根子岳(3回目) 2,207m 長野県須坂市
2024年10月21日登山:単独
 
 上田市に住んでいた頃に気になりながら行けなかった米子大瀑布に至る道が令和元年の災害復旧も終わり開通したと聞いていた頃、今年初の寒波が長野県を覆ってよく晴れるという情報を得た。日程を様々に調整して月曜日の予定を開け、車の荷台をフラットにして布団を敷いて山の準備を済ませ日曜日の夜9時に自宅を出発した。
 坂城PAで4時間半ほど仮眠してコンビニで朝食を摂り夜明け間に米子大瀑布を目指す。500円の協力金を払って駐車場に車を停め外気温が2℃の中で服を着替えて準備を済ませ6:14より歩き始めた。
 
 案内所で遊歩道の地図を入手して米子不動尊奥之院を目指す。クラウドファンディングで再生された根子岳山荘から不動滝の最寄まで寄り付き、大黒橋を渡ると林道に出て展望の開けた鉱山跡地に出る。広い平らな草原の向こうに断崖から落ちる滝を見る見る風景は絶景である。昭和35年に閉山された米子鉱山には戦時中に1500人が暮らし学校まであったというから驚きである。毎日この風景を見て育った人がいるのだなと思いながら根子岳への登山道に進む。浦倉山への分岐は通行止めになっているので周遊出来ないが体力もない。
 まだ新しい単管パイプと足場板の橋を渡り、白樺が見事なカルデラの中で標高を稼ぎ、8:30におよそ標高1800m地点に到着したところで15分の小休止を取りパンを食べお茶を飲む。さらに淡々と登って登山道に霜柱が増え植生が笹原に代わり展望が開けてくると小根子岳北肩へ9:27に到着した。北アルプス方面も雲一つなく展望が開けている。
 しばらく展望を楽しみながら休憩を入れ、根子岳山頂へ笹原の中を登っていく。小根子岳を超えて初めて登山者に出会い、長野市街を見下ろしながら標高を稼ぎ、風が冷たい山頂には10:32に到着した。
 23年前にスキー登山したときと同じ祠の脇で風を避けながら昼食を摂り展望を楽しむ。富士山も見えて百名山のうち30座は見えていることだろう。直ぐ隣には35年前に登った百名山の四阿山が聳えているが今回は根子岳で満足して11時に下山を開始する。
 
 上田市や長野市を見下ろし南から中央を経て北アルプスから頚城と志賀の風景に別れをつげ、途中で米子から登ってきた3組のパーティとすれ違う。橋を渡って小休止を取り沢の水を飲むと若干酸っぱく、鉱山もあったカルデラなので鉱泉が湧いているのだろうかと思いながら歩を進め13:23に鉱山跡地に出ると太陽が左右の滝の間で光り輝き、断崖が完全に逆光となっており朝のような迫力が感じられない。快晴で展望は楽しかったのだが滝を見るには曇り空のほうが良いのかもしれないと思った。時計回りに周遊路を進むと観光地のためかトレッキング準備をしていないおばさまが先頭でゆっくり下っており8人ほどの団子になっていた。誰も抜かずに10分以上もゆっくりと歩かされるが疲れを回復するのには適当なペースであった。やっと気付いたように先を譲っていただき駐車場には1356に帰り着いた。運動不足と体重増加もあり、標高差907mに7:42を費やした秋の山歩きが終了した。
 
 麓まで下りて関谷温泉「湯っ蔵んど」で2時間近く休憩を取り、近くの果樹園で土産のリンゴとブドウを購入して菅平へ向かう。下山しているときにルートを考えていると上田経由ではなく菅平から鳥居峠を越えて渋川に向かうコースを思いついてしまったのだ。可能なら永井食堂で定食でも食べようと思ったが営業時間が短くて間に合わない。運転しながら食べるところを考えていたが、そのうちスパゲッティを食べたくなって結局高崎インター近くのボンジョルノで食事を摂り、通勤時間が終わって既に通行量が減ってきた関越道で渋滞に合わずに練馬まで走り、初台南から首都高に乗ってアクアラインを渡って帰宅したのは自宅を出て24時間半後であり、濃厚な1日を楽しむために要した高速道路代は9,950円であった。
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