08.3月中旬の活動記録
 11日は6時半に迎えに来た友人とともに箱根の金時山に登りに行く。気温が高くなるので透明度が落ちていたが金時山の山頂からは綺麗な富士山が見えており、東富士演習場からは砲弾の音が届いていた。ウクライナでは実弾の音が聞こえているので心が安まらないだろうと山頂で思う。
 午前中に下山して仙石原温泉に入浴して着替えて自宅には午後2時に帰り着き仕事を始める。14時46分には事務所にて一人で黙祷を行い、その後はラジオを聴きながらHPを更新する。この日もウクライナでは停戦が叶わず戦禍が続き、木更津市では新規感染者数が54人に達して今月の累計感染者数が昨年の8月を超えて過去3位になった。東日本大震災から11年経った世界は平和から遠ざかっていることが妙に悲しくなった日であった。
 
 12日は翌日に地区の溝払いが有るので、その前に家の周辺の側溝を清掃していたが、娘が保育園で散歩に行った長楽寺が何処にあるのか解らないと妻が言うので太田山公園や真舟中央公園などを案内してまわり、娘のリクエストに応えて昼食を摂ってから帰宅する。
 帰宅後に側溝清掃を続けて、夕方にHPを更新する。この日も木更津市内の新規感染者数は45人で累計感染者数は53百人を超えた。公園でもマスクを着用しているが、気温の上昇とともに暑くて息苦しくなるなと感じており、せめて屋外では外せるように成って欲しいものである。
 
 13日は朝8時から地域の農業用水路清掃行事(溝払い)に参加する。コロナ禍の中で人が集まる機会も減り久々に顔を合わせる人も多い。最初に40人は居たと思う人達もそれぞれのルートに別れて作業を進め最後には6人となって作業を終了する。昼まで時間があったので我が家の排水路も綺麗にする。
 染みついた臭いをシャワーで洗い流して昼食を摂る。慣れない体勢で腰や肩が疲れて読書をしながら静養していると娘が公園に行きたいというので小櫃堰公園に向かう。コストコで買い物した帰りに検索して立ち寄ったという埼玉県の家族連れの同い年の娘に刺激されて、今まで怖がっていた雲梯にチャレンジして出来るようになった。こうやって子供は成長していくのだなと実感して嬉しくなった。
 
 14日は娘を保育園に送ってから事務所に戻って雑務を片づける。昼から会派室に行き感染症の状況を整理しながら翌日の委員会審査報告書に目を通す。13時過ぎに猪口参議院議員が議会を表敬訪問されたので議長応接室で対応し、帰宅後にHPを更新してから家を出る。
 保育園に着く前に潮浜公園に車を停めて富士見大橋を渡り夕日に映える鳥居崎公園の姿を見る。広場に芝生も張り終わり、4日後の開業の日を待つばかりとなっている。全ての施設でアクアコインの使用が可能なようなので、今週中にチャージして於かねばと考えながら娘を迎えに行った。
 
 15日は3月定例会最終日で9時の議会運営委員会から会議が始まる。議題はロシア非難に関する発議案3号と平野議員の辞職にともなう日程の変更である。開始時間が早いのはウクライナの戦況によっては直前に発議文の変更が予想されたためであるが戦況は膠着したままなので当初案のままで発議を行うことになり委員会は速やかに終了したので会派室で緊急会派会議を開催し、令和4年度の代表質問等の役割分担について協議する。4人の会派で副議長を輩出する形になると9月と3月には全く休むことが出来なくなるという事態を受け入れようとする。
 10時からは本会議が開催される。付託省略議案や発議案の上程等で日程は下記のように進行される。
日程 番号 内容(件名とは異なる)
1 - 会議録署名議員の指名
2 - 諸報告
3 - 委員会付託案件の審議
議案29 教育委員会委員の任命 の審議 
4 発議01 議員報酬条例の一部改正
発議02 政務活動費条例の一部改正
発議03 ロシアによるウクライナへの軍事侵攻に対する決議
発議04 障害者虐待防止法の一部改正を求める意見書
5 - 上記発議 の審議
6 - 閉会中の継続審査の申し出
7 - 議員の辞職
8 - 千葉県後期高齢者医療広域連合議員の選挙
 私も予算委員長として付託議案の審議の中で審査報告を行う。来年度予算等について、鈴木・高橋・堀切の各議員からの反対討論と鶴岡・田中の各議員からの賛成討論が行われた後に全議案とも可決され、次いで付託省略議案の人事案件も全会一致で可決される。
 発議1は期末手当の平準化に伴う条例改正、発議2は政務活動費の手続きから印鑑を廃止する改正である。発議3については全文記載する。
 
