21.7月下旬の活動記録
 21日は会派行政視察の最終日である。ホテルを8:55に出て市役所に向かうだけなので朝もゆっくりしたものである。旧上野市役所はお城の下に残されていたが伊賀市役所は南部の工業団地に新築されていた。玄関に迎えに来られた議会事務局の職員に旧市役所は取り壊さないのですかと聞いたところ、市長が文化財に指定し議会と揉めていると聞く。余分な話をしないように気を付けようと考えながら視察に望んだ。
 
3.三重県伊賀市
 市制施行 平成16年11月1日(旧上野市は昭和16年9月10日)
 人口 87,794人(令和4年3月31日現在)
 面積 558.23km2
 令和4年度一般会計予算額 435億3969万円
 財政力指数 0.67 (令和2年度)
 視察項目 住民自治協議会について
 視察は近森議長の挨拶で始められた。伊賀市は名張市を除く伊賀国の1市3町2村が合併して新設され、東海圏に属する三重県でも大阪湾に注ぐ淀川源流でもあり生活は関西圏に位置し京都府笠置町・南山城村及び奈良県山添村と定住自立圏形成協定を締結した県境の町である。 内容の説明をしていただいた市の職員は地域連携部住民自治推進課の課長で、市民部市民活動支援課である木更津市より意欲が高い名称だ。平成12年から合併と住民自治についての検討が始まり前日の名張市が平成15年の住民投票で合併協議会から抜けた後も300回以上の住民説明会を経て合併直後の平成16年12月24日に自治基本条例を策定した。平成の大合併で市街地から山間地まで広大な面積となり地域の実情に応じて住民自らが実行できる仕組みを造り地域が自らの責任で決定・実行する事に対して、市は地域の活動を支援し補完するという「補完性の原則」に従い、市内39地区で住民自治協議会が設置された。
 270の自治会は存続しているが自治会連合会は廃止された。自治会が世帯単位での参加であることに対し自治協議会は個人単位の参加で出入りは自由と定めている。名張と同様に地区市民センターが各協議会単位で置かれているが合併前の旧町村役場は支所として残され地域支援職員が置かれている。
 
自治協議会は小学校区を基本単位としているが、統廃合で小学校の数は19である。自治協議会の規模も人口では264人から12351人、面積では0.20km2から47.24km2と変化に富んでおり、小規模で高齢化の進む地区では担い手不足から統合も検討されているようだ。地区市民センターについては今年度から8箇所が指定管理で地域に任されているが他の箇所では会計任用職員2人を配置している。従って指定管理料が入らない自治協議会は多いが39箇所への一括交付金として1億31百万円が今年度は予算措置されていた。各協議会の活動の主なものとして、学童保育・地域食堂・生活支援サポート・災害弱者の見守り・雑草の除去・青色回転灯のパトロール・農産物の直売・間伐作業と間伐材の利用等があり、中には女性が中心になって有機農作物の生産と「笑みの市」と名付けた物産交流広場を設け鳥羽市登志島との海山交流を行うなど活動が市の枠を超えているものも出来ている。運営にあたり自治会費とは別に協議会費を取っている地区もあり、役員が自治会の役員と兼務しているところもそうでないところも多種多様なようだ。議員は議長以外の21人が7人×3斑に別れ、各自治協議会と意見交換を行っているようだ。
 午前中に視察を終え市役所近くのイオンタウンにあるびっくりドンキーでランチを食べ四十九駅から12:44の伊賀鉄道に乗ると網棚の上に忍者が居た。近鉄から新幹線と乗り継ぎ品川から高速バスで木更津には17:48に帰ってきた。羅針盤としてはいつもの早朝や夜間移動がない身体に優しい視察が終わった。
 保育園に娘を迎えに行ったついでの妻に駅前で拾ってもらい帰宅して感染者数を確認すると228人であった。最初は28人の間違えかと思って見直したが、過去最高の120人を一気に108人も上回る感染が生じていることに間違えはなかった。
 
 22日は午前中から視察の資料整理や不在中に溜まった仕事を片づけ午後から市内で買い物を済ませて議会事務局や草刈議員の元を訪ねながら会派室で感染情報のデータ整理を行う。
 夕方は駅の階段アートを撮影してから友人と情報交換を行い路線バスで帰宅すると2日連続となる感染者217人の衝撃である。木更津市の累計感染者数は1万人を超えた。人口10万人当たり一週間感染者数も過去最高を更新したが、詳細は別途整理したい。
 
