96.12月上旬の活動記録
 1日から議会が再開され、一般質問が始まる。今回は全て個人質問なので、毎日5名づつ登壇することになる。質問者数は14名なので、3日間連続して行われた後に議案の大綱質疑と委員会付託が行われる予定である。今回もいつもの通り個人的に気になる内容を簡潔に書く。正確な内容を知りたい方は後でアップされる議会の議事録をご覧頂きたい。
共産党 山形誠子議員
 佐倉市などでは産後の女性の日常生活を支援するためシルバー人材センターの業務として『産後支援ヘルパー』が設定されているようだ。本市では今後の研究課題と回答があったが、核家族化や一人親世帯が増えている中では検討に値する制度だと私も思う。一方で、大家族による相互扶助の関係が減っていくことが個人的には気になる。
公明党 岡田貴志議員
 今年から運用が始まった学校給食センターでは、数件の異物混入も生じたようだが、問題点を改善しながら運用している段階であり、センターの業務を知ってもらうため、事前に申し込めば会議室の容量である40名を超えない範囲で見学会と試食会を受け入れてくれることを岡田議員の質問で知った。その場合、中学生の給食費でもある305円が必要。
 港区の行った「緊急医療情報セット」の提案も興味深いが省略する。
共産党 佐藤多美男議員
 千束台土地区画整理事業地内における草敷潮見線の工事費について、ボックスに変更したことで道路築造費が当初の12.8億円から48.9億円に変更になって無駄だという指摘があった。ただ、当初の額には造成工事費が含まれておらず、仮に市が直営事業として行った場合は切土法面の肩まで用地買収が必要なことなど、本来説明せねば成らないような話が噛み合わずに届かず、外野で聞いていて残念だった。
正栄会 大村富良議員
 羽田D滑走路工事と国際化に伴い生じるインパクトを受けるため、木更津市は北風時に羽田空港へ着陸する時に生じる騒音問題の解決と共に、空港関連企業を金田に誘導してくれる事を年内に文書で要望するという報告があった。この姿勢は重要である。
新栄会 橋口武信議員
 県内では流山市だけが『自治基本条例』を制定しており、君津市など8市が協動型の参加条例を制定している。本市でも今議会に『協動のまちづくり条例』が上程されたので、それに伴う住民の参加程度を見て基本条例の制定を考えたいという回答であったが、基本条例は議会でも検討するべきかと個人的には思っていた。
 質問者5人でこの日は終了。明日が私の質問日であるが、この夜は青年会議所の望年(忘年では無い)例会が行われるので、午後6時前に木更津駅西口に集合し、八宝苑のバスで会場に向かう。大勢のOB会員も参加して盛大に懇親を深めてきたのだが、質問の前日の割には帰宅時間が遅く成りすぎたかな、と反省をしたときは日付も変わっていた。
 
 2日も朝から質問であり、最後の5番目が私の番である。昨日は遅かったのに朝から体調は好調である。
F未来 平野卓義議員
 千葉県には9月1日でアクアラインマラソン準備室が設置され、木更津から海ほたる往復のマラソンについて骨子作成中であり、案がまとまった段階で本市に話が来るようだ。高低差と風が厳しいコースになるだろうが、夢があって面白い企画である。本市でも具体化が進んだ場合、それとジョイントするイベントを考えるべきであろう。
新栄会 白坂英義議員
 呉市で国民健康保険を使用する慢性疾患の患者に協力してもらい、使用する薬をジェネリックに変更してもらった所、4450万円の削減効果が有ったことを事例に本市での対応を聞いたが、呉方式ではシステム開発が必要なので「ジェネリックカード」を発行する事業予算を翌年度に計上するという回答があった。費用と効果のバランスが重要な視点ではないかなと個人的には思った。
元気力 高橋てる子議員
 私も着目している山形県川西町の資料を配付し、1日7往復する中郷富岡線のバスに一日乗車して状況を調べるなど、内容に期待される出だしであったが、せっかくの資料や調査を活かしていないことが逆に残念だと思えた。でも公民館の社会教育以外の使用について企画部が検討を進めることが解っただけでも収穫。
F未来 斉藤高根議員
 金田の駐車場事業は本年度の収入を持って回収額が投資金額と維持費の合計を上回り黒字状況に入ったという報告が有った。県と市との間で金田バスターミナルに関する調整会議が10月26日に行われたが、事業主体が決まらずに話が進まない整備方針について、このような駐車場会計の余剰金を基金として残しておく提案がなされたが、検討に値する意見だと私も思う。
F未来 近藤忍の概要は省略。全文は
こちらを参照。
 私の質問も終わり、ほっと一息つき、会派の慰労会をどのようにするかという手配などを行っていた。
 
