台湾基隆港に着いたときのようなアクシデントもなく無事到着。自転車で着く2番目の外国である。インフォメーションに日本語の釜山市街地図が有るので持って行くと、これが旅の間、大変重宝する。さっそく銀行で2万円を両替すると1万ウォン札が19枚とその他の札が何枚も来てしまい、財布は膨れ上がってしまう。ちなみにF島は1万円を両替した。
 街に出たら早速宿探しである。日本語が通じる安宿という看板でソウル旅館に行くが1部屋25,000ウォンと言われる。もっと負けられないか、と交渉しながら考えると1人当たり1,250円の安さである。これを値切っても、という気がして交渉を終了。以下混乱しないように現地価格は1/10倍にして日本円で記載する。
 着替等の今日の走行に関係のない荷物を部屋に置いて街中に繰り出す。朝飯に滋養料理であるサムゲタンを取りに行く。日本では2000円以上の物が800円であり、その上美味い。腹が膨れたら東莢温泉に行き、一風呂浴びようと思う。所が韓国の道路は自転車保護の考えがないようで、車道を走るととても怖い。おまけに左右が逆になっているので感もずれる。車と同じ速度で走れば相対速度が無くなり安全だぞ、とF島に言うが、やはり苦労している。
 何とか温泉に着くが温泉のシステムが解らない。ちなみに私はローマ字を読むようにハングルを読むことが出来るが知っている単語はほとんどない。F島は全く駄目なのだから電子辞書を買ってこい、と言って有ったのに用意していない。幸い日本語の分かる人が居たのでその指示に従い495円で入浴。設備は立派である。向こうの人は歩くときタオルで前を隠さないのだな、と妙なことに感心する。
 次に梵魚寺まで走り韓国式寺院建築の華やかさと庭園の見事さに感心するが、秀吉の朝鮮出兵で殆ど焼けて、その再建と知り、申し訳ない思いにもなる。そこに自転車を停めたまま金井山城北門まで山道を登り、長城のような城壁にやはり大陸の文化なんだと改めて実感する。
 山を降り、寺からのダウンヒルで「カルビ」とカタカナで書いてある看板の店に入る。たった1人だけ日本語を理解できるお姉さんが居て、その進めに従い麦酒やマッコリを飲みながら焼き肉を食べる。これが一人当たり2,050円に過ぎない。
 あとは宿まで帰り自転車を置いて旧市街の散布である。釜山タワーに登って夜景を眺め、李舜臣将軍の銅像を拝んでから国際市場に降り、海岸沿いのチャガルチ市場まで歩く。途中の小さな店で、例えば水餃子と麦酒とか、刺身と焼酎とか少しづつ頼んで飲み歩くこと4軒。金額にして一人当たり合計2,100円を使って釜山の路地を楽しんできた。宿に帰る前に立ち寄ったコンビニでマッコリが1本1200ccで200円しかしないことを知り、狭い部屋でF島とコップ酒を行う。
8日目 2000年5月6日
走行区間 釜山市ソウル旅館〜関釜フェリー
走行距離 2km
走破市町村 国外なので計上せず。
 随分飲み食いしたはずだが気が張っているせいか体調は絶好調である。朝風呂代わりに海雲台温泉まで行こうとF島を誘うが、あの道路を自転車で走るのは疲れると言われ、バスで行くことにする。路線図で何番のバスに乗れば良いかは解るが何処で降りて良いかが難しい。乗るときに運転手に「ヘウンデ」とは言ったものの、ずっと地図を睨み、現在地を常時確認して言った。次のバス停だな、とこちらが思ったときに運転手から「ヘウンデ」と言ってくれて無事到着。バス代は50円だった。
 温泉に300円で入り、帰路は韓国の鉄道を使用することにした。釜山まで110円とバスより高いが、硬券の雰囲気が良かったので記念にもう一枚購入する。釜山は終点なので安心して乗っていると隣のボックスの高校生らしいアベックからシャッターを押してくれと頼まれる。写真を押しながら英語で何処から来たか聞くが地名が解らないこともあり、なかなか意志疎通が出来ないうちに釜山に到着。
 駅前でビビンバを400円で食べたらスーパーに入りキムチや韓国の流行歌の入ったCD等を土産に購入する。最後にプルコギを食べて麦酒を飲んで観光を終了する。宿から自転車で港に向かう道すがらカップ麺とつまみとマッコリを3本(3600cc分)購入して、フェリーターミナルに着き、出国手続きを行い、自転車を輪行袋に収納してタラップを上がり、船で韓国釜山市を後にする。
9日目 2000年5月7日
移動区間 下関駅前BS→宇部山口空港→羽田空港→袖ヶ浦BS
 やはり明け方に目を覚まし、甲板に上がってみると若松沖かと思う辺りで停泊中である。近い内に24時間往来可能にならなければ欧州に比べ遅れてくるななどと思っていると船が動き始め、関門海峡を進み始める。この両側の風景は良いなぁと思っている内に下関に到着。
 私はこの日の夕方に出席しなければいけない会議があるので、入国手続きを終えて駅前からの空港連絡バスで宇部山口空港に向かい、飛行機で帰宅する。F島は丁寧にバスが出るまで見送ってくれたから新幹線を1便乗り遅れて自由席で帰宅したようだ。後から考えるとF島と一緒に走った最後の旅だった。(次は洋上編