石裂山 879m 栃木県鹿沼市 2021年11月06日登山:S井と2人 爆発的な感染拡大を受けてワクチン2回接種終了までは県外での行動を自粛せざるを得ないと考えているうちに秋になってしまった。私は10月10日に2回目を打ち、免疫量が期待できる10月末には国内の新規感染者数が急激に減ってきが、メジャーで混雑する山は避けて古峰ヶ原の帰りに食べた山菜の天ぷらが食べたいからと関東百名山である石裂山(おざくさん)に登る計画をS井と立てた。 朝5時半にS井家に着くつもりで4時過ぎに自宅を出たが赤信号に出会わずに順調に進み30分も装着してしまいS井を電話で起こした。しかし京葉道路から道が混み始め、外環や東北道では渋滞に出くわし、加蘇山神社から歩き始めたのは8:37であった。因みに乗用車が8台とワンボックスのタクシーが停まっていただけなので快晴の土曜日でもそれほど混雑はしていないようだ。 神社の前には平成4年に鹿沼警察署が出した3件の死亡事故も発生した本格的な登山道だと記した看板も有り,、安全を念じて参道を登り神社に参拝して無事を祈る。神社の左の小道を通って登山道に戻り、幾つかの社や苔むした網、数ヶ所の滝を見ているうちに9:04に分岐点に到着する。回遊登山コースは時計回りだから左に進むと直ぐに千本桂に着く。根本保護のため登山道が巻き道に付け替えられて近づけないが神秘的な木である。中の宮を過ぎると険しさを増し半年ぶりの山歩きには堪えるが、鎖や梯子は他の山で見ないほど立派なものであり、それだけ多くの事故が起きたのだなと感じさせる。 岩棚の張り出した奥の院には9:36に到着。信仰の山の気配が濃い。この辺りから紅葉が見頃を迎え、稜線までの登りは少し楽になる。しかし稜線のピークの下りに連続した梯子が架かり、逆回りの登山者が居ると渋滞するだろうとか、アルミの梯子をここまでどうやって運搬したのだろうと興味は尽きない。石裂山の頂には10:38に到着し那須や日光連山を望む。日光の紅葉はより綺麗だろうが渋滞が想定され、この変化の多い山を選んで良かった。先を急ぎ最後のピ−クになる月山で大休止をとりおにぎりとオレンジジュースを飲んだ。前後して歩いていた2組のパーティもこちらの頂で休憩をとっていた。月山を11:11に出発して帰路に着く。下山路は途中に難しい場所もなく安全ではあるが見所もない。分岐の沢で冷たい水を飲み車には12:22に戻り着いた。コースタイムとさほど換わらない3:45を費やしたが、鈍った足腰を鍛えるには丁度良い山であった。 車で麓の神社に移動して参拝すると「石裂山」の大きな額が飾ってあった。こちらに車を停めて登山している組も居るようだ。帰路の途中で南魔ダム展望台に立ち寄り堤体高さ86.5mになるロックフィルダムの盛り土開始前の工事現場を見る。ダムや付け替え道路及び周辺の河川からの導水路建設等を含み1,850億円の巨大プロジェクトは壮観であった。そこから少し回り道をして2年前に感動した「さか家」の山菜の天ぷらを食べに行って満足し、ついでにお土産に大根を購入する。 下山後の温泉として、前回は栃木で入浴したが今回は小山思川温泉に変更した。露天風呂からの開放的な景観を見ながら足の疲労を揉みほぐし、最後は前回購入できなかった小山の酒を「道の駅思川」の売店で購入して日没直後の佐野藤岡ICより東北道に乗った。多少混んでいたものの往路のような渋滞にも遭うこともなくS井家には19時前に帰着し、自宅には19時50分に帰り着いた。ガソリン代は高騰しているもののハイブリッド車の燃費は良く、一人約1500円の燃料費と片道3610円の高速代でのコロナ第5波後の登山旅を終了した。 |
