82.4月上旬の活動記録
 1日は未明に起床して雑件を片づけ、HPを更新してから朝食を摂る。新年度になったので娘は進級式が有るが、感染症対策で親も一人に限定されているため仕事を休んだ妻に任せ私は駅前庁舎に登庁する。
 10時半から池田新局長と転入してきた次長・係長と昇級した職員、及び教育委員会に転出する職員に対し辞令交付式を行う。歓迎会も出来ないが議会の運営補助を期待する。右の写真は辞令交付とは全く関係なく観光協会で今週から販売が開始された「御城印」である。
 2017年9月議会で「木更津市の歴史的遺産」として4項目の質問を行った内の2箇所である(他は太田山古墳と太田山戦争遺跡)。「少年自然の家キャンプ場」の名称を「真里谷城址キャンプ場」に変更する検討も進んでいないがこの様な形でPRする事も悪くないと思い売り切れる前に購入したものである。昼前に帰宅して妻から保育園に関する資料を見せてもらい、今後の日程を確認した後は午後からリモートで仕事する妻に代わり娘の子守をする。せっかく良い天気だから散歩に行こうと誘うが、娘は室内遊びの方が好きだったので遊んでいる横で私的な仕事を片づけていると子育て世帯生活支援特別給付金に関する補正予算と市税条例の一部改正が専決処分された事の報告がタブレットに届いた。話は事前に聴いていたが、今年も補正予算は多くなりそうだと感じた。
 
 2日は進級した娘を社会館保育園に送った帰りに昨日から民営化が始まった吾妻保育園を見に行く。大正会の看板こそ出ているが石に掘られた「木更津市立吾妻保育園」の表札2個が残ったままであった。
 先月17日の予算委員会で今年度当初の予想待機児童数は84人と答弁があったが、その後に申込が続き令和3年度の値は100人と3桁になってしまった。今年度内に複数の保育施設が開設される見込みで民営化の効果も期待すると今年度で解消する見込みと聴いているが、早くも黄色信号が灯ったようだ。
 帰宅して午前中は事務所で私的な仕事を処理し、市内で所用を済ませながら街中で昼食を摂った後に小櫃堰公園に車を停めて散歩した。桜の多くは葉桜に成っていたが菜の花が綺麗に咲き、春休みのためか多くの子どもが元気に遊んでいる姿を見ていると知人と出会い立ち話をした。
 自宅に戻りHPを更新してから購入してきた「人新世の資本論」を読み始め、夕方に娘を迎えに行った。帰宅してテレビで台湾の列車事故を知る。事故現場に近い花蓮市は8回も訪れ仲良くなった友人も住んでいる街なので他国の出来事とは思えないほど心配になった。
 
 3日は今年度から会社が統合したため事務処理が忙しく土曜日でも休日出勤する妻を見送ってから終日娘の子守をしながら過ごす。
 午前中は自宅で遊び、午後からは袖ケ浦公園に連れていくと小櫃堰では散っていた桜が満開であり多くの方がゆく春を満喫していた。娘と散歩を楽しんでいると状況を見に来ていた粕谷袖ヶ浦市長と出逢い臨海公園も見てきたことを知る。働き者の市長と別れて帰宅する。
 閉店間際のゆりの里で飲物を購入して帰宅し、子供が寝た後にニュース番組を見ながら第4波の訪れを覚悟していた。
 
 4日は今年の秋に神奈川県から金田東に移住すべく家を建て始めようとしている甥っ子夫婦を歓迎する昼食会を金田のマレーシア料理店で行う。私の姉は始めて行くようで、木更津に多様な店が増えていることに感心していた。これから国際化は更に進むだろう。
 帰宅して午後は事務所の掃除や読書をしながらリモートで日曜午後に仕事を始めた妻に代わり娘の子守をして過ごした。
 
 5日は娘を保育園に送ってから午前中は自宅で雑務を片づけ、昼からイオンモールで一日限りの展示である聖火リレーのトーチを見に行く。
 木更津市の開場だと解るように市のマークが入った背景を置いたらどうかと職員に聴くと、オリンピック以外のデザインが入るような陳列は認められていないと言うことである。トーチの形態が解るように鏡を入れたケースなどは気が利いているが、融通の利かない面も感じながら見学した。
 その後は市内で所用を済ませ、娘を迎えに行き、やはり子守をしながら娘が寝た後は布団の中で読書をしつづけた。
 
 6日は娘を送ってから銀行に行ったりスタッドレスを夏タイヤに変えたり買い物した入り散髪するなど市内で様々な雑用をして回る。
 農協に行ったときに金鈴塚の崩壊が進んでいることを思い出し様子を見に行くと、単管パイプが組まれ立入禁止の看板とともに痛々しく見える。この出土品を国宝にしようと考えるので有れば前方後円墳の復旧とまでは言わないものの、駐車場の設置やを含めて整備を進めるべきだと感じる。
 この日に自衛隊として5機目になるオスプレイが飛来したようであるがその頃は長須賀におり、騒音で気が付くようなことはなかった。
 
 7日は娘を送った後に事務所で私的な仕事を片づけ、岩根小学校で入学式が行われている脇を通り抜けて昼前に駅前庁舎に登庁する。
 昨年の卒業式と入学式に続き今年の卒業式と入学式も感染対策のため参列者は家族に限定され地域の方々と顔を合わせていない。式には出なくても見守り活動等は行われることになるのであろうが、学校の新しい先生の顔を見ることもなく新年度が始まることは気持ち寂しく感じる。
 議会事務局と今後の日程等の諸調整を行い、かずさ水道広域連合企業団議会事務局と打合せを行い、その後は会派室のパソコンを使って雑作業をしてから帰宅し、夜は仲間内で情報交換を行った。
 
 8日は中学校の入学式であるが校門を見に行くこともなく、娘を送ってから事務所に籠もって私的な仕事を処理する。夕方に袖ケ浦に出かけて買い物し、娘を保育園から連れて帰り子守をしながら早めに就寝した。
 
 9日は娘を送ってから登庁し書類決裁等の執務を終え、10時より議員会の主催による令和3年度職員紹介を見届ける。前年度末に31人が退職して37人が新規採用され、部長級昇格6人、次長級昇格8人、課長級昇格13人という中で205人の移動を伴う新体制は、議会事務局を除く紹介者82人中に女性職員が7人と、まだ女性幹部職員が少ないと感じるが市長の意向を反映した組織も多く、今年度の活躍を期待したい。
 会派で打合せをしながら昼食を摂り、帰宅後にHPを更新し、夜は仲間内で情報交換を行った。ワクチンが行き渡りコロナが沈静化するまでにどれ程の店舗が残るのだろうかと心配になるほど静かな金曜日だった。
 
 10日は午前中に自宅で雑務を処理し、昼からオスプレイ反対デモと右翼の街宣車の様子を見に行く。詳細な情報を持っていなかったが吾妻周辺には多くの警察官が集結しデモ隊と右翼が接触しないように待機していた。イオンから貝淵公園方面まで回るように聴いていたので最初にイオンを回ると合同庁舎の近くで右翼の車両数十代と擦れ違った。
 戒厳令のような空気の中で駅前に到着すると、数百人の警官が警備につく中、およそ50人程度のデモ隊が集まり拡声器で話していた。デモ隊より警官が一桁は多くいる状況で、デモ隊と街宣車の双方に迷惑を感じるとともに、警察も県内各地から動員され、コロナ禍の中で大変だと同情する。
 帰宅して子供と遊び、18時から東町第一常会に出席し町内の役割分担や今年度の状況等について意見交換を行った。
 
 
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2021年4月中旬の記録