おまけNo.4 | 石垣編 | |||||||
首里城 座間味のザトウクジラ DIVライセンス取得講習 野底岳 唐人墓 牛と孔雀の黒島 黒島でヤシガニそば 宮古でシーラ 平和の礎 牧志公設市場にて |
旅行期間 | 2006年2月12日〜2006年2月23日 | ||||||
当時行っていた区画整理事業も工事が完全に終了し、年度内に組合の解散まで至ることが確定した。従って設計と工事の監理を担当し、行政協議を行ってきた私の仕事も無くなることが明らかになった。 そこで暇を見て取ろうと思っていたダイビングのライセンスを取ることを決意した。しかし2月中となると日本でも泳げる場所は八重山か小笠原に限られてしまう。ポジティブに考えると世界有数の透明度を誇る海でライセンスを取れるという喜びを味わえるのだからのんびり八重山の旅をしようと考え始めた。旅の計画を始めると他に色々行いたくなり、結局11日間の贅沢な旅を行うことになってしまった。 12日の羽田発8:05の飛行機で10:50に那覇空港に到着し、日本最南端の軌道交通である沖縄モノレールで終点の首里まで行き、そこで自転車を組み立てる。首里城を見学した後、泊港まで駆け下りて座間味島行きの高速船に乗る。高速船では自転車は手荷物にしてくれと言われ輪行する。座間味の手前の阿嘉島で降りて自転車を組み立て慶留間島や外地島まで走って来て再度輪行し、村営船で座間味島に渡り沖縄リゾートのお世話になる。 13日は朝からスーパーホエールという、ずっと海でクジラを探し続ける船に乗る。厭きるほどブローやテールを見ることが出来たがジャンプを見ることが出来ず物足りなさを覚える。ただ子クジラが近付いて挨拶してくれた時には船上のみんなが大いに盛り上がった。6時間のウオッチングを終え、高速船で那覇に戻り、その夜の石垣行きの船に乗る。船の中で泡盛を飲みながら教材を読んで明日の予習をする。 14日の8:45に石垣港に着くとハミングバードの谷岡さんが迎えに来てくれていた。面識はなかったが、私が輪行袋を持っているのを知っているので一目で分かる事になっている。早速その日から学科の講習を開始する。シーズンオフなので生徒は私1人だけである。初日は講習だけで終わり、輪行袋に入ったままの自転車を谷岡さんに預けて車で宿に送ってもらう。夜は歩いて街中で麦酒と沖縄料理と泡盛600ccで満足して眠る。 15日は実地講習である。ショップの船で幻の島と言われる浜島に着き、機材の装着等の実践、その後ポイントを竹富島アッコブイに移動し浮力調整等の実践を受ける。港に帰る途中でマンタの通過も船上で見る。昼食後は日航八重山ビーチでビーチエントリーや非常時の対応を実践する。それぞれの実施場所が贅沢で八重山に来て良かったと感謝する。その夜も前夜と店を変えて泡盛600ccを空けて寝る。 16日は講習の最終日で、石垣島ギラピー沖で潜る。講習だけでなくゆとりの時間で八重山の水中ガイドをしてもらう。水中世界はとても綺麗であった。講習が終わってからもボートを珊瑚礁の上に止めたままシュノーケリングを楽しませて貰う。昼食後に講習を受け、100問のペーパー試験を受ける。予習が生きているし共通一次の頃から四択は得意なので、ほぼ完璧に回答し講習は終了する。そしてやっと自転車を組み立てて宿に帰り、今日も新しい店で泡盛600ccを空けて寝る。 17日は自転車で石垣島一周に出かける。最初に沖縄県最高峰の於茂登岳を登ってから回るつもりであったが天気が悪く後に回した。石垣から選抜出場を決めた八重山商工高校の前を通り、白保、玉取崎を経て米原に着く。14年前の琉球編で銭湯で会った青年のようにキャンプ場に住んでいる人は居るのだろうかとか気になる。