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小沢岳 1,089m 群馬県下仁田町 2021年12月05日登山:単独 週末の天気が良いことが明らかな中で埼玉県の妻の実家に里帰りをすることになった。前回の石裂山で運動不足が明確になっていたので西上州の山に行くこととして展望が優れ交通の便も良い小沢岳を選んだ。千葉の山を除くと単独行は1月の浅間嶺以来であり、標高千mを越える山も昨年10月の鉢伏山以来である。コロナで山から離れていたことを改めて実感する。 朝6時に起床して妻の実家をそっと出て車に荷物を積み所沢から関越に乗り登山口の駐車場から歩き始めたのは8:11であった。既に標高は600mを越えているので標高差は前回の石裂山より少ない。谷間には日射しが届かず気温3℃の中で手袋を付けて黙々と車道歩きを始める。道は至る所で崩壊しており一昨年の台風の爪痕だと思われる。。道路として機能しなくなった道で峠に着き、尾根の小さな上り下りを繰り返し最後に急に周辺が切り落ちてきて9:27に到着した狭い山頂では3人の男性が食事を楽しんでいた。西側の展望が開ける岩の上に出ると八ヶ岳や浅間の白い頂が西上州の山々の上に顔を出し、北には草津の山々が白く輝いていた。ザックを背負ったまま10分ほど展望を楽しみ記念写真を撮って貰い、下山を開始する。途中で5組の登山者と擦れ違い10:34に車に戻り着いた。登山開始から2:23ほどザックを降ろすこともなく水も飲まなかった。 下山が想定以上に早かったので近くの大桁山でも登ろうかと思ったが、下仁田の道の駅でお土産に下仁田葱を購入して観光案内所に立ち寄っているうちに気が変わり、何回も群馬に来ながら行ったことのなかった一之宮貫前神社を参拝することにした。七五三らしい家族連れの多い神社で紅葉を楽しみ、富岡市内に出て食事を摂り、午後1時から入浴が出来る大島鉱泉で汗を流す。午後2時前に富岡ICから関越に乗ったのでまだ道路に渋滞は発生しておらず、ただ三芳PA入口に車列が出来ていたために妻に頼まれた「芋恋」は買えず、妻の実家に戻ったのは午後3時になる前であった。 朝から家の中で義母と遊んでいた娘は公園でボール遊びをしたいというので外に出て、少し疲れた身体で娘と走り回って汗をかいた。日没後に帰路につき、自宅には18時に帰り着いた。 |
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相模大山(4回目) 1,252m 神奈川県秦野市 2021年12月27日登山:S井と2人 年末恒例の山に行く話をS井と詰めていたがなかなか日程が合わない。辛うじて27日なら日中は空くが夕方には帰らねば成らず、近くの山で検討する中、ヤビツ峠から大山に登れば午前中で下山でき、距離も自宅から100kmだから帰りも早いと決まった。個人的には1980年以来の41年ぶりとなるヤビツ峠と2002年以来の19年ぶりの大山である。 今年最強の寒波が訪れ北陸では大雪に成る中、朝5時半に起床して山の準備をしてS井の到着を待つが、車が使えなくなったという事で始発の電車で来るとLINEが入り6:27に巌根駅へ迎えに行く。コンビニで飲物を購入してアクアラインに乗り海老名SAで朝食を食べ展望台に立ち寄り標高761mのヤビツ峠の駐車場から9:09に歩き始めた。 バスから降りた登山者を何組か抜き、霜柱の発達したイタミツ尾根の快適な登山道からは伊豆諸島も見渡せ、標高を上げていけば富士山の展望も開け、神社の鳥居を潜れば10:21に山頂に到着した。 木立も払われた広場からは北は奥武蔵から東の関東平野を経て南は湘南まで180度以上の展望が得られ、寒波のために房総半島や筑波山までも良く見えている。夜景の凄さは知っているが日中の風景も素晴らしいと改めて思う。良い山は何度登っても楽しいものである。 西側に回って富士山を見たり北の奥多摩方面を眺めたりと山頂を歩き回り続けたが10:55から下山を開始し、11:53に駐車場に帰り着いた。今度はヤビツから三の塔でも行こうかなんて話しながら帰路に着く。 街中に入る前に出てきた蕎麦屋の看板に釣られて脇道に入るが残念ながら定休日であった。その代わりもうすぐ開通する新東名を上から見下ろすことが出来た。