No.98 釜山編(1/2)(2/2) 日本を走る ←No97島並編No99洋上編→
旅行期間 2000年5月2日〜2000年5月7日 旅行日数:4日間
総走行距離 354km
走破市町村 14
同行者 F島 使用自転車:GT
総費用 181,743円 当時の年齢:36歳
初日 2000年4月29日
輪行区間 自宅→袖ヶ浦BS→羽田空港→熊本空港
走行区間 熊本空港〜直入町中村屋旅館
走行距離 104km
走破市町村 5(西原,久木野,波野,荻,直入)
累計数 3,095
 羽田空港でF島と待合せ、熊本空港行きのチケットを渡しながら「パスポートを忘れてないよな」と確認する、1年ぶりの旅の出発である。
 阿蘇の外輪山を覗きながら飛行機は熊本空港に到着。そこで自転車を組み立てて阿蘇外輪山の隙間から白川水源を目指す。途中の西原村や久木野村は幹線道路を走っていたら通り過ぎてしまうのでわざわざ立ち寄りながら進む。そのお陰で素朴な写真が撮れたりもするのが魅力である。
 気温がどんどん高くなって来るので喉が渇き、白川水源で浴びるように水を飲んでしまう。すっかり水腹になったところで高森から大戸ノ口まで登り、県道で竹田を目指すが水の飲み過ぎか調子が出ない。目的地は竹田から北に峠を越えた場所である。竹田市に着いてF島が「岡城を見たい」というが調子の悪い私は「一人でどうぞ」と言うと、今度来たときにするから良いですと引っ込む。
 目的である長湯温泉はまちづくりの先進地ということで有名になりつつあったので、その存在する直入町は未走破という事もあり、今回是非とも見たいと少し遠回りをして宿泊地にしたのである。ドイツ的な炭酸泉の飲泉所や共同浴場の整備といったハード面だけでなく、町の人のホスピタリティとか保全の姿勢とかがとても気に入った温泉であった。夜のガニ湯に浸かりながらF島も「いい街ですね」と呟いた。
 せっかくドイツと姉妹締結をしているのだからと、この夜の寝酒はドイツ麦酒とドイツワインである。
2日目 2000年4月30日
走行区間 直入町中村屋旅館〜延岡駅:西鹿児島駅〜鹿児島市BHすずや
輪行区間 JR延岡駅→JR西鹿児島駅
走行距離 89km
走破市町村 4(緒方,清川,三重,宇目)
累計数 3,099
 温泉街の気持ちよい朝を迎えるが、天気予報の降水確率が高い。今日の予定は延岡までだから午前中だけでも持ってくれないかなと祈りながら出発する。
 峠を越えて朝地に降り、緒方から502号線で三重まで走り326号線で延岡を目指す。島並編で走った10号線が貧弱な道だった理由が良く解るほど326号線は整備が進んでおり、大型のトラックが頻繁に通る幹線道路であった。たしかに大分と延岡を直接繋ぐならこちらの方が短い。トラックの排気ガスを浴びながら坂を登っている内に雨が降り始めた。トンネルを抜けると雨が強くなり宇目の道の駅で雨宿りをする。予定より早めに輪行するか、と考え小降りになった雨の中走り始める。
 日豊本線に出たところにある北川駅に行き時刻表を見ると、この駅に泊まる延岡方面の列車は午前8時台の次が午後4時台となり、後4時間以上無いことが解る。この辺の路線はあくまで特急のために存在しているということが良く解ってしまう。直ぐに追いついたF島に「延岡まで行かないと列車は無い。もう少し頑張れ」と声をかけ、雨の中の走行を続ける。
 延岡に到着し、輪行準備して時間が30分ぐらい有るので酒屋に行き麦酒と蕎麦焼酎を購入し、各駅列車の旅を西鹿児島まで楽しみ、ビジネスホテルに泊まる。
3日目 2000年5月1日
走行区間 鹿児島市BHすずや〜三島村民宿ガジュマル
走行距離 23km
走破市町村 1(三島)
累計数 3,100
 硫黄島にF島を誘うが、往復6,420円という交通費を聞き、薩摩半島の焼酎藏巡りをしたいという。甑島に行くことは同意したので明日の夜に串木野荘に集合する事を決めて解散する。
 月に10回程度の不定期船が今日出て、明日鹿児島に帰ることを確認してあったので港に向かう。地元の人に聞いても三島行きは北埠頭か南埠頭か解っていない。理由は良く場所替えをさせられるかららしい。港に着くと屋久島や種子島行きの旅客は列を成しているのに、三島行きは数人が居るぐらいだ。船もあまり大きくない(翌年に新造船を投入したと聞く)。まぁのんびり出来て良いだろうと手続きを終え島のパンフレットを片手に乗船し9:00に出航する。
 甲板に上がれば明らかに旅行者と思われる人が数人居る。3つの島を5日間かけて全て回る人や、硫黄島で4日間テント暮らしをするアベック、俊寛の取材で訪れた記者の女性などだ。乗っている人達も他の旅行者とちょっと違って楽しくなる。
