震災から十年経つ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2021/03/12記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
昨日は東日本大震災の発生から十年の節目の日であった。 十年前のその時、今は解体された潮見庁舎で予算審査の3日目の審議が進められ教育費の審議を行う中で揺れが伝わってきた。最初の縦揺れが体感できる大きさだったので巨大地震が発生したことは解ったが、まさかM9クラスの地震を生きている間に経験することに成るとは思ってもいなかった。 審議を一時中断して職員が情報収集に当たっている間、私は一人で屋上に出て周辺の埋立地で液状化現象が起きていないかと見渡したが、液状化でなく東京湾の複数箇所で煙が上がっている事が解った。君津製鐵所からも黒い煙が上がっていたので当時の消防署から消防車が急行していく姿も見たが、製鐵所の煙は溶鉱炉に付着していたコークスの粉が揺らされて飛んだもので火災ではなかったことが後ほど明らかになった。 本震も凄かったが少し遅れて茨城県沖で発生したM7.4の余震では震源が近いだけに揺れが激しく、庁舎の耐震性が低いことが明らかになっている状況の中なので予算審査を中断して全職員が庁舎から退去することになった。因みに予算審査は教育費と公債費・予備費の審査と討論採決を残すのみの状況であった。 駐車場で携帯電話のワンセグでニュース画像を見ていると宮古市での津波が生放送されており、海溝型の大津波が発生している事を周辺の部長に伝え、東京湾に出ている津波注意報も本当に注意すべきと打合せてから職員の邪魔にならないように帰宅した。 帰宅しても高齢の父母はテレビで津波の映像をみているくせに避難などしないと言う。東北での津波なので最悪でも床上程度で済むと考え垂直避難を念頭に災害備品を準備してから一緒にテレビを見続け、飯岡町が被災したこともリアルタイムで理解した。 翌日には完成したばかりの吾妻水門が機能して中里地区の浸水が防止できたものの水門より外側の陸上自衛隊の駐車場で車両の浸水被害が生じていたことや、西口の複数箇所で下水管の逆流等の浸水があったもの被害は少なかったことを知る。 しかし三陸では南三陸町の志津川や女川町、陸前高田市が壊滅的な被害を受けている映像を見ながら阪神大震災の時にはアクアライン工事が忙しくてボランティアに行けなかった悔しさが思い出され、何かせねばと思うものの翌月に迫っている改選の選挙を前に動きが取れない状況に苦悩していた。 その後、原子力発電所が危機的な状況になり、国難の様子が次第に明らかになる中で斉藤議員・鶴岡議員とともに地域手当の削減や議員の歳費削減の発議案を提出して否決され、改選後には最大会派であったフォーラム未来から離脱して羅針盤を設立し、残った議員は自民クラブに名称を変えたこともこの震災が引き金になっている。今回のコロナ禍で職員の地域手当が下がり、特別職や議員の報酬削減が続いている状況を考える隔世の感を覚える。 計画停電があり、燃料や物資を東北に優先的に回そうという意識の元で、選挙活動に街頭宣伝車、いわゆる選挙カーを使わないようにして、それ以降の3回の選挙は全て車両を使っていない。 改選後の事務処理や挨拶回りを終えて直ぐにいわき市に入ったことを皮切りに2017年6月まで岩手県山田町・宮城県気仙沼市及び東松島市・福島県いわき市及び南相馬市で延べ17回のボランティア活動を行ってきた。この経験を元に台風15号の襲来後に設置した木更津市の災害ボランティアセンターでは一緒に活動しながら多くのアドバイスをすることができた。 市役所組織にも課題を感じ、総務課の一部であった危機管理室を危機管理課に独立させるよう何度も議会で提案し、組織成立後は渡辺市長の指揮の元で人員を増やして組織強化したところに台風15号が襲来した。危機管理組織が健全に機能して何とか対応できたが前のままであったらパニックに成っていたと推察されたことなども併せて思い出していた。 東日本大震災は1142年前の貞観11年(869年)に発生した大地震と酷似しており千年に一度の大震災と言われた。そんな事を経験するとは思わなかったが、今年は102年間の1918年に流行が始まったスペイン風邪以来となる世界的パンデミックを経験している。一昨年は観測史上最大の強風となった台風15号による停電や断水と屋根被害が地域を襲い、危機は多様な形で訪れる事を嫌と言うほど思い知らされている。 また遠くない未来には東海・東南海・南海の連動地震、富士山噴火、大型台風による高潮被害も想定されている。東日本大震災で亡くなられた方への追悼や被災された方への支援も重要であるが、何よりその教訓を活かして出来る限り災害に耐えられる社会を造ることが求められている。 そんな事も考えながら3日から昨日までの8日間における房総半島の感染者数も整理してみた。 |
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8日間で80人が増加しているので一日当たり10.00人となり幾分か少なくなっているが昨年の12月中旬まで一桁で有ったことを考えるとまだ多い状況である。因みに一日当たり感染者の状況をグラフにしたものが下図である。 緊急事態宣言で低下しているものの昨年のレベルにまで落ちていないことが明確である。 感染者の累計グラフでも下図の通りグラフの傾きは水平に転じる様子を見せていない。 その一方で木更津市の部分だけを見ると下図の通りで落ち着き始めたよう感じられる。県内では市原市や山武市での増加が目立つが、他の地域の沈静化も願うところである。 緊急事態宣言は来週の日曜日までとなり、その間に桜の満開を越えれば花見感染は抑えられるだろう。しかし年度末の歓送迎会での感染が懸念されるので再延長が必要だという声も聞こえる。 市内でも店を閉める話が多く聴かれる中、本日コストコホールディングジャパンが本社を木更津市金田東に移すことを発表した。東京都中央区日本橋から木更津市羽鳥野に本社を移転した日本賃貸保証の時にも驚かされたが、アクアラインで羽田と直結する木更津市の地の利が高く評価された結果であろうと歓迎する。 議会では昨日鳥居崎パークベイプロジェクトが進み始めたことの説明もあった様に木更津市には明るい話題が続いている。だから今は苦しいかも知れないけど希望を捨てず、もう少し持ちこたえて欲しいと東日本大震災の被災者に思いを込めたように、今は市内の多くの自営業者に願いを届けるよう今回の記載を行った。 |