 23日は朝6時半に岩根西中に行き、この日から2年ぶりに始まる地域交流ラジオ体操を行う。爽やかな風が吹いていたが連日の感染者数で警戒しているのか参加者は3年前と比べると大きく減っていた。帰宅して燃えるゴミを出し、朝食を食べ、新聞を読み、9時過ぎから事務所で視察項目のHPを整理した。
 午後から娘を連れて百目木公園プールへ行き、16:45までプールで遊んでからは着替えて夕方の公園で遊んで帰宅した。この日は花火の初日であることは解っていたが娘が遊びすぎで疲れていると感じたので帰宅し、自宅の庭から隣家の屋根の上に登る花火を見た。
 
 24日は岩根小学校でラジオ体操をしてから朝食を食べ、9時から保育園の稲作体験を行う水田の雑草取りを年長組の父親8人で行う。田圃の中で蛍藺と思われる草を抜きながら有機栽培の辛さを体感することが出来た。午前中で作業を終えて近くのレストランで食事を取って解散した。
 帰宅してシャワーを浴びて西瓜を食べ、16時から妻子と共に知人の畑でトウモロコシと枝豆の収穫体験を行わせていただいた。娘を連れてきたので近くに住む区長さんの所に夏の挨拶に行き娘の成長を見てもらった。帰宅してからは新鮮な枝豆をあてに麦酒を楽しんだ。
 この日の高校野球千葉県大会準決勝に拓大紅綾と木更津総合の市内私立高校が進出した。決勝は木更津決戦に成るかと期待していたが拓大紅綾は市船橋に対して相手より多くの安打を放ったものの最終的に追いつくことが出来ず敗退し、木更津総合は昨年の決勝延長13回での敗戦を拭い去るような見事な逆転勝利を果たし決勝に進むことが出来た。
 
 25日は万石会場でラジオ体操をしてから朝食を取り娘を保育園に送ってから自宅で私的な仕事を片づけ、12時に西岩根地区の排水対策としての暗渠設置に関し土木課と地権者との立ち会いに同席する。その後は市内各所で用事を済ませて回り、午後3時過ぎに帰宅して君津中央病院の病床使用率を聞いてみると25床用意してあるうち昨日では9床が使用されている状況のようだ。6月頃に比べれば多いものの大阪や沖縄のような逼迫した状況には成っていないようだ。しかしながら、この日の感染者数は159人であり、木更津市における一日での感染者数上位5番までを21日から今日までの5日間で占領してしまった。
No 年/月/日 曜日 感染者数
1 2022/07/21 228
2 2022/07/24 227
3 2022/07/22 217
4 2022/07/25 159
5 2022/07/23 146
6 2022/02/10 120
7 2022/07/17 118
8 2022/02/11 106
9 2022/03/05 104
10 2022/04/14 104
 上表は感染者の多かった日の上位10日間であるが、第7波の日が既に6日で、それ以外は全て今年になってからの第6波である。7月20日時点での累計感染者数は9,721人であったが25日で10,705人となっている。わずか5日間で977人、比率にして10%も感染者が増加したのだ。人口10万人当たり一週間感染者数は794に達し、まだ上昇傾向である。
 
 あれだけ高いと思われた第6波が既に小さく見え始めた。
 
 26日は雨のためラジオ体操は中止となり、娘を保育園に送ってから会派室で会派の行政視察を活かした地域自治に関する代表質問を検討し始める。10時から市庁舎整備特別委員会理事会が開催され議場のレイアウトが議論される。個人的にはエレベータを出たホワイエの隣の展望の良い角地に談話室兼図書室を配置して市民に開かれた空間を設けたいと思っていたがフロアを管理するために議会事務局を配置する案が多数となり、微修正された案を基本案とすることに成った。予定されていた高校野球の決勝が延期になったので午後から市民部と意見交換を行い帰宅してHPを更新した。娘を迎えに行く前にコンビニに立ち寄り明日の高校野球決勝のチケットを確認してみると発売中だったので明日の仕事を明ける段取りをして事前購入をした。娘を連れて帰ってくると、この日の市内感染者数は114人だとタブレットに情報が届いていた。月別感染者数累計は2,018人に達し、過去最高を記録して更新中である。
 