前にも来た川平湾に着き遊歩道を散策して石垣に向かう。唐人墓に着いて由来を読むと阿片戦争後の中国庶民の悲劇や琉球王国の志が見え、なぜその後日中戦争に進んでしまったのか等と思いを深くする。午後2時過ぎに宿に帰るが小雨が降り始めており観光は止める。市場で土産物を買ったり洗濯したりして時間を潰し、居酒屋が開いたら、今日も新しい店で泡盛600ccを空けて寝る。ちなみにこの日が私の42才の誕生日であった。誰も祝う人が隣に居ない誕生日であった。 18日は離島桟橋から黒島に渡る。港から黒島研究所まで走ったら雨が降り始めて来た。施設内の展示や海亀の子供を見て時間を潰すがまだ止む様子はない。ふと棚を見ると『光の島』が全巻揃っているのでゆっくりと読書させて貰った。雨も上がったので民宿のどかで受付を済ませてから黒島展望台、伊古桟橋、黒島灯台や西の浜等を見て回る。小さく平らな島なので自転車を使えば移動は簡単である。宿に帰り風呂に入り、夕食後は宿提供の泡盛で宴会である。回りから注がれるままに飲んだのでどれだけ飲んだかも解らずに寝てしまった。 19日は流石に二日酔いである。その上雨なので本棚から『寄生獣』を持ってきて全巻読むうちに昼になる。宿に感謝を伝えて、昨夜予約してもらったヤシガニそばを食べに行く。昨日宿で一緒だった人達がだんだん集まり始める。離島の時間はのんびりしているし、黒島に来るような人達は気持ちよい人ばかりなので嬉しくなる。味覚より視覚が勝るそばを食べ終えたら、午後の船で石垣に戻り宿に帰る。3日間雨の中を走ったせいか飲み過ぎか解らないがこの日は体もだるく、禁酒で早くに就寝した。 20日の天候は不安定ではあるが時折晴れる。石垣滞在も今日までなので午前中は於茂登岳に登る。昼からはハミングバードのオプションダイブを1本行う。ライセンス取得後の初ダイブである。街の直ぐそばに綺麗なポイントがあるというのも流石である。その夜は谷岡さんを誘って石垣最後の夜を味わった。 21日は郵便局に行きダイビング関係品と2日間以外の着替えを自宅に郵送してから石垣港に向かう。那覇までの帰りも船である。ゆっくり読書が出来るので船の旅は大好きである。途中の平良港に16:30に着岸し20:30まで自由時間があるので沖縄編で行きつけとなった居酒屋中山に行き夕食にシーラ等を食べてくる。 22日の6:30という、まだ暗いうちに那覇新港に着き自転車を組み立てる。コンビニで朝食を買って公園で食事を取り読書をしながら朝を待つ。8時になったら前日の内に予約しておいた素泊まり1泊2000円の宿(それでも個室内風呂着き!)に行き荷物を預けて14年間の間に変わったひめゆり資料館と摩文仁の丘の沖縄県平和祈念資料館まで走る。 前回来たときには戦後47年目で沖縄戦体験者も多くが元気であったが、既に61年も経ってくると肉声ではなく資料としてどの様に伝えて行くべきかという課題の解決方法を見に行ったのである。そして両施設とも平和教育について真摯に取り組んでいる状況に感心した。あえて要望を言えば平和祈念資料館に現在の米軍基地の状況や返還交渉の概要、辺野古地区の計画など、現状を反映する展示が欲しい所ではある。 資料館をゆっくりと見過ぎたので既に午後2時を回ってしまった。近くで沖縄そばを食べてから那覇に戻り那覇セントラルホテルに併設された日帰り温泉施設である『りっかりっかの湯』に浸かる。湯上がりに牧志公設市場をぶらぶらと歩き、土産を購入しているうちに夕方になり居酒屋で長かった沖縄のバカンスを打ち上げる。 23日は朝7時に起床し空港まで自転車で走り、12:40の便で羽田に飛び石垣編を終了させるのであった。 |