7年目のフクシマで思う | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2017/06/06記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この週末は近隣市の友人7人で南相馬市小高区にボランティアへ行った。私にとってはほぼ2年ぶりのことのような気がして自分のHPを整理してみたところ、下表の通りであり、南相馬では5回目、通算では17日目になる活動だった。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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震災から1年以内には12回も足を運んでいたが、最近は南相馬市ばかりに、ほぼ隔年で行っているに過ぎないので余り偉そうなことを言える立場ではないが、震災から6年と3ヶ月が経過しようとしていながら放射能被害のため未だに混迷を深めている現場を伝えたい。 都心に直結する道路が封鎖され、長いこと陸の孤島と成っていた南相馬市も震災から4年近くが経過する2015年3月1日に常磐道の常磐富岡ICから浪江ICの間が開通し、圏央道の大栄JCTからつくばJCTの開通もあって木更津から一度も料金所を通らずに南相馬まで到着することが出来るように便利になった。 しかし、相変わらず線量は高く、今回は3.1が表示されていた。寝泊まりするので無い限り影響はないと言われても、この道路を避けたくなる人はまだ居るのだろう。さらに国道6号線はオートバイや自転車・歩行者は通行止めである。そこを車なら良いという感覚も微妙である。 今回ボランティアに入った小高地区は元々15000人程度の人口だったようだがまだ帰還は6000人程度と聞いた。それでも駅前には食堂が開業し、コンビニも増え、少し賑わいを回復していた。活動拠点にした南相馬市原ノ町地区ではホテル需要が多く、市街地での確保が難しいほどであった。その辺りには少しは日常が近づいてる感じはしていた。 翌日の4日はホテルをゆっくりと出て帰路につきながら、今年の3月31日に避難解除となった浪江町と富岡町を見てきた。5月1日の日経新聞によるとこれらの町では帰還者が人口1%に留まっているようで、浪江の市街地で開いている店を探すことは難しかった。 津波被害の大きな請戸地区に行くと残された集会所の二階の窓は割れ、共同墓地では墓石が倒壊したままのものが多く、その先には津波で流されなかった家屋が撤去せずに残されていた。 堤防と港湾の復旧工事は進んでいるようだが、道路の中には津波で流されたのか、段違いに成っている箇所もあり、インフラの復旧も時間がかかりそうである。水田は誰も耕作していなかったが、樹木が生えることもなく適性に管理されていた。 幅の狭い浪江町を抜けると帰還困難地域である双葉町と大熊町である。国道から外れることは許されず、道路際の住宅にも立入禁止のバリケードが並んでいた。住宅や農地にも樹木が生い茂り、原生林に戻ろうとしている状況には声を失う。 富岡町に入り、帰宅支援として約31億円の事業費を投じ、公設民営で営まれている「さくらモールとみおか」を見に行く。帰宅が進んでいないので閑古鳥が鳴いているかとおもいきや、そこそこ賑わっていた。偶然か、空も明るくなってきた。 広野町を抜けていわき市に進について賑わいが感じられるようになり、何より水田に水が張られて苗が植えられている風景がこれほど有りがたいものだと感じることが出来た。 これから浪江町や富岡市では清掃・片付け・引越といったボランティア需要が増えてくるものと思う。今回活動した小高区のボランティアセンターにも我々を含めて33人が集まっているように、意識のある人はまだ多いと思う。なお、これとは別に東京電力のボランティア57人が高速道路近くの草刈などの作業を行っていたようだ。企業の責任とはいえ、大変な事だと思う。 本日関西電力が高浜原発3号機の再稼働を行うと報道があった。関西電力の関係者は、この浪江町を見て何を考えるだろうと思いながら先日の活動報告に換えさせていただく。 |