X2.10月下旬の活動記録 |
21日は快晴の天気予報の誘惑に負け選挙の協力や諸事を調整して休みとしたので須坂市の米子大瀑布駐車場から根子岳[2,207m]に登山する。往復で約8時間を費やし、3万歩を超える負担で疲労した体を日帰り温泉で癒してから上信自動車道の建設状況などを確認しながら帰宅した。
22日は事務所の改修工事が開始されるので最初に立ち会って指示をしてから浜田靖一選挙事務所に行き木更津市の議員団で交互に事務所番を務める。昼間に帰宅して工事の状況を確認し、金融機関の手続き書類を作成し、再び午後から事務所番を行って夕方に娘を学童に迎えに行って所用で遅くなる妻の帰宅まで宿題の様子を見たりした。
23日は早朝の選挙応援活動に出かけ、帰宅して事務所の改修工事の打合せを行い、選挙事務所で草刈議員と合流して君津市に向かい11時から君津市議団と川名県議が行う街頭演説の状況を見に出かける。
浜田代議士が他の候補の応援で国内を飛び回っている間、地元を預かっている君津市議員団が力を結集して選挙態勢を盛り上げている姿に刺激を受け、金曜日と土曜日に予定される木更津市での活動の詳細をまとめなければならないなとテンションの高い応援演説を聞きながら考えていた。
木更津に戻り草刈議員とともに駅前庁舎に登庁し13時から議会事務局と議会運営と議会改革の両委員会合同視察の日程案を調整する。その後に帰宅し溜まった仕事を処理してから工事の終了した事務所の片づけを行った。
24日は午前中に雑件と私的な仕事を終えて袖ケ浦の選挙状況を見に行く。知人の元に激励に行き、そこから相続関係の手続きを取っていただいた税理士事務所を回って書類を受け取り、帰宅してHPを更新する。事務所の掃除を行ってから電化製品を買いに出かけ浜田選挙事務所に顔を出して翌日以降の日程の確認を済ませて帰宅した。
25日は早朝の選挙応援活動に出かけ、帰宅してから略礼服に着替えて福祉会館に向かい、10時開始の戦没者追悼式に出席する。
終戦からは79年目であるが神風特別攻撃隊が始まってから80年目の日でもある。単なる偶然であるとは理解しているが個人的に推考が進み、この日の深夜に最近思うことに整理させていただいた。式典が終わり浜田選挙事務所の駐車場に直行し、スーツに着替えて選挙活動への協力を始める。
この日も候補者は他県に応援演説に出ているので会派羅針盤の勢力で選挙応援を行う。13時に君津市より選挙カーを引き継ぎ13:15に畑沢で、14:15に羽鳥野で街頭演説を行い、15:10に金田東で袖ケ浦チームに選挙カーを引き渡した。 |
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選挙事務所に戻って翌日の確認などを行い、娘を学童に迎えに行ってから帰宅して夕食を摂り入浴して床にはいる。その後に妻が帰宅してから深夜にHPを更新した。
26日は選挙最終日であるが、9時半から法人会木更津北支部と岩根西まちづくり協議会の共催による巌根駅前花壇整備に出席する。
9時過ぎに現地に着くと花の植え穴が掘って有り、ポットから苗を出して埋め込むだけとなっていた。参加者全員で一気に作業を行い、花に水を撒いて1時間もかけずに作業は終了となった。法人会はアクアライン側道の清掃活動に移動するが私は帰宅して服を着替えて浜田選挙事務所に移動した。
朝の活動用のジャンバーを返却し、最終日の日程を確認して事務所に戻り、15時過ぎに迎えに来た吾津議員の車に乗って袖ケ浦駅に向かい選挙カーを受け取る前に駅前の街頭演説を聴衆として見る。
袖ケ浦市では市議会とダブル選挙になっているため、国政の選挙カーが到着するまで稲毛候補の車両で街頭演説が近いことを周知しており、珍しい状況に感心する。16時の街頭演説が終わる前に巌根駅東口の新御堂寺に向かい、街頭演説を聞きに集まっている地元の方に挨拶する。
16時45分からの街頭演説では私が司会兼弁士を務め、竹内・重城と岩根中学校卒業生の応援に続き候補者本人の決意を聞いてもらう。 |
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岩根からは吾津号を先導者にして私が桜井、駅東口の街頭演説会場へと誘導していく。19時50分に選挙事務所に戻って選挙活動を終了させて、その後は会派の有志で選挙活動の反省会を行った。