 3日は4名の質問と議案の委員会付託で本会議が終わり、終了後に基地対策特別委員会が開催される日程である。木更津市は12月議会における質問者は14名なので3日で終わるが、袖ヶ浦市は25名の議員の内、19名が質問に立つので質問で4日間が必要になっている。ちなみに君津市は7名、富津市は12名のようだ。
F未来 鶴岡大治議員
 市内に自治会は216の団体が有るが、要望は26団体から106件が出されただけで、そのうち64件は処理済みという事である。これは年に1回の要望を7月末に受け付けることも影響していると思われ、もっと意見を汲み上げる機会を設けることは重要であろう。自治会加入率が平成19年から比べ、2年間で2.4%減少(72.9%→70.5%)していることも、本市の自治能力のためには危惧される値である。
F未来 石井 勝議員
 緊急医療に対応する輪番性に参加している病院数が平成元年に27有ったものが現在では12に減ってしまい、病院の持ち出しも一晩で20万円以上になるため存続の危機であることや、君津中央病院では本来自由診療であるはずの交通事故にも国民健康保険を使用して、平成20年度には58百万円にものぼっている事などが明らかに成った。お医者さんの市議はやはり視点と知識が違うと脱帽する。
F未来 三上和俊議員
 木更津市の人口が過去最大となっても農村部分では人口減少が続いている。東京近郊に少なくなった農業を活かしたまちづくりは先進事例を見習い、今後の課題であろう。なお、かずさ四市における来春の高卒就職内定率は61.2%で前年より7.3%減少している。しかし631人の卒業生に対し717人の求人がある。決して卒業後の職場が無い状況では無いのだが、需要と供給の不一致が生じているという事か。
正栄会 大野俊幸議員
 本市が小学校の英語教育を全市的に取り組み初めて2年であるが、来春から義務化されると現在の年間15時間が35時間となる。ALTは現在10名であるが、学校数より少ないため常駐でない。予算が許せば増員を考えたいという事であるが、耐震などの優先すべき事項もあるので難しい話になるだろうと思う。
 大野議員の質問で今議会における個人質問は終わり、議案の大綱質疑と委員会付託を行い、16日までの休会に入った。
 本会議終了後、基地対策特別委員会が開催され、来年2月の行政視察を議決し、江川総合運動公園の進捗状況の報告が行われた。とりあえず、来年度予算として地質調査費が要求され、事業仕分けも生き延びているようであり、とりあえず安堵するが、今の国政は一寸先が闇である。
 この夜には海上自衛隊主催の「第22回海の音楽祭」を鑑賞に行く。中間に総合高校の太鼓と演歌が挟まる構成で、2時間を超える時間を楽しく過ごさせてもらった。
 
 4日は午前中に溜まっている仕事を片づけている間に、先月末に注文した地デジ対応テレビの取り付けを行う。15年以上使ったブラウン管テレビの処理費は3,360円である。新しいものは録画機能も内蔵しているのでマニュアルが厚く、把握するのには時間が掛かりそうである。
とりあえず、エコポイントの申請を行うが、解りにくい制度だと思う。
  
 午後からは天気がよいので、金田総合バスターミナルを検討するため周辺の現地調査を行い、夕方からは『かずさアカデミア音楽コンクール運営委員会』の忘年会に出席して運転代行で帰宅した。
 
 5日も私的な業務を色々処理しながら、昼間には浜田代議士と保守系市議会議員による食事会に出席し生の国政情報を聞いてくる。永田町も大変なことに成っているようだ。午後には市内で所用を済ませ、その後はパソコンに向かって作業を続けた。まだ、パソコン故障の影響から回復できない事が辛い。
 
 6日の日曜日は朝から良い天気だが、議会中は土日に私的な業務を片づけねばならないので朝から机に向かい続ける。予算案の読み込みなども行うつもりだったが、なかなか時間が取れない。ただ、今回建設常任委員会に付託された市道認定の場所が近所なので、その調査時間が削減できたことはとてもありがたい。
 
 7日は午前中に市内で所用を済ませてから市役所に行き、来年早々の新人議員研修会の案内などを作成してくる。午後からは知人と打ち合わせを行い、その足で造成を始めたと聞いたアカデミアパーク内の東京機械製作所用地を見に行くが、まだ除草・伐採作業の段階だった。
 平成19年春の立地決定の際には平成21年4月に稼働開始の予定だったが、近年の経済状況等で着手が遅れていたものである。事業が動き始めると明るい気分になるし、就業人口約300人が対岸から移転してくれば、本市の人口も千人近く増加するので、開業の頃には13万都市になるかも、と思って見てきた。
 午後3時に自宅に帰り、4時から岩根駅前で快速停車運動の街頭署名を地域の区長さんたちと行う。すでに回覧で地域の多くの方々が署名を済ませていることが確認できたことに喜び、また駅を利用している多くの方より、この運動の成功を期待され、責任の重さを噛みしめてくるのだった。
 
 
 →
2009年12月中旬の記録