31.11月上旬の活動記録
 1日は娘を送ってから自宅で前日の荷物を整理し、10時半に家を出て君津市役所に行きかずさ四市議長会臨時総会に出席する。議題はこの日に行う要望事項と行程の確認である。会議後に君津市議会で弁当を食べ、一旦木更津市役所に戻って台風災害対応となる専決処分の概要を聞き、その後は四市の正副議長とともに千葉県庁に行って、君津市選出の川名・平田両県議の立会の元で要望活動を行った。
 
 この日は夕方から木更津商工会議所の総会があり、出席を要望されていたが、要望活動後の四市の正副議長と県議会議員による懇親会が予定されていたため、副議長に商工会議所対応をお願いして君津で様々に意見交換を行った。帰宅後は深夜までHPを更新した。
 
 2日は午前中は娘を子守して過ごし、午後からは翌日の予定で出席できない区の水路清掃範囲に行き、その一部を一人で除草する。その後、潮浜公園に移動して竹製大型遊具の作成に協力し、夜は家族で食卓を囲んだ。
 
 3日は「イベントの特異日」と言いたいほど各種の行事が重なってしまった。まず、8時からは江川漁業協動組合による海岸清掃、8時半からは江川区による水路清掃、9時半からは桜井公民館の文化祭と、それぞれ案内をいただいていたが、全て欠席で連絡させていただき、袖ケ浦駅北口で開催される粕谷候補の袖ケ浦市長選挙出陣式に参列する。
 衆参の国会議員、県内各地の県議会議員、近隣の市議も多数参列する中で行われた出陣式は、国や県とのパイプの強さや43歳という若さの魅力を伝える多くの激励の言葉と、未来の袖ケ浦市のために種を播くべきだという本人の決意で、力強く選挙戦が開始された。私も期待するところ大である。
 出陣式を終えて自宅に戻り、
3年前に天橋立の近くで有ったきりで、連休を利用して京都から里帰りした従妹と昔話でお茶を飲む。
 昼を回り、都内に出かける従妹を見送ってから妻子を連れて潮浜公園で開催されているGLOCAL HAPPINESSの会場に行き、昼食を食べながら様々なイベントを楽しむ。昨日作りかけで終えたブランコも完成していた。
 午後2時を回り、市長とブラインドサッカーの選手によるトークショーが始まるが観客は多くない。会場で目撃した市議は女性消防団として参加していた渡辺議員だけだった。それでもブラインドサッカーの練習の時間になると多くの親子が集まり、家の妻子も含めて楽しい時間を過ごしていたようだ。
 午後3時半に駅前地区に移動するとフリーマーケットは終了した後で、みらいラボを会場に開催されているラボフェスの縁日を沢山楽しんでから駅前庁舎に移動すると中央公民館の文化祭が終わってしまったところであった。回る順序を間違えたようだ。
 立体駐車場に停めた車で妻に八幡様の前まで送って貰い、すっかり日も暮れた境内を会場にして開催されるBOSO SAKE PARTYを見学する。多くの知人の顔もあり、酒を飲んで行けと誘われるが別会場である房スタマルシェが開始される会場のエルシオンへ移動して妻子と合流する。
 この日が雨の予報でなければ夜灯火とも重なるところであったが、翌日に順延と成ったので安心して飲食しながら渡辺市長による冬花火のカウントダウンに立ち会う。市長はこの後に自宅へ帰り深夜の飛行機でナイジェリアを訪問すると言うからハードな日程である。
 私達親子は花火を楽しんだら自宅に帰って風呂に入り、妻子が寝てから深夜までHPの更新を行った。とても行事の多い一日であった。
 
 4日は午前中に買い物ついでに袖ケ浦駅まで足を伸ばして選挙の看板を撮影してくる。市議の欠員は4人であるが補欠選挙は3つの枠を争う形で行われ、選挙後も欠員が1人となる。これは市長選に立候補した塚本元市議が自動失職の形を選んだためであり、議会で議員定数は満たす必要が無いと考えているような姿勢は議会人として悲しい。
 
 午後には西山の区長さんが訪れ、台風で損傷が激しい公会堂は解体して新たに集会所を建設する予定であると聞く。地域のためにどの様な対応が出来るのか検討する必要がある。その後、市内で所用を済ませて回り、夕方は娘を連れて夜灯火会場を見に行く。昨年は竹灯りの設営撤去もしていたが、今年は子守で見学だけなのが歯がゆい。
 駅前通りを港に向かい、人参湯のライトアップ会場で珈琲をご馳走になってから第一小学校に向かう。今年の竹灯りは小学校の会場だけになっていたが、作品の造り込みが素晴らしく、今年は関与していないのに誇らしくなった。娘は人が溢れる暗い会場を走り、危うく迷子に成るところだった。娘を連れて帰宅して、夜は雑件の処理にあたった。
 
 5日は娘を送ってから自宅に戻り私的な仕事を片づけてからHPの活動記録を更新する。昼前に駅前庁舎へ行き会派会議で12月議会に向けて質問項目や年明けの行政視察などの調整を行う。その後は議会事務局と諸調整を行った後に帰宅し、娘を迎えに行って夜まで子守をした。
 