これが出来れば丹沢が更に近くなり嬉しい限りである。蕎麦屋が休みだったのでヤビツ峠でヒルクライムランの練習をしているS井お勧めの「名水はだの富士見の湯」で昼食を摂って汗を流す。ゴミ焼却余熱を使った良いお風呂を満喫したら、神奈川県酒造組合に加盟している日本酒で、未飲であった瀬戸酒造店の酒がおいてある伊勢原の酒屋に行って正月用の酒を購入し、コンビニで飲物を購入して伊勢原大山ICから新東名に乗って袖ヶ浦駅に着いたのは15時半であった。S井と別れ給油して自宅に帰り荷物の片付け等を済ませてから娘を保育園に迎えに行った。 |
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飯盛山 1,643m 長野県南牧村 2022年01月08日登山:W辺と2人 昨年もW辺のリハビリで行こうと計画しながら日程の調整が難しく房総の大日山に成ってしまったが、今回は調整が可能な2人だけで実行した。仕事を終えて電車で来るW辺を27日の22:38に巌根駅へに迎えに行く。コンビニで酎ハイを購入して我が家で前夜祭を行い泊めた。 翌日は朝4時に起床してアクアラインを渡り標高1450mの平沢峠には夜明けの時間に到着したがトイレが冬季閉鎖であったため赤く染まる八ヶ岳の写真を撮ってから野辺山駅まで降りて用を足し、峠の駐車場に戻って登山装備に着替え、-16℃の空気の中で7:53から歩き始めた。天気は快晴で八ヶ岳だけでなく浅間山もハッキリ見えている。 雪の残る登山道をゆっくり進み平沢山の巻道に出ると今度は目前に南アルプスが広がる。駐車場からわずか35分でこの展望に出会えるというのは何とコストパフォーマンスの良い山だろうと嬉しくなる。霧氷もキラキラと輝き、寒すぎることを別にすれば実に爽快である。目指す飯盛山の横には雲海に浮かぶ富士山も見えていた。 展望の良い道を写真撮影を続けながら進み飯盛山の頂には8:51に到着する。13年前に登った横尾山の展望も好きだったが、開放感の点ではこの飯盛山には及ばない。W辺はこれで2回目の飯盛山登頂であるが暖かな頃とは違う風景に感動していた。 15分ほど山頂で写真撮影を続けていたが後続の登山者が来たところで狭い山頂を明け渡し北側の大盛山[1650m]に移動すると八ヶ岳の長い裾野の上には頸城の山々が真白く聳え、眼下にパラボラアンテナを中心にした野辺山高原が広がる360度の展望が楽しい。最後に平沢山[1653m]の山頂に登って三角点からの展望も楽しみパノラマ写真を撮影する。ここから大盛山の北斜面に旧野辺山スキー場跡のコースと思われる斜面が見える。板を持ってきて下山は滑り降りるのも良いねとW辺と話し、名残惜しい山頂を後にする。雪道をアイゼンも付けずに気持ちよく降りていくと多くのアイゼンを付けた登山者と擦れ違い、人気のある山なのだなと感心する。足首に不安のあるW辺はゆっくりしているので先にカーナビの設定や荷物整理などを行った。因みに私は10:13の下山であり、W辺も10分ほど遅れて無事に下山した。 往復2時間20分はコースタイムを越えているが風景を楽しんでいるので仕方ない。しかしこの短い登山に対して往復の高速代がETC割引を使っても9420円も掛けているのでこのまま帰るのでは勿体ない。そこで平沢山からも近くに見えていたシャトレーゼ八ヶ岳スキー場に行き一日券を3500円で購入して滑り始める。もちろん当初からの計画だったのでスキー道具も積み込んであり、服装は登山の時と足元が変わってゴーグルを着けた程度である。最近はスキーの人気がないとか大盛山の北斜面にあった野辺山スキー場は2007年のシーズンを最後に営業を終えているとか聞いていたが、ここはクワッドリフトに長い列が出来ていた。比較的狭いゲレンデでリフト7回分滑る。 シャトレーゼは小海エリックスキー場も運営していて500円の追加でそちらの一日券と交換できると聞いていたし、小海には温泉施設が併設している魅力を感じて移動を開始したが、公称30分といわれる移動時間には45分を要することになった。