85.5月上旬の活動記録 |
1日は朝から雨が降る中で娘を学校に送り、市内で買い物を済ませ、家の給湯器を設置したことに伴う既存設備の一部撤去の見積もり作業の現場立会を行う。夕方には娘を学童に迎えに行き、近くのスーパーで焼き鳥や麦酒を購入して帰宅し、報道番組を見ながら飲んだ酒は令和に改元してからの5年間と能登半島地震から4ヶ月の日々を苦くさせた。
2日は郵便局に荷物を届けてから貸家や自宅周辺の草刈や剪定を行ってから昼食を摂り、午後から娘の1年間を振り返るアルバムを作成する。毎年同じ使い勝手の悪いソフトに悩まされているが今年も20頁の作品を創るのに4時間も費やしてしまった。アルバムが出来るまでの時間を使い、翌日の竣工式の祝酒を購入し、アルバムを受け取ってから娘を英語塾に迎えに行って自宅に戻り、仕事から帰宅する妻と待ち合わせて「駅の図書館FLAT」で開催される「夢みる小学校」の上映会に参加した。
学校法人きのくに子どもの村学園の南アルプス校での撮影を中心に子どもたちが自由に学ぶ姿を示し、それを教育者の尾木直樹氏や脳科学者の茂木健一郎氏が高く評価する構成で、2022年2月に公開された90分の映画であり、監督のオオタヴィン氏による15分間のメッセージも付いていた。
国語算数理科社会と言った教科毎の授業ではなく蕎麦打ちや工作などの子どもが選んだプログラムを通じて勉強をしていき自発的で優秀な子どもが生まれる状況を示し、長野県の伊那小学校や世田谷区の桜丘中学校などの公立校での取組を通じて学校の可能性を伝える啓蒙的な良い映画であった。それぞれに考え方はあると思うが教育に携わる父兄や先生など多くの人が観て欲しいと思う内容であった。
3日は9時から万石区の総会に来賓として出席し規約などについての活発な議論を聞きながら6月議会で確認する事項が増えたと考える。
一旦帰宅して祝酒を持参して集会所に行き11時半から竣工式に出席する。多くの来賓が参加する中で挨拶をさせていただき区長が説明しなかった土地や資金の確保、隣接する残地の活用などを話させていただいた。テープカットや記念写真の撮影なども行われ良い式典だと近隣の区長からも話がされた。
式典後には13時から岩根西地区の区長さん達を招いた祝賀会に出席して16時過ぎまで楽しい一時を過ごす。終了後も江川で反省会をしようと誘われたが辞退して帰宅させていただき早めに就寝した。
4日は2:17に目を覚まし片道312kmを走り長野県と静岡県の県境にある熊伏山[1,653m]に登る。極めてマイナーな山域なので大型連休中の良く晴れた日なのに3人の登山者と擦れ違っただけであった。
登山口となる青崩峠は武田信玄の部隊が京都を目指して進軍した古道であるが土木技術史的には中央構造線上の三遠南信自動車道のトンネル難工事が知られており苦難の後に昨年5月26日に貫通しており、近いうちに当該区間の開通も聞かれることになるだろうが全線開通は遙か先の話であろう。
遠州一宮である小国神社の門前にある「ことまち横丁」という商業施設を訪れ人を集める仕掛けに感心してから帰路に付くが都夫良野トンネルの事故で大変な目にあった。新東名の御殿場〜秦野間と圏央道の藤沢〜釜利谷JCT間の完成が強く望まれる。
帰宅すると玄関に後援会報の印刷物が入った宅急便の箱が予定より速く届いていた。洗濯物などを片づけ麦酒を飲んでデータを少し整理してから就寝した。なお、この日は木更津舞尊が開催され、妻子は英語塾のBBQに行ったが、私は一人でリフレッシュしてきた次第である。
5日も朝から良い天気であり娘に内房総アートフェスか横田の鯉のぼりを見に行くかと聞くと部屋の改造を妻と行うので行かないという。私も筋肉痛の気配が出始めたので部屋に籠もって録画した報道番組等を見ながら黙々と袋詰め作業を進め、時折登山道具の片付けや庭木の手入れも行う。日本各地で真夏日に成ったようだが確かに暑い日であった。
6日も黙々と袋詰め作業を進めた結果、午前中に今回郵送する部数を終えた。袋の糊張りは妹に外注する作業分担としているので後援会の仕事を終えてHPの更新作業に移る。筋肉痛も午前中で収まったようで安堵する。夕方に所用で娘を連れて君津の小糸地区に出かけるので袖ケ浦市横田の鯉のぼりが残っているかと思って回り道をしたが既に撤収後であった。帰宅すると前日の内に妹が持ち帰ったものが届いていたので、食料品の買い出しを済ませてから宛名ラベルシートを張り始めた。
7日は宛名ラベルの不備が見つかり再度作成するための資材調達や修正する部分をピックアップしたデータ整理などを行い。午後に再度作成したラベルを封筒に貼り、娘を学童に迎えに行って夕食や入浴後に再度部屋に籠もり録画した報道番組等を見ながら黙々と作業を進めた。
8日は午前中だけ天気が良いという予報に従い、近隣の支援者に直接後援会報を届けに行く。適度な運動になることと、記憶が曖昧な家を思明確にする良い機会である。2回に分けて4時間近く外を回り汗を流しながら帰宅し、身体を乾かしてから娘を迎えに行き、夕食後に3時間ほどラベル貼りを行い、週内に作業が終わる見込みが出来たので妻に相談して月曜日を休んで能登半島に行くことを決め、登録しておいたボランティアの枠を申し込み、深夜に入浴して日付が変わる頃にHPを更新した。
9日は雨の中で娘を学校に送り、少し離れた家に後援会報を届けてから再度学校へ行き、妻が担うPTA役員の代理として会費の集計作業を行う。20分程度で終了したので帰宅して残ったラベルを貼り終えてから銀行に行き、葬儀で世話になった石材店に費用を振り込んでから郵便局に行き2023年活動報告書の郵送を手配する。帰宅して昼食を食べてから近隣支援者分の会報の配達順序を整理しているうちに天気も良くなり自転車で届けに回っているとハンドルの異常を感じる。騙しながらこの日の予定分を配り終えて調べると支柱が金属疲労で破断していた。
過去にも長い旅の途中でギヤが割れたりチェーンが切れたりした経験はあるが思いもよらぬものが壊れるものだと感心し、厄年でも事故までに至らなかったことに安堵する。車に自転車を積み込み修理を依頼する。夕方には妻の弟世帯が都内で妻を乗せて我が家に立ち寄り、店舗建て替えの間の機器を預かる空間の確認などを行い、両家で夕食を摂ってから解散し、夜中に残る後援会報持参配布ルートを熟慮し、深夜にHPを更新した。
10日は自宅に移していた作業道具を事務所に戻してから部屋の整理を行い、義弟の相続に関して友人の司法書士を紹介して初回打合せに参加し、駅前庁舎に登庁して会派室で作業を行ってから福祉会館に移動して今年度のボランティア保険に加盟した。その後は父の葬儀への会葬御礼で長浦や富津を訪ねつつ買い物や所用を済ませて回り、午後4時半に帰宅してから前日の内に準備した配布ルートに従って徒歩で後援会報を日没後まで投函して回り、熊伏山に登った日より多くの歩数を記録して帰宅し、配布完了を自宅で祝いながらワインを空けた。
→2024年5月中旬の記録 |
|