 
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻に対する決議
 
 ロシアはウクライナに対し、軍事侵攻を強行し、多くの市民が犠牲になっている。
 これは侵略行為であり、国際社会ひいては我が国の平和と秩序、安全を脅かすものであり、いかなる理由があったとしても断じて許されるものではない。
 3月2日、国連総会の緊急特別会合において、ロシアを非難する決議が採択され、世界の多くの国が軍の即時撤退などを求めた。
 唯一の被爆国である我が国にとって、核兵器の使用をほのめかし、原子力発電所へ攻撃を行う行為は、許しがたい暴挙である。
 平成3年1月1日、木更津市民は、平和を誠実に希求し、力を合わせて努力することを誓い、平和都市木更津を宣言した。
 ここに木更津市議会は、ロシアによる軍事侵攻を非難し、人々を苦しめる戦争に反対するとともに、世界の恒久平和の実現を強く願う。
 以上、決議する。
 
 令和4年3月15日  木更津市議会

 
 なお、木更津市の住民基本台帳における登録外国人が2,611人居る中でロシア人は7人であり、ウクライナベラルーシの双方とも登録はない。ロシア政府が悪いのであって木更津在住のロシア人に対する迫害が生じないことも願う。発議4は請願の採択に伴う意見書の提出で、これら発議案は全会一致で可決された。常任委員会及び議会運営委員会からの休会中の継続審査の申し出を採択した後、平野議員からの辞職願いを池田事務局長が読み上げ議会としては異議を唱えず辞職を認めた。これに伴う広域連合議会の議員が欠員になったので石井徳亮議員が残る任期中に議員として出向することを指名推薦の形で決定し、今定例会は終了した。閉会に伴う渡辺市長の挨拶で、市としても非難決議を考えていることと、市長任期中の最後の議会に対する感謝が告げられた。
 
 本会議に引き続き議員全員協議会が下記の3議案で開始される。
番号 内容(件名とは異なる) 関係部
No.01 飛行場周辺まちづくり基本構想(素案)の意見公募 公室
No.02 新型コロナワクチン接種状況等について 子供
No.03 新火葬整備運営事業に係る経過報告 環境
 これらは今月上旬の各常任委員会協議会で説明を聞いていたものであるが、コロナワクチンに関する情報は前回の委員会から12日分も更新されており、君津中央病院の入院患者数が再び増えて、現在は落ち着いていることが解った。病床数は25なので下記期間中には最大で56%までしか埋まっておらず、余裕として11床は残した状況であったことが解って危機的な状況とは思わないが、安堵するのは早いように感じられる。
 