 柔らかそうな毛をまとった竹島に到着。毛のように見えたのは全て竹であった。その優しげな姿に対し、遠く見える硫黄島の暴力的な風景が目に付く。近付くに連れ本当に火山島に来ているのだと実感する。誰も住めないような火山を回り込むと集落が現れるが港は赤錆色で覆われている。温泉の影響と言うが実際に見ると不気味である。船が着岸するとお巡りさんがタラップを架ける。今後続く離島の旅ではよく見るようになる風景だが、最初は驚いた物だ。
 港に13:10に上陸し、まず宿に着替えなどを預け、島の反対側にある坂本温泉に向かう。途中の俊寛堂に寄ると孔雀が飛び立って行った。誰も居ない坂本温泉で最初の入浴。のんびり暖まっているとさっきのお巡りさんがバイクで巡回してくる。湯を上がりながら世間話をする。次いで硫黄岳登山に取り掛かるが山頂まで行けないこともあり海を見下ろす場所で引き返す。またたっぷり汗を流したので待望の東温泉に入る。しかし熱くて浸かれない。後から来た神経麻痺の治療のため連泊中という湯治客は朝夕が冷めてて良いとの事であった。
 翌朝の訪問を決めて恋人岬に向かう。ギヤ比1:1で何とか登れるような急坂を立ち漕ぎしていると後ろから役場の軽四が来る。道をよけると女性記者が助手席に乗っている。役場の男性にはここを押さずに登っている自転車を始めてみたと言われる。岬から見下ろす港の風景は壮観である。安徳天皇陵に寄り、宿に帰ると食事の時間である。島のタケノコや魚が美味い。同じ宿に泊まったトイレの汲み取りで回っている人と仲良くなり、焼酎を延々と飲み続け、何で孔雀が残りホロホロ鳥が絶滅したか、等の話を聞き、気持ちよく眠りに付いた。
4日目 2000年5月2日
走行区間 三島村民宿ガジュマル〜串木野市串木野荘(輪行1回含む)
輪行区間 JR西鹿児島駅→JR東市来駅
走行距離 12km
走破市町村 0
累計数 3,100
 朝から酒を抜くために東温泉まで行く。早朝なので温度も熱く無く適温で、海を見ながらの野天風呂はとても気分がよい。湯の成分も明礬が一段ときつそうだ。入浴している島の人に聞くと脱衣場は何度も作ったが全て台風で壊されたと言うことである。この環境を維持する大変さも理解できる。出来れば多くの人に知って貰いたい温泉だ。
 帰りの船は10:15に硫黄島を離れ14:15に鹿児島港に到着する。西鹿児島駅前で少し遅めの昼食に薩摩ラーメンを食べ、東市来までの短い輪行をして湯之元温泉に入り、集合場所の串木野荘に着く。F島が美味い焼酎を入手してきてくれていた。
5日目 2000年5月3日
走行区間 串木野市串木野荘〜下甑町竜宮荘
走行距離 58km
走破市町村 4(里,上甑,鹿島,下甑)
累計数 3,104
 8:15の高速船で甑島に渡り、9:10に最初の港である里村で降りる。そこから海岸沿いに半時計回りに進み、長目の浜展望台に到着。この素晴らしい風景を見ないままの人が大勢居るのだろうな、そう思うと残念になる。交通の便が悪いところはこれだけの財産を持っていてもなかなか見向きもされない事に、一部有名な観光地に大勢の人が集中し、渋滞とかを発生させている状況に憤慨もする。
 長目の浜展望台から瀬上に進み、甑大明神大橋を渡って中島を抜け、綺麗なアーチ橋の鹿の子大橋を渡って中甑島に至る。この島の平良集落で道路が終わり、自走による甑島縦貫が出来なくなる。ここから下甑島に渡るフェリーは3時過ぎになり、ここで4時間近く待った上、下甑に渡ってからは上り下りのきつい道路を全力疾走することになってしまう。その為の解決は備前編と同様に漁船をチャーターする事である。そこで港の漁師さんに鹿島町蘭牟田まで5000円で2人と自転車2台を運んでいただけるようお願いし、交渉成立である。なお、金額はこちらの提示額であるが後に沖縄の伊是名から伊平屋に渡るときの営業船がこの金額だったので適正だったようだ。
 蘭牟田瀬戸を越え鹿島町へ。F島は漁船で海に出るのは初めてといい緊張気味である。無事に着岸し、予想通り起伏の激しい道に向かい風が重なり、だいぶ体力を削りながら南下は進む。さすがに時間も読めてきたので観音滝でゆっくり休み岡を一つ越えれば宿のある手打集落である。古い街並みが落ち着いており、またぶらっと立ち寄った吉永酒造場で作っている瓶壷による仕込みの芋焼酎はF島が2日賭けて探し回った薩摩半島の銘酒にも負けない美味さであった。ただ、美味すぎたために生で飲んで早く寝てしまったことが残念である。 釜山に行く(2/2)へ