84.4月下旬の活動記録
 21日は6時半に起床して荷物の準備をしてから墓参りに出かけ、その足で笠間市に向かう。土曜日が授業参観だったので月曜日が代休となっているので比較的空いているネモフィラを見る前日に、娘の8歳の誕生日記念陶芸を笠間で行うためである。一昨年の益子、昨年の信楽と3年連続陶芸で今年は父のために500ccのタンブラーを創ると言ってくれる。
 道の駅かさまに到着して昼食を摂り13時半から娘と妻は陶芸体験を行い私は周りで写真を撮ったり娘にアドバイスをしたりする。指導員の手伝いもあってなんとか完成させて作品は乾燥と周辺処理の後に釉薬を塗って焼き上げ6月中旬頃に届く予定であり楽しみだ。
 妻のリクエストで笠間の窯を幾つか見て回り、それから勝田まで移動してホテルに泊まる。夕食後に近くのスーパーへ行って日本酒を購入し、妻子が寝た後で飲みながら携帯で富津市の開票状況を確認するが、残念ながら今回も高木候補は当選枠に届くことが出来なかった。
 
 22日は妻子を連れて国営ひたち海浜公園に向かう。平日で曇天にも係わらず既に駐車場には多くの車が停まっている。西口ゲートから入り水仙や菜の花を見て青い丘に着くと多くの人が風景を満喫していた。
 個人的には11年前に訪ねているが少し早かったので2度目のチャレンジである。今回は見頃と重なり青空が無くても絶景である。日本人だけでなく多くの外国人も訪れ、花や風景の力を見せつけていた。レンタサイクルやアスレチックなどを楽しむが、娘が雲梯から落ちて怪我をしてしまった。
 幸い大したことはなかったが午後3時過ぎに帰路につき、鉾田でメロンを食べて潮来から高速に乗り、帰宅して近くの整形外科でレントゲンを撮影してもらったが、骨に異常がないことを確認できて安堵した。
 
 23日は娘を学校まで送り、雑件を処理してから市内で用事を済ませて回る。午後から事務所に籠もり私的な仕事の後にHPの更新を始めたがやるべき事が多くて仕事が進まず、完成する前に娘を学童に迎えに行って家で留守番をさせてから現職部長の通夜に出かけた。姉ヶ崎の斎場には市長や正副議長を始め多くの職員も集まっており亡き部長の人柄を偲び悲しみに包まれていた。
 
 24日は朝から雑件を片づけてからHPの更新を終わらせ、午後から会派室に向かい6月定例会の質問内容を検討する。午後3時半に退庁してから市内での打合せを行い、その後に娘を迎えに行って家で留守番をさせ、19時開催のきさらづスポーツコミッションの総会に出席する。
 昨年度の事業報告と決算、翌年度の事業計画と予算並びに役員を承認して総会は終了し、4月27日から始まる自転車でのイベントの「サイクルボール」のPR映像を見ながら総会出席者と懇親を深めながら10月13日に予定している「木更津ブルーベリーRUN」に議会チームを出すべきか悩んでいた。
 懇親会で帰宅すべく西口に行きバスまで間があるのでタクシーを待っていると総会に出席していた友人が体調が悪いので家人に迎えに来て貰うので途中まで乗っていきませんかと誘われ家に帰った。
 
 25日は大相撲巡業木更津場所の開始日なので9時の開場に併せて向かったのだが既に旧市役所駐車場には多くの車が停まり、開場の市民体育館の前には長い列が出来ており多くのファンが居ることが解る。
 令和元年の房総半島台風の慰労も兼ねて木更津巡業は過去に何度も計画されてきたが、コロナでの開催が中断されて以降も空調施設のない木更津体育館では爽やかな季節以外に開催できないと言うことで見送られたりして、待望の開催となった。多くのサポートをしていただいた市の職員に感謝する。
 私は午前中の公開練習だけを見学して帰宅し、在宅で仕事をしている妻に見学を促しながら自分は朝日庁舎に行き6月議会質問の調整を開始する。質問通告まで3週間以上有るが内容のある事項を通告するために必要な諸調整である。ただし駅前庁舎に行くと新書などをつい購入してしまうので歳出が増えるが知識も増えることとを期待したい。帰宅して父の四十九日法要に必要な品物や手続きを家族で確認した。
 
