66.10月下旬の活動記録
 21日は保育園から議会事務局に直行して要望活動の準備を確認して帰宅し自宅で事務処理を行い、午後から地域の書要望の確認を行う。午後2時半から千葉県庁に行き議員会派室で高橋県議及び森県議と待ち合わせると、前の要望活動が早く済んだ事もあり予定より早い15:50からかずさ四市議会議長会要望活動を実施する。
 
 今年は木更津市が四市の会長市で、例年だと四市の正副議長の8人で出かける要望活動が今年は感染防止の観点から県庁訪問者を減らすように依頼を受け、両県議の立会の元、私一人で四市分の要望をしたのである。要望内容は河川に関することと道路に関することで有ったため、要望書を河南都市整備部長に提出した後、小櫃川・岩瀬川・国道465号・西河内根場線等、各市の重点要望を説明し、県の対策状況を聞き、その後に意見交換を行った。冒頭に私も建設技師である事を説明し河川の維持管理の向上や親水利用、要望事項にはない交差点処理における公安委員会との協議やアクアラインの渋滞対策としての浮島JCTの交通処理での首都高協議などもお願いさせていただいた。
 最後に提出の記録写真として両県議を交えて撮影し会議終了は16:50と成っていた。県庁も県内各地の市長・議長からの要望が続いて大変だと思うが、前向きに進めていくことを期待したい。この日は遅くなることが解っていたので娘は妻に迎えに行って貰っていたが、保育園から帰るのと同時に帰宅した。
 
 22日は全国自治体病院経営都市議会協議会の研修会が中止になっているので朝から雑件を処理し、昼食にテイクアウトの弁当を購入して食事後に事務所でHPを更新してから議長室に登庁する。
 議長としての執務を処理し、14:45からボリューム会会長である三上議員が航空自衛隊より感謝状を贈呈される場に議長として立ち会い、航空自衛隊補給本部長及び木更津分屯基地司令と情報交換を行う。総務部と諸調整をして午後4時半過ぎに退庁し、少し早めに娘を保育園に迎えに行った。
 
 23日は保育園から議会事務局に直行して会派室で県内議会状況のデータ整理を行い10時から羅針盤の会派室で会派会議を実施する。
 この日の議題は市庁舎整備特別委員会として提言する項目の整理と議会運営委員会に答申した諮問事項の意見徴集及び12月議会での一般質問の項目確認等であり、多様な意見交換を経て会議は12時を回るまで続いた。写真は永原議員に提供して貰ったものである。
 会派室で弁当を食べながら諸調整をして会派は解散し、午後から議会事務局と基地協議会関東支部総会の打合せをする。帰宅して事務所で私的な用事を済ませ、HPを更新してから娘を迎えに行った。
 
 24日はコロナ禍で修学旅行が出来なかった岩根小学校の6年生を対象として一日開催するHAPPY SCHOOLというイベントの中で屋上アートを作成している現場を午前中に見に行く。
 企画はPTAが中心になって検討し、下地の白塗りは岩根西地区まちづくり協議会が協力し、図案はデザイナーに作成して事前に枠取りして貰ったものを子どもたちが塗るもので、天気にも恵まれ素晴らしい作品だった。
 岩根小学校の創立111周年記念事業でもあり2棟有るもう一方の校舎には災害時のためにヘリデザインも記載するという。羽田空港に着陸する飛行機からも良く見える位置なので今後も話題になり、卒業生の誇りとなり、十数年後には同窓会で塗り直し作業が出来れば楽しいだろうと想像しつつ、市内他校での独自事業の様子も気になった。
 午後からは娘の保育園の運動会設営準備に汗を流す。夕方に帰宅してシャワーを浴び、午後7時15分からHAPPY SCHOOLのファイナルイベントの花火を家族とともに見に行く。警備に消防団も出動しており改めて多くの地域の力の集結を感じさせられ感謝した。
 
 25日は早朝に起床して家族総出で娘の保育園に行って高齢者は運動会を見学し、私と妻は設営に協力し、娘の晴れ姿を見守る。
 7:15に私を含めた役員の父親が集合し、様々な演目の道具設置や撤去を延々と行い、運動会が終了した後は明後日からの保育を行える園庭に作り直して16:20まで作業を続けた。反省会には出席せずに帰宅して自らを慰労した。
 
 26日は娘が運動会の代休日なので妻も休暇を取っている。天気が良いので私も午前中は仕事の手を休んで皆で江川運動公園に行き、運動会で啓発されている娘の自転車練習を一緒に行う。午後からは事務所で私的な仕事を片づけた後に「千葉県内市議会実態調査」の資料等を読みんだ。
 
 27日は午前中に議会事務局で諸調整を済ませ、午後からは農協本店で開催している令和2年度「木更津産米」食味分析コンクールの表彰式を見に行く。
昨年の全国大会世界最高米に認定された井尻の石崎さんが優秀賞となり、同じく優秀賞に高柳小学校が輝き、最優秀賞には高柳の安藤さんが選ばれた。静岡県小山町の全国大会を期待したい。
 
 その後、市内で打合せをしてから帰宅し、夕方は娘を早めに迎えに行き、日没後まで近くの公園で遊んでから帰宅した。
 
 28日は全国市議会協議会研究フォーラムin長野が中止になったので、終日私的な用事で過ごす。昼食時に瀧本哲史氏の「2020年6月30日にまたここで会おう」(星海社新書)を読み始めたが面白くて一気に読んでしまった。先に読んだ池上彰氏の「なんのために学ぶのか」とともに現代の「学問のすすめ」に出会ったような爽快感を感じた。夜は友人と街中に出かけ賑わいの戻り加減を体感してきた。
 
 29日は議会基本条例に定義された議会内の研究機関として立ち上がった最初の組織である調整区域活性化研究会が10時より開催されるので出席し、都市政策課・農林水産課・農業委員会事務局の考え方を聞く。私からは調整区域での民間提案を後押しするのではなく市の政策を定めパートナーになる民間企業を募集すべきだと提言した。
 昼食を摂り執務を行い、14時からはみなと口の14区9商店会から連名で提出された「新市庁舎の立地に関する要望書」を國吉副議長・鶴岡委員長とともに市長応接室で受理し意見交換を行った。
 
 みなと口の平野議員は提出者の側として参加しており、議会としては要望書を提出するだけでなく地域の意見を見えるように対応することと、土地の取りまとめに地域で尽力してくれるようお願いした。
 
 30日は朝3:46に起床して荷物を積み込み友人と山に出かける。長野県にある霧訪山に登り鉢伏山荘で泊まる計画で、久々の山小屋で気分転換してストレスが減り免疫力が高まることを期待していたが、山の上までオスプレイの飛行情報が届いて現実世界に戻された。
 
 31日は未明に起床して小屋から山頂に登り、夜明け前の風景を堪能する。氷点下の厳しさでもこの季節の透明な風景は寒さを忘れさせてくれる。あまりに天気が良すぎてこの日に別の山に登ることを辞めさせるほどの満足感で下山して温泉に入り、新蕎麦を食べて早めに帰宅した。
 夕食を摂り、松本で買ってきた日本酒を飲みながら登山記録等をまとめていたら日付が変わってしまった。
 
 
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2020年11月上旬の記録