67.11月上旬の活動記録
 1日は木更津市消防団早出操法大会が中止になっていることもあり、朝からメールの処理等を行った後にHPを更新する。
 10時に妻子を乗せて出発し、さいたま市の浦和でこの日に籍を入れた義弟の新妻の親族との親族間の顔合わせの食事会に参加する。翌日に公務がないこともあり、この夜は妻の実家に泊まる。木更津の自宅からお土産として持っていった渋柿を室内に干す風景に秋の深まりをしみじみと感じていた。
 
 2日は午前中に娘を連れて埼玉県営和光樹林公園へ遊びに行く。陸上自衛隊朝霞駐屯地の脇にあり元は米軍が接収していた土地ということで住宅密集地でまとまった空間は多くの利用者を呼んでおり、平日なのに健康維持にジョギングコースを走ったり歩いたりしている人を沢山見ることが出来た。
 娘と遅めの昼食を摂って自宅でリモートワークをしている妻の元に戻り、夕食を摂ってから木更津に帰宅した。
 
 3日はオーガニックシティフェスティバルに参加するため9時から用意していたが、妻子の準備が終わって自宅を出たのは11時を回っており、会場に妻子を降ろして遠い駐車場に車を回し、歩いて会場入りした。潮浜公園の会場には事前予約が必要という密集対策が執られており、多くの来場者は園内に分散して場所をとり思い思いに過ごしていた。
 
 私も多くのブースを覗き、色々と買い物や食事を行い、時折子守をするなどしてイベント終了時間まで楽しませていただいた。
 一旦自宅に戻って家族を降ろしてから出島に向かい18時からの冬花火を見学する。会場には多くの車が集まり、すっかり市民の風物詩になっているのだと感じる。多くの花火大会が中止になって苦戦している地元の花火製造会社にも、この様な場で少しは励みに成って貰えばとも思っていた。
 なお、この日は陸上自衛隊木更津駐屯地でV-22飛行開始式が行われて報道に公開されている。私はそれとは関係なく帰宅してHPを更新し、翌日から泊まりで法事に参加する準備を行った。
 
 4日は娘を送ってから議会事務局に行き各種の調整や全国市議会議長会基地協議会での国会議員意見交換での課題提出等を行う。帰宅して私的な仕事を片づけ、午後からは市内で所用を済ませて回った。
 夕方に荷物を車に載せてから娘を保育園に迎えに行き、そのまま港区にある妻の会社の前まで迎えに行き、妻の実家で宿泊した。
 
 5日は9月18日に亡くなった義叔父の49日に親族として同席し娘を子守しながら納骨を見守る。川越で行われた直会にも出席したが、蔵街には平日にも関わらず多くの観光客が訪れていた。
11年前に視察して観光対策に力を入れていることは学んでいたが、その財産が今でも続いていることに感心する。
 日没後に帰路に着き、帰宅後は私的に溜まっていた仕事を片づけた。
 
 6日は娘を送ってから駅前庁舎に登庁し事務決済をしていると新火葬場の名称が「きみさらづ聖苑」に決まったことを知る。10時からは総務常任委員会協議会に出席し、下記の議題を検討する。
No 件名 担当
1 令和3年度市政運営の基本的な考え方について 企画
2 令和3年度予算編成方針について 財務
 各委員から多くの質問が出される中、私からは市政運営の基本的な考え方の中にはデジタル化に対応した取組を進めるために最高デジタル責任者を配置する検討が必要なこと、公共施設再配置に含まれる新庁舎や市民会館中ホール及び公設卸売市場への取組を明記して姿勢を市民に示すべきであること、企業誘致用地の確保や人口誘致施策についての施策が見えないことなどを指摘した。
 なお、10時半より陸上自衛隊木更津駐屯地で自衛隊員によるV-22の初ホバリングが行われ、報道に公開されるとともに私も見学することを求められたが委員会日程と重なっているため、永原基地政策特別委員長に写真撮影を含む各種のミッションを指示し出席して貰った。
 11時半からは市庁舎整備特別委員会理事会が開催され特別委員会としての提言を12月議会で発議案として取りまとめる方針が示されるとともに次回の理事会を26日に開催することが決まった。前文で分庁と駅前配置については「やむなし」との表現を入れることや提言する範囲を民間から借用する部分に限ること、議場のレイアウトについては提言とは別に引き続き検討すること等を前提にたたき台が創られることになった。私は議員全員で構成される「市庁舎整備特別委員会」の発議案を同じ構成員である「議会」が議決することに成るのだなと考えていた。
 会議が長引いたので遅めの昼食を摂り、午後から議会事務局と月曜日に開催する基地協議会関東支部総会の運営について調整と確認を行い午後4時過ぎに帰宅してHPを更新し、夜は来年の青年会議所OB会の引き継ぎの打合せを今年度会長・副会長・幹事長及び事務局長で行った。
 
