03.1月下旬の活動記録
 22日は朝8時15分に迎えに来た齋藤秀樹議員の車に同乗させてもらい災害ボランティア議員連盟千葉支部研修会が開催される道の駅保田小学校に向かう。道の駅保田小学校は2016年5月16日に建設経済常任委員会で視察させていただいた(参考)が2023年10月14日に「保田小付属ようちえん」の拡張もあり、施設状況も研修する。
 
1.千葉県鋸南町
 視察項目 道の駅「保田小学校」について
 道の駅に隣接していた保育園が勝山地区に移設され、旧施設を活用する形で道の駅は拡張され飲食店や駐車場不足が解消されるとともに小さな子供の遊び場やドッグラン施設も開設された。
 今回の説明は管理者である㈱共立メンテナンスの責任者からしていただいたが、前回の視察時点では指定管理料を受けていたものが利用料収入が増加して4年目からは町からの委託料を受けず収益の一部を街に還元している。なお㈱共立メンテナンスは隣接する学校給食センターの運営も受託している。懐かしい小学校というテーマの人気は高く、道の駅の雑誌で2024年には全国で2千を超える道の駅から人気第2位に選出されるなど好調を維持している。一方で道の駅では朝8時45分からラジオ体操を行ってコミュニティーの育成を図り、地域住民にも開かれた施設を心がけ令和元年台風では避難所として宿泊施設を開放し入浴施設も無料開放を行っている。開設時に158人であった農作物の出荷組合員数も令和元年度以降は220人を超えるなど地域でも浸透している。
 増設された「ほいくえん」のエリアの事業費は約9億42百万円で、そのうち99百万円は用地取得費で工事費は上の写真に写る屋根付き歩道の「わっか」などに7億円を投じている。歳入には8億88百万円の過疎対策事業債を発行し一般財源の5千万円を含めた実質的負担額は約3億2千万円である。人口7千人弱の町に年間約80万人の集客と60人の雇用を生む施設としての重要性や週末に前面道路に発生する渋滞対策としての駐車場拡張の必要性は解るが人口比で考えると木更津市で60億円の実質負担規模の事業となり、思い切った投資だと感じた。
 午前中の説明を聞き終えて里山食堂で昼食をいただく。左の保田小給食はハムカツとカレースープにご飯という給食スタイルであるが、この内容で1300円と強気の設定である。それでも平日に関わらず多くの観光客が訪れて満席に成っていた。
 食事を終え午後1時からメインの研修に入るが2人の会員は他の公務が入って研修を聞くことなく帰路に着いた。
 
2.千葉県鋸南町
 視察項目 鋸南町のボランティアの取り組みについて
 講師は鋸南町のボランティア団体である「鋸南復興アクセラレーション」の代表であり、自らは福祉施設を営み鋸南ロータリークラブの会員でもある堀田さんであり午前中に引き続き家庭科室で研修を続ける。
 令和元年台風で家屋の約70%が被災した鋸南町には報道が入るのが遅れ「忘れられた被災地」として注目が集まった結果、約7千人の町に千人を超えるボランティアが押し寄せ自治体や社協では対応できない状況となったがピースボートなど、全国的民間団体が複数入ることで対応がなされてきた。
 木更津では2週間程度で需要が減少したとして活動の規模を
縮小したが、風被害の実態としては雨漏りで天井や壁にカビが生えるのは一月後以降となる。雨漏り対策が必要なのであるが被災件数が多すぎて対処しきれずカビが生えた畳などの処分とともにカビの殺菌や乾燥対策などが延々と続くとともに、木更津市では断ったシートの張替えなども受け続けてきた。木更津市は手上げ方式で被災者からの求めが無ければ対応していないが鋸南町では貧困や障害を恥じて声を上げられない災害から取り残される弱者に寄り添い何度も訪問する中で需要を掘り起こしボランティアを派遣するとともに各種申請手続きも手伝い生活に寄り添っている。全国からの団体が引き揚げ装備やノウハウを受け継いだ堀田さんたちの団体ではカビが生えて畳を処分した床板だけの家で冬を越すことに問題を感じ、全国のボランティア団体に畳の寄付を呼び掛けたところ福島県や石川県で撤去予定の仮設住宅から多くの畳が届けられ年末にクリスマスプレゼントとして畳を敷き、年が明けて新型コロナウイルスへの感染症対策が求められる中で健康管理を徹底する中で対策を続けるなど、最後の一人が立ち上がれるように活動を続けてきた。その活動を支えるため各種の補助金を確保するなど令和元年台風で設立された素人団体も手探りで自立していった。更に復旧工事費が払えない家庭を前に町内の工務店と施工範囲を分担してボランティアが一部を対処するなど鋸南町という小さな町内での顔が見える信頼感に裏打ちされた細部に亘る対応を進め、元年台風から6年目となった昨年で全ての対応を終えたと考えていたが、新たな世帯が見つかり今年も活動するようだ。誰かを助けるために技術や経験は必要だが重要なのは他人の苦しみを解ろうとする想いであり、行政のように森を見るのではなく一本一本の木を見ることに徹するというボランティアの精神に感動させられた。
 団体では学校等での防災教育に力を入れるととも会員での研修を重ねて次の災害では全国から助けてもらうのではなく助けられる人に成ろうとしてる姿は素晴らしい。千葉支部だけでなく全国組織での研修などでこの活動事例を知ってもらいたいと思える内容であった。
 2時間ほどの研修を終えて保田小学校の宿泊施設にチェックインし、夕方に車で佐久間ダム周辺で咲き誇る水仙を見に行き香を満喫してから岩井袋に移動する。最大の台風被災地だが既にシートは見られず、屋根が新しくなっている家と空き地が目立った。日没を見てから保田小に戻り懇親会を行って就寝した。

