86.5月中旬の活動記録
 11日は朝から娘を小児科に連れていき、保育園に向かう途中で江川運動公園で遊びたいと言う娘の要望を聞いて立ち寄ると、多くの陸上自衛隊員が周辺に展開している。何があったのかと聞くとヘリコプターの部品を落としたらしい。この日の新聞にも書かれていた。
 大規模な捜索に感心しながら娘を保育園に届け、駅前庁舎に登庁して会派室で諸作業を行い、夕方は木更津BALを楽しませていただいた。詳細は
最近思う事に記載したい。
 
 12日は友人とともに約
1年ぶりの南相馬市へ向かう。当初は浪江町でボランティア作業を行う予定となっていたのだが、直前にニーズが無くてボランティアを受け入れないことが解り、昼間に姉夫婦から甥夫婦が遊びに来るのでと誘われいたBBQや夕方から岩根西公民館で開催される公民館運営協力委員会総会等、欠席で返事させていただいたイベントに出るべきかとも悩んだが、出発時間を遅らせ、単に被災地見学の旅として実施することにした。
 楢葉町では町役場の駐車場に建設された復興商店街の「ここなら商店街」が3年間の役割を終えて撤去の準備に入り、一つの食堂はこの日が最後の営業日となっていた。

△楢葉町のここなら商店街
▽浪江町のひと・なみ・まるしぇ
 帰還困難地域では水田に自生し始めた木々が順調に生長している姿を脇目に見て通り過ぎ、浪江町役場の隣で午後2時まで開催されている「ひと・なみ・まるしぇ」を見学する。会場には多くの人が訪れていたが、町役場のHPを見ると震災前に約2万1500人を数えた人口は4月30日現在で2万599人を維持しているものの、浪江町内に居住している人はまだ495人に過ぎない現実を知る。帰還開始から13ヶ月が過ぎての現状には言葉を失うばかりである。
 イベント会場から町内を巡り、津波被害が生じた請戸漁港へ向かう。

△浪江町の請戸漁港の展望台
▽浪江町の海岸に残る被害住宅
 1年前から見ると海岸の防波堤工事は急ピッチで進んでいた。一方、かつては多くの住民が居た請戸地区には居住用の住宅もなく、数軒の壊れた家屋が取り壊されることもなく広大な空間の中に立っている姿が印象的である。浪江町でこの状況だから現在帰還困難地域である大熊町や双葉町では、今後どの様な展開を迎えるのか予想が付かない。取り敢えず出来ることは現状の把握とその伝達、さらに現地で土産等の購入により僅かでも経済活性化に寄与することぐらいかと思うのである。夕方に到着した南相馬市の原ノ町ではホテルのリニューアルが進むなど復興や廃炉事業の最前線として活気を見せていた。
 
 13日は飯舘村の動きも見たくて東北道を経由する回り道で帰宅する。飯舘村の道の駅も多くの人が訪れ、綺麗な復興住宅が目立つようになっていた。何とか賑わいを戻したいと思う村の気持ちも解るが、何時までも復興事業が主になる現状には胸が痛い。
 二本松市で避難している浪江焼きそばを食べてから高速に乗り、午後4時半に木更津に戻る。服を着替え、午後5時からは岩根西地区社会協議会の総会後の懇親会に出席する。総会でも多くの議論が成されたとのことで、地域の活発な活動が頼もしいと思った。なお、この日には国際交流協会の総会の案内も届いていたが欠席で返事していた。
 
 14日は9時から朝日庁舎で議会質問に向けた調整を行い、その後市内で所用を済ませて周り、午後はとても気温が上がり、短パン半袖で机に向かいながら事務所で私的な仕事を片づけた。
 
 15日は午前中に私的な仕事の続きを行ってからHPの更新を行う。午後から駅前庁舎で会派の視察や議会質問に向けた諸調整を行い、夜は消防団の関係者で懇親を深めた。
 
 16日は朝から畑の草刈を行おうと用意して現場に出たものの機械が故障で動きが悪く早めに中止して、その後は終日私的な仕事を行った。
 
 17日は草刈機の修理のため中郷にある農協資材センターに届け、中郷小学校、金田交流センター、金田西調整池等の建設現場を覗いて回る。建物はまだ躯体が概要を見せる状態ではなかったが調整池は概成していた。
 金田から自宅に戻る途中で、江川運動公園の進入路で補償物件となっていたガラス温室の改修工事が始まっている気配がしたので立ち寄って工事の状況を見させて貰う。帰宅すると市より議会質問の打合せに対するメールが届いていたので資料作成等を行った。
 
 18日は午前中に私的な仕事を片づけ、午後からは議会質問に向けた検討を進める。夕方にはHPの更新を行い、夜は友人達のお祝いの宴に参加した。
 
 
 
 
 
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