 7日は朝9時前に巌根駅前に集合し法人会木更津北支部の社会貢献活動としてロータリー花壇の花植えを行う。帰宅後に持ち回りの集金当番として町内の区費を15世帯から集めて回り、午後からは江川運動公園に行き娘の自転車練習を行った。
 陸上競技場を利用している団体がいたので様子を見に行くと開設の頃にはスタンド前の土がトラックに上がっていたものが全面芝張りとなって改良されていたことを確認してから帰宅した。
 
 8日は都内と埼玉に住む妻の従妹達に誘われて成田ゆめ牧場で遊ぶことになり自動車にテントやシートを積んで出かける。晴れ間が広がり暖かく、3世帯の小さな子供4人が集まり兄弟のように遊ぶ姿は微笑ましく午後4時過ぎまでのんびりと楽しんできた。写真は娘が私のデジカメで撮影したものである。
 木更津に戻り街中で車を降り、夜は別件の打合せに出席した。
 
 9日は娘を保育園に送り10時過ぎにオークラアカデミアパークホテルに移動して全国市議会議長会基地協議会関東支部総会の開催として設営や来賓として出席する岩国市の藤本議長と一緒に昼食を摂るなど対応を行う。13時に開催された総会では開催都市として挨拶を行い、昨年11月に昭島市で開催した関東支部総会からの支部活動や決算、来年度までの事業計画や予算などを審議した。因みに今年はコロナ禍により多くの会議が書面となってしまった。来年は武蔵村山市での開催となるが感染症の状況が今後もどうなるか気になるところである。
 14時20分にホテルを出て木更津駐屯地に向かいオスプレイとチヌークの視察を行う。下総基地に関係する議長の皆様には年が変われば近くで見ることに成るかも知れないと説明しながら私も日の丸オスプレイを見ながら
4年前に搭乗した米海兵隊のMV-22との違いを考えていた。
 
 バスでホテルに戻り総会は解散となる。副会長・監事・相談役とともに16時半より開催される役員会に出席しコロナ禍での議会運営や基地対応などの意見交換を行う。木更津市における自衛隊と市・議会から成る協議会方式については素晴らしい形式だと他市から関心を持たれた。夜はホテルに宿泊する藤本議長と関東地区会長である綾瀬市議会の松澤議長と食事を摂り20時過ぎに帰宅した。
 
 10日は娘を保育園に送った後に自衛隊脇の道で格納庫からV-22が出されている姿を見る。基地の外への初飛行は午後になるようで、都内での会議のため騒音の状況を確認できないことが残念であるが明日以降も飛行を続けることになるだろうから、その際に撮影も行いたいと考える。
 自宅に戻って雑務を処理しHPを更新し、午後から都市センターホテルで開催される全国市議会議長会基地協議会第98回理事会に副会長として出席する。理事会には協議会に加盟する207市町村を代表し86市町が参加していたが欠席する理事も多くコロナ禍の影響かと感じた。
 理事会では総務省と防衛省の課長から予算に関する説明が行われた後に、要望書の修正や今後の日程及び来年2月2日の総会に提出する議案を確認する。理事会終了後に役員市の議長は海運ビルに移動し16時から基地関係国会議員との意見交換会を行う。私からは木更津市でのオスプレイ暫定配備期間のうちに佐賀の整備が間に合わない場合は国と防衛省の責任において佐賀以外の代替配備先を検討し、その自治体に検討の時間を与えるため早めに連絡相談することを依頼した。
 
 国会議員との意見交換に望む前に永原基地政策委員長から本日のオスプレイの飛行範囲は基地の外に出ないことを知らされる。安全第一は良いことであるが色々調整が必要なようだ。午後5時に会議を終えて木更津に戻り夜遅くにHPの更新を行った。
 
 
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2020年11月中旬の記録