No.97 島並編      日本を走る ←No96備後編No98釜山編→
旅行期間 1999年4月27日〜1999年5月8日 旅行日数:12日間
総走行距離 965km
走破市町村 67
同行者 F島 使用自転車:GT
総費用 159,230円 当時の年齢:35歳
初日 1999年4月27日
輪行区間 木更津BS→羽田空港→福岡空港
走行区間 福岡空港〜武雄市武雄温泉YH
走行距離 105km
走破市町村 6(那珂川,背振,大和,東与賀,芦刈,福富)
累計数 3,029
 いよいよ待ちに待った唯一自転車で走れる本四ルートの尾道今治の全線開通の報道があった。それもGWに合わせるように5月1日の開通である。この区間を走行することに合わせて走ろうと取って置いた区間が沢山あるので、それらを合わせて一気に走る旅に出た。
 アクアライン開通後はエア輪行が容易になったので今回も朝早いアクアラインバスで羽田に出てスカイマークの第1便で福岡に飛び福岡空港から走行の開始である。福岡で自転車を組み立てていると、時計を持ってきていないことに気づく。携帯電話で時間は解るが走行中にいつでも見れないとペース調整がしづらいのでホームセンターを探しながら進み博多南駅近くで腕時計を入手。そのまま那珂川町を走り抜け385号線で峠を越えて佐賀県に入る。
 背振村まで往復した後、大和町から佐賀市を突き抜け有明海沿いに出る。4月なのにとても暑い。休憩に飲んだ佐賀市の喫茶店のアイスコーヒーが美味い。福富から白石を抜け武雄温泉に着いたら元湯に入り居酒屋で夕食を取りながら軽く一杯やって山の上に建つ武雄温泉YHに登って泊まる。
2日目 1999年4月28日
走行区間 武雄市武雄温泉YH〜本渡市天草YH
輪行区間 長崎市→本渡市天草YH
走行距離 77km
走破市町村 4(川棚,東彼杵,大村,多良見)
累計数 3,033
 YHで朝食を食べて出発、有明から波佐見を抜けて川棚に出て大村湾沿いに南下する。諫早の眼鏡橋を見てから34号線で長崎方面に向かう。矢上で昼食にチャンポンを食べていると携帯が鳴る。「私は昨日長崎YHに泊まり、今長崎観光を終えたところですが、そちらは何処にいますか」とF島が公衆電話から掛けて来た。私も長崎市内で早めの昼食を取っていると伝えると合流しますかと聞く。当初計画で有れば西海編の逆を辿るように茂木港から富岡港に渡り、島の北側を鬼池港まで走ることで九州編と軌跡を繋げようと考えていたが、天気がハッキリせずモチベーションが上がっていないので「宜しい。迎えに来なさい」と答えてしまう。
 そんなわけでこの日は午前中で走行終了。F島の車に自転車を積んで雲仙温泉に入り、普賢岳の火砕流で埋まった家を保存した展示施設を見て口之津から鬼池に渡って天草YHに到着する。西海編でキャンセルした件を話すが覚えていないと言われガッカリする。YHは素泊まりにして自転車で本渡の街中まで夕食を食べに行く。天草の肴と焼酎を味わって宿に戻るのであった。
3日目 1999年4月29日
輪行区間 天草YH→新和町役場
走行区間 新和町役場〜人吉市くまがわ荘
走行距離 127km
走破市町村 8(新和,栖本,倉岳,龍ヶ岳,姫戸,坂本,球磨,人吉)
累計数 3,041
 天草下島で唯一走り残した新和町の役所前までF島の車で運んでもらい、そこから走行開始。天草の軌跡が切れ切れになっているがそこは目を瞑る。
 海岸沿いを駆け上がり瀬戸大橋を渡って天草上島に入り島の南側になる266号線を東に進む。目と鼻の先に御所浦町の横浦島などが迫るが今日はそこを往復する時間がないので未走破のままで先送りをしてしまう。
 松島に到着したら時間短縮と体力温存を兼ねて八代までフェリーで渡る。八代で焼き肉定食を食べたら球磨川沿いの219号を人吉に向かって進む。適当に疲れたときに球磨洞に着く。入場料1,050円であるが学生時代と経済価値が変わっているので見学することにする。この積み重ねが北陸編と同じような日数で13.4倍の費用を費やす結果になると思うのである。
 予想より早い午後4時にくまがわ荘に到着する。夕食まで時間があるので人吉市内観光に出かけ城や寺を見て人吉温泉元湯に浸かって帰ってくるとF島が熊本観光を終え、焼酎を買い込んで宿に着いている。今夜も球磨焼酎祭りである。