 6日は娘を送ってから駅前庁舎に行き来年に実施予定となった会派の行政視察の原案を作成して議会事務局と調整する。その後は市内で所用を済ませて回る中で金田西地区に行くと、コストコ建設予定地に杭打機が搬入されていた。また木更津の風景が少し変わっていくと実感する。
 帰宅後はHPを更新してから荷物を整え、午後4時に自宅を出て羽田空港に向かう。検査場を通りロビーで夕焼けの富士山を見てからJAL653便で鹿児島空港に飛び、霧島市の宿には夜8時半過ぎに到着した。翌日の会議開始が早いので前泊したが、
15年6ヶ月ぶりと考えると懐かしい記憶が思い出された。
 
 7日は宿を8時に出て霧島市役所に向かい、シャトルバスで国分体育館に行き、午後9時開催の第81回全国都市問題会議に参加する。会議のテーマは「防災とコミュニティ」である。先日の高知は市議会議長会の主催であるが、今回は全国市長会や財団法人全国都市センター等が主催し、昭和2年が初回となる歴史有る会議である。今回の会場も高知と同様に広大な会場にパイプ椅子が整然と並べてあった。
 開会式の後、まずは志学館大学の原口泉教授による「鹿児島の歴史から学ぶ防災の知恵」と題した基調講演があり、次いで中重霧島市長から霧島市の防災の取組と題して主に火山防災についての報告が行われた。報道の過熱による観光産業の被害防止は正確な情報発信という点は勉強になる。
 昼休みには外のブースで観光PRも行われ長い会議の息抜きになる。霧島市も主催者の一翼を担っており、約2千人が参加する大会に伴う経済効果は大きいと思うが、木更津市に誘致するかと考えると悩んでしまう。因みに来年は青森県八戸市で開催される予定である。
 午後からは尚絅学院大学の田中重好人文社会学群長による「災害とコミュニティ」と題した報告があり、街並みが津波で失われた陸前高田市でも夏祭りが行われたように人の心にコミュニティは有ると言われて地域での取組を改めて考えさせられた。次いで松井広島市長から「平成30年7月豪雨災害の取組」、防災科学研究所の中田節也火山研究推進センター長より「火山災害と防災」という報告が続けられた。日本では北海道駒ヶ岳の大噴火以来100年間も巨大な噴火がない状況であるが、本来は火山にも注意を払うべきだという指摘に昔読んだ 「死都日本」(石黒耀)を思い出し、そのリアルな描写が現実のものに成らないことを願った。
 会議は17時に終了しシャトルバスで霧島市役所に移動し、日豊本線を国分駅から隼人駅まで乗車し、夕食を摂りながらホテルへ帰った。
 
 8日も会議の二日目である。追手門学院大学の田中正人教授をコーディネーターに、2人の市長を含む5人のパネラーによるディスカッションが開催された。パネラーが多くてどうかと思ったが進行の整理が良いことと議論より報告を重視していた展開で、解りやすい問題提起を受けることが出来た。
 コミュニティと一言で行っても、その多様性を前提としないで防災は有り得ないという考え方は、我が市で具体的に計画されているのか等の問題点を理解し、会議は11:50に終了した。
 霧島市内で昼食を摂り、大隅一宮の「鹿児島神社」が鹿児島市でなく霧島市に有ることを知ったのでついでに参拝へ行き、空港に向かいながら塩浸温泉龍馬公園や嘉例川駅等の見学も行う。鹿児島でも夕日を見送りJAL652便で羽田空港に帰ったのは午後8時過ぎで、帰宅して早めに床に着いた。
 
 9日は10時から富来田公民館で開催される「万葉集を学ぶ会」を聴きに行き、万葉集で最も読まれた植物は萩、次いで梅で、桜は8位である事などを知る。ゆっくり聴いていたかったが午後からの用事があるので中座して自宅に戻り、アクアラインバスで東京に渡る。
 都内で所用を済ませてから群馬大学工学部コンクリート研究室の同窓会場へ移動する。今回は既に退官している母校の教授も参加されると期待していたが、同窓会の冒頭に「技術仕様書の書き方」という簡単な講義も入り、NPOを立ち上げるなど相変わらず精力的に活動されている事に敬服する。
 JHに入った後輩から共通の知人の現状を聞いたり、建設業界の状況などを聞いているうちに楽しい時間は過ぎて解散の時を迎え、再び東京駅を経由してアクアラインで帰宅した。
 
 10日は娘の保育園でイベントも有ったのだが、私は8時半に農協本店に行き収穫祭の開会式に出席し議会を代表して挨拶する。農協の理事を務めているときには設営側であったが、議長としては挨拶だけでなく、共進会に議長賞を出すことなど、別にやるべき事も多い。会場内を見て周り、買い物して帰宅する。
 晴れて穏やかな日であったが、娘が昼寝をしてくれたため事務所に籠もり溜まった仕事や書類の整理を行い、HPの更新をしていたら秋の日は暮れてしまった。
 
 
 
 
 
 
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