 
 23日は朝7時に起床して朝風呂を楽しみ、保田小から金谷のガストに移動して朝食を食べた後、the Fishで金谷の被災状況とそこからの復興について鈴木社長から話を聞く。
 
3.千葉県富津市
 視察項目 金谷の復興と旧金谷小学校の利活用について
 屋根が飛び海側のガラスが割られ長期の休業が余儀なくされたが「さぁいこう!金谷」というキャッチフレーズにLet Go!という意味の他、「再興・再光・再交を誓い最高の金谷へ!」の思いを込めてコロナ禍を経て復活を果たす軌道を10分の動画で鑑賞する。
 私は復興の過程を何回となく話で聞いていたが北総からの参加者には台風の破壊力を知る機会に成ったものと思う。質疑応答を終えてから会場を移動して2020年3月で廃校に成った金谷小学校をORAGA hubと命名して「富津金谷小オフィス」を運営するフューチャーリンクネットワークのマネージャーより小学校の利活用策について説明を受ける。
 地域の交流の場を目指して校庭で定期的に「金谷小おらが市」を開催するとともに校舎内にキッズルーム、コワーキングスペース、図書室などが配置されていた。事業者は浜金谷駅前で約3千坪の敷地と校舎を市から月22万円で借りているが地域の子どもの数を考えると利用者は多いとは思えない。
 個人的には観光施設が多い割には駐車場が少なくハイキング需要を充分に満たすことが出来ない金谷にとって広い校庭を駐車場として活用できることは魅力的なので、何とか国道からのアクセスがあれば利用価値は高くなると思われるが、アクセス道路の改善が鍵だと感じていた。
 
 11時に研修から抜けて齋藤議員とともに夷隅を目指し房総半島を横断する。会場近くで昼食を摂り千葉県南市議会議長会議員研修会が開催される夷隅文化会館へは13:10に到着する。
 14時開催の講演は元衆議院法制局で弁護士の太田雅幸氏による「議員が守るべきコンプライアンス」というテーマである。多くの資料で具体的に示していただいているが、政治倫理条例とハラスメント条例は別にすべきという指摘は解らなくもないが木更津市では倫理条例の枠の中で良いと思った。
 研修も終わり齋藤議員の車で高滝に沈む夕日を見て午後5時過ぎに自宅に戻った。部屋を片付け18時53分に袖ケ浦駅に到着する友人を迎えに行き、彼が持参した日本酒を自宅で飲んで寝た。
 
 24日は5時半に起床し友人と茅野に向かう。なお会派代表者会議も予定されていたが非公式会議なので草刈議員が代理で出席し予算審査特別委員会の会派割り当て人数を協議してもらっての日帰りである。
 
 ピラタス蓼科のロープウエイを利用して北横岳[2,472m]に登りスキーも楽しもうかと思っていたのであるがスキーの一日券では滑走装備をしていないと乗車できないという制約があり登山装備を背負って滑走することも面倒になり、ゲレンデからも充分展望を楽しめたと思いながら登山を諦めスキーだけ楽しみ、友人を笹塚駅で降ろして帰宅した。
 
 25日は娘を土曜学級に送ってから前日の山やスキーの道具を片付けその前の研修資料などを整理し、溜まった仕事を処理していると友人から電話があり、午後から顔を出すと約束していた集まりを失念してしまい友人に迷惑をかけていた事に反省する。17時からは君津高校の第9期同窓会幹事会の情報交換会に出席した。
 