松原湖の奥で白樺尾根の標高1400mから1700mにかけて設置されたスキー場の上部からは西上州の山々まで見渡せ気分がよい。W辺は充実したリハビリで楽しいと満足しているが、こちらで6本(合計13本)も滑ると私の足の疲れが限界になり、午後3時に遅い昼食を食べてからリフトに乗って駐車場に滑り込んでスキーの部を終了した。滑り終えたら星空の湯という愛称の温泉に入って雪の残る露天風呂を満喫し、湯上がりにシャトレーゼのアイスクリームをサービスで食べる。スキーの一日券があると500円という入浴料のお得さにも満足して日没後の道を一気に帰路に着き、須玉から中央道に乗ってアクアラインを降りたら自宅近くのスーパーで買い物をして20時半に帰宅し、長い一日の最後に前回の大山帰りに購入した日本酒で夜遅くまで打ち上げを楽しんだ。 翌日は吉野家で朝食を摂ってから9時に袖ヶ浦駅へ送り、W辺と別れ給油してから自宅に帰り、登山やスキー道具の片付けや宴会の跡が残る部屋の掃除をした。 |
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金時山(2回目) 1,213m 神奈川箱根町 2022年03月11日登山:S井と2人 寒い内にもう一度富士山を見に行こうとS井が言う。年度末の日程を調整して11日なら行けそうだと決めたとところ、S井の都合で夕方には帰る必要が生じたため、またも近くの山で検討する中、今度は箱根の金時山に登る事にした。個人的には2003年以来19年ぶりである。 天気予報は4月中旬並みの暖気が入ると予報する中、朝5時半に起床して山の準備をしてS井の到着を待つ。6時半に自宅を出るが、確かに水蒸気が多く木更津市から富士山が霞んでいる。コンビニで飲物を購入してアクアラインに乗り、大井松田ICで降りて箱根金太郎ラインの金時隧道にある標高850mの駐車場から8:55に歩き始めた。 金時隧道より150m低い金時神社からのメインルートではなくとも道は苅り払われて広く、雪も山頂直下の脇に見られただけで基本的に歩きやすいのだが、年度末の仕事に追われて運動不足の身には急坂が苦しく足がつりそうである。外輪山の従走路も展望が良さそうで、今度は鉄道で来るかなどと話していると9:45に山頂に到着した。 大井松田のあたりでは霞んでいた富士山も山頂に立てばスッキリと見え、右の肩には八ヶ岳も見えている。前回は6月だったので景色に満足できなかったが、南関東の山は冬に限ると改めて思う。 人が増えてきたので10:00から下山を開始すると平日なのに次々と登山客と擦れ違い人気の高さを思い知る。下り坂は身体に堪えることもなく駐車場には10:38に帰り着いた。山頂の15分の滞在を含め、往復で1:43の簡単な登山であった。急坂で汗をかいたので仙石原で温泉に入るためトンネルを抜けて箱根に入る。 前夜にスマホで調べておいた旅館に電話すると11時から日帰りを受け付けており、5分前に駐車場に到着する。湯船は狭いがPH2.1で白濁した硫黄臭の強い掛け流しの温泉に満足して冷えた体を温め、山装備から街服に着替えて再び金時隧道を超えて南足柄市に向かう。スマホでランチを検索すると矢倉沢に「足柄万葉古道うどん」なる店があることを知り、そこに正午に到着して昼食を摂る。店の前には矢倉岳を示す道標が設置されており、僅か4シーズン前ではあるが、パンデミックになる前の山を懐かしく思い出す。腰が強く百円でお代わりできる旨いうどんと1本140円のおでんを3本食べて満腹となり、我が家に帰り着いたのは14時を少し回った頃だった。 荷物を降ろしてS井と別れ、東日本大震災から11年目となる記念番組をラジオで聴きながらパソコンに向かって仕事を開始した。S井も自宅に戻って引っ越しする息子の荷物の片付けを手伝ったようだ。 |
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