4日目 1999年4月30日
走行区間 人吉市くまがわ荘〜日向市民宿金ヶ浜
走行距離 168km
走破市町村 14(山江,相良,錦,深田,須恵,免田,上,岡原,多良木,湯前,水上,椎葉,諸塚,西郷)
累計数 3,055
 日本の国立・国定公園の中で九州中央山地国定公園だけが訪れたことがなかった。その最後の日を迎えるが、それは厳しい山岳戦になることを意味している。幸い天気はかなり良い。この日のF島は市房山登山である。
 人吉盆地には小さな自治体が分散しているので、それらを効率よく走るためのルートは事前に研究済みで、それを忠実に辿っていくとかなりの時間を要して湯前に到着する。そこからダムサイトまで急に登り、一息休んだ後湯山から長い峠道になる。ここまでは薩摩編の時にW辺の車で来ているのでここからが未知の世界だ。
 もう頂上だろう、という思いを何回も裏切られてやっと県境である標高944mの湯山峠に到着。僅かなダウンヒルの後265線で標高1,050mの飯干峠を越えて椎葉村に降りる。40年以上前に出来た上椎葉ダムの巨大なアーチが新緑にとけ込んでいる。
 椎葉村で炒飯を食べ、耳川沿いに黙々と海を目指して進み、10号線に出たところでF島に追いつかれる。予約してある民宿に直ぐ到着し、宿の前の砂浜で飲むビールは最高に美味かった。
5日目 1999年5月1日
走行区間 日向市民宿金ヶ浜〜津久見市第一ホテル
走行距離 212km
走破市町村 15(門川,北郷,北方,延岡,北川,北浦,蒲江,佐伯,米水津,鶴見,弥生,直川,本匠,上浦,津久見)
累計数 3,070
 九州編の臼杵と日向の間の海岸線も尾道今治開通まで大切に取っていた所であり延岡という大きな町が未走破のままになっているので気合いが入る。なお、F島は高千穂見学の後、今夜大崩山登山口に泊まり明日登るという事で2日間別行動になる。
 宿から北上すると門川町から五十鈴川に沿って西に進み北方町へ越えて五ヶ瀬川に沿って降りるなど虱潰しに力を入れる。延岡から10号線を進み北川を過ぎると道も細くなる。少し走り10号線を離れ海岸に向かう。屈曲と上り下りの多い388号線を進み蒲江から佐伯に入る手前で県道海側に向かい米水津村と鶴見町を走破して388号線に戻り、今度は217号線で内陸に入り弥生町、直川村、本匠村を走破して佐伯の町に戻るなどなかなか前に進まない内に夕暮れを迎える。
 落ち着いた城下町を見ながらもナイトランを覚悟し、宿は津久見市に予約を取る。
 上浦で完全に暗くなり、津久見に着いたのは9時近い時間だった。駅前も閑散としていたが居酒屋で夕食を取るのはいつもの通りである。テレビニュースは今日の尾道今治ルート、通称しまなみ街道の開通を伝えていた。
6日目 1999年5月2日
走行区間 津久見市第一ホテル〜伊予市プリンスホテル
走行距離 136km
走破市町村 8(佐賀関,三崎,瀬戸,伊方,保内,八幡浜,長浜,双海)
累計数 3,078
 いよいよ四国入りの日である。朝6時から走りはじめ217号線を佐賀関に向かうが港から出ていく船を見ながら港に着く。しまなみ街道開通の影響で積み残した車やバイクが港に沢山居る。売場では次の船に乗れる確約は出来ないと言われるが自転車で積み残されたことは今まで一度もないから安心して朝食を食べに行く。
 この佐賀関三崎フェリーは昔道路公団が運営していたもので、この航路や佐田岬半島も尾道今治開通を待っていた所である。船は何ら支障無く一番に乗れる。豊予海峡を渡ると佐田岬燈台が見える。そこまでの山の連なりを見ると先端に行く気が無くなり岬から197号線の新道を東に進む。両側の海がとても綺麗である。
 八幡浜で電話帳を頼りに松山の宿を取ろうとするが何軒電話しても満室である。10年前の石槌編では松山の宿に苦労しなかったので、これも開通効果だと諦めて近くの伊予市に宿を確保する。大洲に出て城を見学し長浜経由で伊予に向かう。そのうちF島から携帯に電話が入り松山が取れなかったことを伝える。
 佐田岬を省略した分と松山より手前にした分の時間が有るので双海町の海を見渡す喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら夕方を待ち、のんびり宿に着き後から来たF島の車に自転車を収納し明日に備える。