 状況も変わっているので同じように情報を更新すべきと思ったのは、新火葬場の建設状況写真と関連道路の加筆である。建設経済常任委員会で来年は何処を整備するのかの問に予算審査特別委員会の資料を用いて説明するべきだったと思うが、市道234-1号線の延長1220mに対し令和3年度で149m、令和4年度予算では94mしか整備されない予定であり、19.2%しか進捗しない。市道136号線580m、市道135号線490mの整備は具体化していないので近隣市の負担を得ながら何時まで工事を続けるのだという声も聞こえてきそうである。
 議員全員協議会が終わり、退職職員紹介の時間となった。今年度末で退職する予定の職員は43人であるが議会で答弁を多く行った7級職以上の8人が議場で紹介される。中には地域で人生の先輩として指導していただいた方や議会事務局で世話になったもおり、感染症が無ければ送別会を開催して笑顔で送り出せるのにと悲しく感じる。
 ここで正午となり昼食の時間であるが、議員会の役員会議が開催され、ウクライナへの支援として議員会の積立から一人1万円、議会全体では23万円の寄附を行うことを決定した。何処の組織に送ることが効果的なのかは議長と議員会長に一任する事に決めたようだ。
 昼食を挟み、午後1時から市庁舎整備特別委員会が開催される。今回は所管課が吾妻に整備する施設の意見公募準備で対応が難しいのか、委員会における質疑は事前通告の2人に限られていた。そんな中でも西口立体駐車場の使用が来年度末で終了して翌年度から解体が始まることに対し新昭和が建設する駐車場は令和6年度当初完成見込みなので令和5年度は近隣の駐車場を利用出来る制度を作ることが解り、質疑の中でも多くの課題が明らかになった。委員会後には土地開発公社の理事会が開催され鶴岡議員が出席すると聞いたが、私は自らの公務が終了したので退庁し帰宅して雑務を処理する。
 午後5時半から木更津市農協総代会議案説明会に出席するため農協本店会議室に行く。理事の経験も有るので中立的な立場で話を聞いていたが、山口理事長を始め多くの役員が退任することと、同僚である議員が2人も理事候補に提案されている事を知って衝撃を受ける。質疑の時間に入ると総代の中から昨年の同じ会議で私が問題を提議したことを質疑していたので、決まったことでも情報開示をする重要さを感じ、会議終了後に役員に助言する。その後に議会最終日を個人的に慰労するために街中に出たが、蔓延防止等重点措置に従っている店の多さを改めて感じ、飲食店が多い駅周辺の活性化は遠いと感じて帰宅した。
 
 16日は朝6時半に家を出て市長選挙に向けた挨拶運動に参加する。
 
 現職の渡辺市長以外の対立候補が出る気配が無く、市民の間には市長選挙があるという意識がどの程度有るのか解らないが、多くのスタッフと供に長須賀の交差点に立って通過する車に手を振り続けた。
 帰宅して雑件を処理してからHPを更新してから市内で所用を済ませる。帰宅するとオスプレイが2機で飛んでいた。これから編隊飛行訓練が進み、来年度には5機や7機で空を飛ぶことも有るのだろうかと考えながら携帯で撮影した。夕方に娘を迎えに行き、絵本を読んで寝かしつけながら眠りにつく。
 深夜に地震で目が覚め、寝続けている娘を庇う。仕事から帰宅して隣の部屋で洗濯物等の片付けをしていた妻が部屋を覗きに来て、揺れが収まった頃に家の中を点検に行く。私はテレビで情報を得るが幸い大きな津波も無く廃炉作業中の福島原子力発電所で問題が出ていないことを確認して、安堵しながら再度眠りについた。
 
 17日も朝から挨拶活動に参加するため6時45分から桜井交差点に立つ。帰宅してから私的な仕事を処理しようとするがインターネットに接続できない。パソコンやモデムを確認したが問題なく、サーバーが昨日の地震による影響を受けて一時的に使えなくなったと解るまで一日以上を要してしまった。従ってこの日は仕事も余り進まず、事務所の片付けなどを行った。自宅には市長選挙の投票用紙が届けられる。これを行使しなくて済むことを願いながら夕方に娘を迎えに行った。
 
 18日はネット環境が回復したので娘を保育園に送ってから事務所に戻り、午前中に私的な仕事を片づける。雨の中を江川バス停まで歩き14:15のバスで駅前に出る。八剱八幡神社から鳥居崎へ歩き、オープンイベントが終わった商業施設を見て、味わって回る。
 蔓延防止等重点措置が21日に解除されたら、天気の良い日に再度訪れようと思いながら3軒をハシゴして帰宅した。
 
 19日から潮干狩り場がオープンするが、体調が優れないので見学に行かず、自宅で子守をしながら内示が発表された市役所の来年度の人事を確認し、夕方にHPを更新し報道番組を見てから就寝した。
 
 
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2022年3月下旬の記録