 26日は天気の良い日曜日なのであるが溜まっている仕事を処理してから政治団体の収支報告書を作成するなど夕方までディスクワークに励んでいた。陽のあるうちに母から頼まれた庭のミカンを高枝切鋏で収穫していると江川区長から電話があり、開催予定時刻の午後5時の5分前だと気が付く。日が長くなったと思いながら妻に会場の松葉寿司まで送ってもらい5分ほど遅れて出席して直前の状況が解らないまま挨拶を行い。江川区から民生児童委員や交通安全協会に出向していただいている住民の方々に向けて開催する江川区各種団体意見交換会に出席して懇親を深め、午後8時過ぎに迎えを頼んだ妻の車には近所の2人の方も載せて送ってもらい、帰宅後に事務所に籠ってHPを更新した。
 
 
27日は政治団体の収支報告書を作成してから駅前庁舎に登庁し10時から議会運営委員会の事前レクに出席する。今議会は来月6日から始まり会期44日に渡る長丁場である。なお、袖ケ浦は14日・君津は17日・富津は21日に始まる予定なので木更津市の速さが群を抜いている。日程の詳細は来月3日に開催する議会運営委員会の終了後に記載する。
 会議が終わり会派室で3月定例会に向けた質問や来春の市議補欠選挙後の予算について事務局と調整してから退庁して千葉県庁に向かい選挙管理委員会に収支報告書を提出する。郵送可であるが訂正が面倒なので毎年訪問している。因みに右の写真は県庁ロビーにある芸術作品である。
 僅かな記載漏れを加筆対応して提出し、自宅に戻り荷物を片付けてから娘を学童に迎えに行く。連日新年会や懇親会が続く中での貴重な休肝日だったので早めに寝たら深夜に目が冴えてしまった。
 
 28日は午前中に市内で所要を済ませ、昼食後に新田の水道庁舎に行き14時開催のかずさ水道広域連合企業団議会に出席する。この日に上程された議案は下表の通りで、21日に説明を受けている内容である。
番号 内容(件名とは異なる)
議案1 令和6年度事業会計補正予算(第2号)
議案2 令和7年度事業会計当初予算
議案3 工事監督等の基準条例の一部改正
議案4 個人情報保護条例の一部改正
議案5 職員給与条例の一部改正
議案6 水道料金債権の放棄
 私からは来年度予算で設定する一時借入金の設定について質問を行った。水道事業で8億円、用水供給事業で5億円とした根拠はおよそ一月の収入額であるという答弁であったが昨年の能登半島地震のような大規模災害が起きた時に借入金の限度額を超えたために復旧が進まない事態を生じない対策を重ねて聞いた。臨時議会で補正を行うという答弁であったが大規模災害の時には各市の議会でも対策が大変な事態に成っており広域連合議会の日程調整が困難になると思われるので専決処分で対応いただきたいと意見を述べさせていただいた。議会は45分程度で終了し、一旦帰宅して私的な仕事を片付けてから路線バスで街中に戻り18時半に開催されるかずさ青年会議所OB会総会に出席する。
 会場には40名を超えるOB会員が出席していたが、梅津前会長より今年の現役会員は19人でスタートすると聞き規模がそこまで縮小したのかと心配になる。決算や予算を承認し翌年度の会長を承認して総会は終わり、その後は新入会員を加えて懇親を深めた。
 
 29日は市内で所用を済ませて回り、夕方に家人に送ってもらい17時開催の木更津市長渡辺よしくにを囲む新春の集いに出席する。
 会場を埋め尽くし別室でモニターを見守る人々がいる中、浜田代議士や高橋富津市長の挨拶が行われ、多くの木更津市議団も登壇させていただいた。正副議長が議長会の視察のため不在なので前議長の重城市議が代表して挨拶を行い、その後に市長から話が行われた。
 吾妻の文化芸術施設や駅前新庁舎、富士見通りの再整備など来春の市長選以降に姿を見せる事業が進んでおり、会場に集まった後援会の全員が続投を信じていたことは間違えない。式が終わり羅針盤の有志で先日の会派代表者会議などの情報交換を行った。
 
 30日は午前中に溜まっている仕事を処理し、13時15分から岩根小学校授業参観に出席して授業の進め方を見守り、保護者説明も聞いていたが後援会封筒の納品の時間となり中途退席する。
品物を受け取り、家の中のことを済ませ夕方からHPを更新した。
 
 31日は録画していた報道番組を脇目で見ながら前日に届いた封筒に後援会報をひたすら詰め続け、腰が痛くなってきた午後から金融機関などで所要を済ませて帰宅し、夕方も2時間ほど袋詰め作業を行ってから娘を学童に迎えに行き、妻の帰宅が遅くなるので早めに夕食を摂って床に就いた。
 
 
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2025年2月上旬の記録