 27日は娘と江川会場でラジオ体操をしてから朝食を取り娘を保育園に送ってから電車に乗って海浜幕張に行き、ZOZOマリンスタジアムで高校野球千葉県大会の決勝戦を見ながら木更津総合高校を応援する。
 市立船橋が19本、木更津総合が16本もの安打を放った乱打戦は終盤に打線が繋がり援護の投手を次々と攻略した市立船橋が13-6で勝利した。4時間近い試合の間にエラーもせず最終回に1点を取り返し、最後まで諦めなかった木更津総合に敬意を表するととともに市立船橋は千葉県代表として活躍し、甲子園球場に市船ソウルを響かせて欲しいと願う。
 帰宅して娘を迎えに行って帰るとこの日の市内感染者数が190人だと知る。歴代4位の値であり、この一週間の感染者数は1,281人となった。最初に感染者が出てから12百人を超えるのに518日を要していたが、それを7日間で超えてしまう状況には戦慄を覚えずにはいられない。
 
 28日は娘と岩小会場でラジオ体操をしてから朝食を取り娘を保育園に送ってから車で鴨川に行き、所用を済ませてから帰路につき、令和元年度末で閉校した亀山中学校及び令和2年度末に閉校した坂畑少学校の跡地を利活用したキャンプ場の状況を見学する。
 両校の閉校に伴い令和3年6月に提案事業を募集し、それから1年も経たない今年5月1日にオープニングイベントを開催している。今月16日にお披露目されたローヴァーズビレッジの中郷中学校は平成30年度末で閉校になっているので約4年の歳月をかけている。あまりに早いと思って整備レベルを見に行ったのであるが、ローヴァーズとは違い基本的には大きな改修を行っていなかった。通信環境などは整備したようだが初期投資を抑えるとともに学校の雰囲気をそのまま残すという方針のように感じられた。それであれば富岡小学校跡地も早く開業できそうなものであるが、気配はまだ感じられずにいる。
 市内で所用を済ませながら帰宅するとこの日の市内感染者数が過去最高を更新する269人だと知る。25日に記載した上位10日の一覧はその後の3日間が全てランクインして次のように更新された。
No 年/月/日 曜日 感染者数 No 年/月/日 曜日 感染者数
1 2022/07/21 228 1 2022/07/28 269
2 2022/07/24 227 2 2022/07/21 228
3 2022/07/22 217 3 2022/07/24 227
4 2022/07/25 159 4 2022/07/22 217
5 2022/07/23 146 5 2022/07/27 190
6 2022/02/10 120 6 2022/07/25 159
7 2022/07/17 118 7 2022/07/23 146
8 2022/02/11 106 8 2022/02/10 120
9 2022/03/05 104 9 2022/07/17 118
10 2022/04/14 104 10 2022/07/26 114
 人口10万人当たり一週間感染者数は979となり千を越えるのは時間の問題である。10万人に千人という確率は、一週間で人口の1%が感染するという容易ならざる値である。日本全体の一週間感染者数が97万人となり世界最多となったとか、人口百万人当たりの感染者数も欧米諸国より高い状況にあるとか、日本で何が起きているのか心配になる。
 
 29日は岩根4丁目会場でラジオ体操を行い帰宅してゴミを出し朝食を食べてから事務所で私的な作業を進める。午後から会派室に行き各課と情報交換をしてから感染情報の整理を進める。僅か1週間で1,322人も増加しているのでデータの整理に時間が掛かる。概要だけ最近思う事にまとめたので参照いただきたい。
 
 30日は岩根西中会場でラジオ体操を行い帰宅してゴミを出し朝食を食べてから着替え市内で所用を済ませつつ駅前駐車場に向かう。車を停めて中央公民館のホールで9:30開催のきさらづ未来会議を傍聴する。
 5月28日に第1回目の会議を開始して今回が4回目となる取りまとめの会議である。20年後(市制施行100年目)の木更津市のビジョンを検討するため市内在住・在学・在勤の18歳から45歳の方々が前向きに議論を進めてきた。最後まで見られなかったが、今後の参考になる意見を期待したい。
 11時にホールを抜けて保育園に向かい、お泊まり保育を楽しんできた娘を迎えに行く。食事などを購入して帰宅し外出中の家人が帰るまで子守りをしながら登山の準備を行い、午後3時に夏山へ向けて出発し、群馬県太田市で友人をピックアップして栃木県の鬼怒川温泉に宿泊した。
 
 31日は福島県南会津に聳える日本三百名山の一つである七ヶ岳[1,636m]に登り、軽い脱水状態で下山する。この日は北関東の各地で38℃を超える暑さと成ったようで東北といえども暑さ対策は万全にせねばと反省する。夕立が迫る中で友人を太田市に送り、夜9時に成る少し前に帰宅した。
 新聞を読むと土曜日の感染者数が過去最高を更新する278人も確認されていたことを知る。第7波のピークは何時になったら訪れ、減少に転じていくのか先が見通せない状況が続いている。
 
 
 
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2022年8月上旬の記録