 26日は翌日の四十九日法要に渡す品物が宅急便で届くというので事務所からパソコンや関連機器を自宅に移動して仕事を進める。何かあると事務所までファイルを取りに行ったりして仕事の効率が悪いが仕方ない。それでも時間指定でない宅急便が届かない中で午後4時から昨日とは違う部署で6月議会質問の調整を開始する。その後に娘を学童に迎えに行き自宅で宅急便が来るのを受付するように言い聞かせ、午後6時開催の森岳県議の県政報告会に出席し、報告会の後に会派で6月議会に向けた諸調整を行い、路線バスの最終便で帰宅した。
 
 27日は法事に参加していただく親族に対する礼品を車に積み込み、花や供物を購入して菩提寺を管理していただいている愛染院に行く。10時に親戚一同が集まり父の四十九日法要を営むと朝からの雨も上がったので墓参りを済ませから、服を軽装に着替えて通夜や本葬に尽力いただいた方々へ挨拶周りを行う。所々で父の想い出を話し込んで時間がかかり、数件を残して帰宅してスーツに着替え、家人に駅まで送ってもらい台湾の花蓮市から木更津を訪ねてきたJCメンバーに会いに行く。
 今月大きな地震に襲われた台湾の花蓮市にある青年商会はかずさ青年会議所と姉妹締結をしており私も歴代OB会長の一人として姉妹会議に列席する。花蓮のメンバーは世界で流れている映像のような被害は限られており今回の参加者だけでなく会員の全てが大丈夫だと聞いたがそれで安堵は出来ない。
 個人的には避難所におけるプライバシー保護や対応の素早さなど日本での報道で賞賛されている対応がどの様に成されているのかも知りたかったが、秋に花蓮市で開催される会議に行き現状と課題を現地で確認しながら話を聞きたいと考えている。花蓮の友人達との2次会に行かないと誘われたが法事の片づけもあり、前日より1本早い路線バスで帰宅した。
 
 28日は良く晴れ、午前中に四十九日が終わった挨拶に回り、昼から娘と房総の山歩きでもするつもりだったが気温が上がりすぎて娘が難色を示したので庭の雑草取りや質問内容の照査及び質問原稿の作成などを行う。日没までのんびりとした日曜日で有った。
 
 29日は英語塾の発表会がある娘を引率が待つ袖ケ浦駅に送ってから近所に住む妻の親戚に挨拶に行き、帰宅後は質問通告書を作成し、昼過ぎに出発して千葉市民会館で開催される娘の発表会に向かった。
 妻が選んだ英語塾は袖ケ浦市にあり、その所属する団体の千葉支部に属する7つの塾が英語劇の発表会を行うもので、娘の発表は締めを飾る7番目で15:15からの発表となった。演目は「Jack and the Beanstalk」(邦題「ジャックと豆の木」)である。出演者も多く見事な発表であった。
 市民会館で解散となり、娘の慰労のため蘇我で食事をしてから帰宅する。早めに入浴を済ませ夜には録り溜め過ぎた報道番組を4本ほど見てから日付が変わる頃に就寝した。
 
 30日は小雨の中で荷物の多い娘を車で学校に送ってから自宅で半日かけて質問原稿の初稿を仕上げる頃には青空も広がり始めた。昼から「きさらづ地域循環圏構想」の創造に向けた第1回会議を傍聴に行くつもりだったが急遽娘の面倒を見ることになりドタキャンとなった。プルメリアの写真を撮影していると学童を休んだ娘が歩いて帰宅したので車に乗せて今日で使用期限となる「房総いいねスタンプラリー」の商品であるチケットを使うために鋸山ロープウエイに向かい16時過ぎに到着する。
 駐車場の入口で日本寺の拝観時間も終わり山頂の往復しかできませんよと言われるが当初からそのつもりである。それでいて3月から駐車料金として500円を取るようになったことが腑に落ちない。始めて乗ったロープウエイに喜ぶ娘と山頂で遊び最終便で下山した。
 お腹が減ったというので君津で夕食を取って帰宅し、シャワーを浴びてからパソコンのradikoで数日前の放送を聴きながらHPを更新した。
 
 
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2024年5月上旬の記録