27日は午前中に万石の貸家へ草刈に行き、帰宅してシャワーを浴びて娘が卒園した保育園の運動会を妻子と娘の友達とともに見学に行く。娘には卒園児のリレーなどに出てもらうつもりだったが何故か嫌がり見学だけとなったが、私も久しぶりに父親仲間と会えたことは嬉しかった。
帰宅してから投票に行き、夕方に着替えて開票報告会の開催される農協の会議室に向かう。12区内から多くの関係者が集まる中、20時5分にはNHKより当確が流され万歳三唱を行い11回目の当選を祝う。
地元の選挙区は問題なかったが、全国的には与党の苦戦が伝えられ、隣の千葉3区でも松野元官房長官が出口調査では負けている情報が出て不穏な空気が流れる。浜田代議士は党本部に向かうため報告会は早々に解散となり帰宅して報道を見続け、日付が変わる頃に松野氏の当選を確認して就寝した。
28日に目が覚めると自公の勢力は215議席まで減少し、非公認の自民系候補者も4人しか当選できなかった中で国政運営が不安定になる状況を確認する。ネットで袖ケ浦市議会議員選挙を確認すると現職が2人落選して5人の新人が当選したことや木更津駐屯地に配属されている陸上自衛隊のオスプレイが与那国島での事故で飛行禁止に成ったことを知る。それらを気にしながら朝一番で手続きを予約しておいた千葉信用金庫中央支店に母を連れて行き、預金の相続や相続税の納税及び税理士と司法書士に対する支払い等の事務を行い、全ての相続事務を完了させて帰宅し姉妹を集めて納税通知書等を渡した。その後は私的な仕事を行ってから娘を学童に迎えに行き、夜中にHPを更新した。
29日は選挙に関する片づけを行ってから駅前庁舎に登庁し、会派室で一般質問の構想を練ってから10時開催の市庁舎整備特別委員会理事会に出席する。議題は議場の設備についてであり、我が会派では少数派であった議席の可動式が多数の支持を得たことは個人的には喜ばしいことであった。傍聴席は1.4mの高さにするものの車椅子はフロアレベルに傍聴席を置く方向など1時間半ほどの議論で下表の様に決めた。 |
項目 |
決定事項 |
県内35市の状況 |
備考 |
○ |
× |
議席の固定化 |
× |
24 |
6 |
多目的利用が可能 |
出席札の連動 |
○ |
5 |
30 |
出席札で出欠を表示 |
ヒアリングループ |
× |
11 |
24 |
難聴者の補聴器対応 |
文字表示機能 |
× |
2 |
33 |
発言を文字に変換 |
親子傍聴席 |
× |
6 |
29 |
防音区画の傍聴席 |
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上表で難聴者対策や文字情報は技術が日進月歩の状況なので現時点で高額な機器を準備する必要はないという考え方であり、防音区画の傍聴席を設ける面積分だけ一般の傍聴席を増やし、子供連れの傍聴希望者にはロビーや別室でモニターを見てもらおうという考え方である。理事会を終え、引き続き来週に予定されている都市計画審議会の議案説明を受け、昼食後に会派室で仕事を行い、午後2時には水道庁舎に行き9月末に契約に至った上烏田浄水場のDBに対する評価内容などを確認した。娘を学童に迎えに行って帰宅し私的な仕事を片付けた。
30日も私的な仕事を片付けてから市内で所用を済ませ、朝日庁舎で12月定例会の質問打合せを行い、娘を学童に迎えに行って帰宅して夕食を摂り、18時半に岩根西公民館に娘を連れていく。
この日は青少年育成岩根西地区住民会議の主催する「星空観察会」が開催される予定であったが空気の透明度が低いため館内で星の話を聞きハロウィンのお菓子をもらって20時過ぎに帰路に就いた。その頃には星が瞬き、持参した双眼鏡で娘と星を観察した。
31日は午前中に雑件を処理してから君津に用事が有ったのでついでに現場が昼休みに成っているころを見計らい、車を止めて徒歩で新火葬場周辺道路整備工事の進捗状況を見て回る。 |
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過年度までは大型の擁壁が必要な工事となったので短い延長しか施工できていなかったが、今年度は拡張工事なので一気に状況が変化しそうで楽しみである。畑沢川を渡る部分の工事が大変そうであるが、市内唯一のアーチ橋である現道橋を公園的に活用できれば素晴らしいだろうと考えながら散策した。遅めの昼食を摂り潮浜公園でイベントの準備が始まっていることを見ながら散歩してから帰宅してHPを更新し、夕方に娘を英語塾に迎えに行った。
→2024年11月上旬の記録 |