7日目 1999年5月3日
走行区間 小松町196号線終点〜因島市BH宮島
輪行区間 伊予市プリンスホテル→小松町196号線終点
走行距離 102km
走破市町村 7(東予,朝倉,吉海,宮窪,伯方,瀬戸田,因島)
累計数 3,085
 宿を早く出て道後温泉に行ってみるがものすごい人の列に朝風呂を諦める。車で11号線を進み196号線の分岐交差点で自転車を降ろす。F島もしまなみ海道だけは走りたいと自転車を積んできているので車は今治市役所周辺の駐車場を探して今治城で待っているという話になり若干の別行動をする。
 196号線を走る車のナンバーを見ていると本当に日本中から集まってきていることを理解する。開通3日目はまだ早かったかな、と少し後悔するうちに今治に到着し自転車のF島に合流して早めの昼食を取る。
 そして糸山公園で来島大橋の観賞をしたら、いよいよメインの四国から本州への走行をはじめる。歩道に入ると沢山の歩行者と自転車で思うように走れない。それだけゆっくり橋が味わえるものだと考え、のんびりと橋を渡る。
 沿道の各所で記念イベントが開催されており、伯方で珍しく記念切手などを購入する。大三島ではF島のリクエストで九州編以来となる大山祇神社国宝資料館を見学。多々羅大橋で広島県に入り、混雑する耕三寺を素通りして生口橋で今夜の宿を取っている因島に到着する。因島市走破をもって日本の全ての「市」の走破が完了し残りは全て町村だけになった。
8日目 1999年5月4日
走行区間 因島市BH宮島〜因島市BH宮島
走行距離 7km
走破市町村 4(魚島,弓削,岩城,生名)
累計数 3,089
 天気予報通り朝から雨。当初からこの日は停滞の日だったのでどうせ降るならこの日で良かった。F島は船で車を取りに向かう。私は社員寮のようなこのホテルを後にして島巡りの旅に出る。
 まず土生から魚島行きの船に乗るが島についても雨で動けない。1時間後に折り返すまで近くの食堂で朝食代わりにラーメンを食べる。魚島からの船は弓削で降りて佐島大橋を渡り船待ちの間にお好み焼きを食べる。佐島から岩城島、岩城島から生名島に渡り、生名島から土生港に帰れば島巡りも終了。5航路、計2,600円の船の旅だった。
 因島に帰ってきたのが3時前だったので洗濯したり街歩きようの衣類や今夜の酒やつまみ等を買い物して、日常の生活のように過ごす、のんびりした休暇になった。なお、F島は渋滞に巻き込まれ大変な思いをしてきたようだ。
9日目 1999年5月5日
走行区間 因島市BH宮島〜尾道駅前
輪行区間 尾道駅前→比和町新比和温泉
走行距離 31km
走破市町村 1(向島)
累計数 3,090
 そして実質的な旅の最終日を迎える。この先にある広島県や岡山県にも未走破の土地がまだまだ残っているのであるが尾道今治走行に主眼をおいた企画だったから橋を走り終えた後で余韻を濁したくなかったのである。
 昨日の雨が通り抜けた爽やかな天気に朝ものんびり出発する。因島水軍城を見学してから因島大橋で向島へ渡る。そこを走り抜け尾道大橋で渡れば本州の陸地に到着する。F島との待ち合わせの駅前フェスティバル会場に向かい走行終了。
 車に自転車を積んで、歩きで尾道市内を散策し、尾道ラーメンを食べて助手席に乗り込む。F島の企画で比婆山に登ろうと言うことになり、イベント会場でもらった広島県の観光地図から広島県北部の温泉を探し、比和町の宿を予約。北に移動して翌日の山に備えるのであった。なお、広島北部にはしまなみ街道開通の影響は何も生じていないようであった。
10日目 1999年5月6日
移動区間 比和町新比和温泉→浜坂町浜坂YH
11日目 1999年5月7日
移動区間 浜坂町浜坂YH→吹田市江坂福島友人家
12日目 1999年5月8日
移動区間 吹田市江坂福島友人家→自宅
 自転車が終わってからが長い道のりになった。10日目には朝から比婆山に登山をして、下山後の汗流しに岡山編でトンネル内しか居なかった関金村が心残りだったので関金温泉に入り浜坂YHに泊まる。
 翌日はF島が枚方に居た頃入会していた山岳会の飲み会にオブザーバー参加しその中の1人のマンションが江坂にあったのでそこに泊まる。そして12日目にアクアラインを通ってやっと木更津まで帰ってくるのであった。(次回は釜山編