31.11月上旬の活動記録
1日は午前中に数日分の新聞を読み視察の資料などを整理してから妻子を連れて
旧富岡小学校で開催されている
ジビエフェスタ
に行く。前日に参加できなかった
Organic Industry Forum
は人数が少なかったと参加した議員から聞いていたので、この日の動向が気に成っていたのだが、広い駐車場が満車に成るほどの盛況であった。
キョンの試食も含むジビエ料理を満喫し、妻子はコースター造りなどを楽しむ。個人的にはキョンを見たことの無い市民も多いのだから生け捕りにした成獣を置くか、剥製でも置けばよいのにと考えながら会場を後にする。自宅に妻子を降ろしてから岩根小学校に向かいPTA役員として翌週の岩小フェスタで担当するお化け屋敷の設営作業を夕方まで行う。帰宅して夕食を摂ってからHPの更新作業を行ったが視察内容が濃いため時間を要し、気が付けば日付が変わっていた。
2日は朝から岩根西まちづくり協議会、ジェスパル、岩西中、岩小の混成チームでフラワー通りを整備するので岩小PTAとして参加する。
子どもたちを含めて多くの参加者が有ったので花を植えるだけでなく道路上に広がった土の除去や枝の選定など道路維持作業に近いものまで行った。帰宅しても作業着だったので家周辺の草刈り作業を行ってからシャワーを浴び、着替えてから市内で買い物をして回り、夕方には雑件を処理してからHPを更新した。
3日は朝のうちに雑務を片付けて9時半に家を出て妻子とともに潮浜公園へ行き
Organic City Festival 2025
へ参加する。少し風が強めであるが空は今年も良く晴れて絶好のイベント日和である。娘は保育園時代の友人と出会って遊びまわっているので見張りを妻に任せ、私は会場内の様子を撮影しながら知人に挨拶をして回る。
市役所と民間団体、商店や企業が一体となって作り上げる空間は雑多な宝物探しの様でもあり、会場には多くのテントも張られて子どもを連れて一日を過す人も多く居るようだ。行政や各種団体などのPR活動も多くトークイベントやアーチストの演奏、オーガニックな食事も楽しみながら午後2時過ぎに会場を後にして帰宅する。自宅で車の清掃を終えてから荷物を積み込み、翌日からの能登研修の準備を終えてからHPを更新し、早めに就寝した。
4日は午前1時に起床して事務所でメールの確認や返信を済ませ、午前2時に自宅に到着した千葉県支部顧問の高木君の車を自宅の車庫に入れて私の車で習志野に向かう。元習志野市議会議長の清水支部長宅でアンプ等の荷物も積み込み、首都高を通り抜け中央道を松本まで走り安房峠道路を抜けて奥飛騨から富山に降りる最短ルートで能登へ向かい午前11時には能登空港に到着し仮設商店街を見学してから道の駅のインフォメーションで「通れるマップ」を貰ってから輪島に入り、一部の耕作が復活した千枚田や隆起した海底に造られた名舟海岸道路、隆起して喫水が浅くなり水害の流木も流れ込んでいる名舟漁港などを視察する。
輪島に戻って国道249号線で研修会が開催される浦上公民館を目指す。道路脇の水田は水害で流入した土砂を搬出しながら圃場整備のような事業が進められていた。国道も河川の上に仮設桟橋を施工して復旧されており、被害の大きさと復旧の執念が感じられた。少し遅めの昼食をコンビニで摂り、14時半に金沢からバスで着いた本体と合流して最初の研修を開始する。
1.
石川県輪島市門前支所浦上公民館(あすなろ交流館)
視察項目
大規模災害時の避難所の現状
講師の喜田充氏は浦上地区の区長会会長で浦上公民館長である。浦上地区は地震前に26の集落に約4百人が住む地区で、7割以上が高齢者であった。地震と水害に襲われ今では14の集落には居住者が居なくなり集落の再編が課題である。災害前には有った駐在所・郵便局・商店は再建の見込みが無く田圃も8割以上が水害で耕作不能になっている。令和6年地震の際には半壊以上に成った家屋が殆どで公民館には収容しきれずビニールハウスや倉庫、車中泊などで過すものも居たがそれでも場所が確保できなかった10人程度が元日の夜に焚火を囲んで徹夜したとのことである。通信可能な携帯電話はソフトバンクだけになり地区で1人しか使用していなかったので情報も断絶された。食料の支援物資は3日目から届き始めたが支援物資の移動などで市役所と自衛隊などの指示が異なり現場は混乱した。避難所に寝具などを揃え7日目で約180人の避難者を受け入れたことがピークであり、いびきや咳、夜中の大声や支援物資を勝手に取りに行くことや異臭、お漏らしなどの問題が発生したが婦人会や消防団などを各担当に指名して対応してきた。避難所の運営に際して各種の物資が必要になったがその購入資金が不足することや、各集落の区長の中には持ち回りで区長に成ったものも居て連絡が取れなくなるなどの問題も生じた。ただでさえ多忙な避難所に市役所からは様々な調査書類が届きマスコミへの対応も必要となるなど大変ではあったが徳島県から2人の支援員が入ったことで運営や事務処理は楽になり災害が一段落したら地域で徳島県に旅行に行こうかという話にもなっているように皆が感謝している。感染者隔離部屋の確保や大容量の発電機などは事前に準備するべきであり、市役所や支援団体の窓口が一本化して避難所に矛盾する情報が届かない体制を構築して欲しいという意見は現場を経験した声であると勉強に成った。
災害ボランティア議員連盟の川上副会長が門前地区の支援をしていたとはいえ、民間人が我々のような議員連盟に自ら資料を作成して説明される喜田氏の責任感には感心するとともに、災害後に人口が大きく減り共有地の除草や除雪など今後も課題は多いようなので復興計画が進むことを願いながら研修を終えた。なお喜田氏の被災は軽微で自宅で休憩をとりながら毎日の業務に当たることが出来たので発災後からの記録を残す作業が出来たし対応を続けられる余力もあったが、仮に公民館に寝泊まりするようでは持たなかっただろうという意見は責任あるものは自宅の耐震化をしっかりしておくことが重要だと改めて感じた。
視察が終わって公民館から出ると既に日没しており、月夜が美しい中で今年の6月16日から暫定供用を始めたツインブリッジ(中能登農道橋)で能登島を経由して宿泊地の和倉温泉まで走る。この日の総運転時間は12時間を超えて流石に疲れたが、夕食後の懇親会は休まなかった。
5日はホテルの駐車場に車を停めたまま8時半に出発する研修バスに乗って再び輪島市へ向かう。この日は先月22日に館山で講師を務めていただいた奥能登広域事務組合危機管理官の佐藤氏が朝から同乗していただき途中途中で課題などを解説していただく。なお、今回の研修は28人の参加であるが、輪島市内でその人数を宿泊させるホテルが確保できなかったために片道1時間以上の異動を伴うのである。因みに千葉県支部は6自治体から8人が参加しており全体の28.6%を占めていた。9時半には建物の周辺に段差が大きく出来ている輪島市役所に入り予定より若干早く2日目の研修を開始する。なお市役所は市民の復旧が終わってから治すという考えで後回しにしているということである。
2.
石川県輪島市
市制施行 平成18年2月1日(旧輪島市は昭和29年3月31日)
人口 19,893人(令和7年10月1日現在)
面積 426.35km2
令和7年度一般会計予算額 1,480億54百万円
財政力指数 0.24 (令和5年度)
視察項目
災害時の病院と福祉の在り方
輪島市では
10年前
に会派で行政視察をさせていただいたが、その時に比べると人口は約9千人、比率にして31.4%も減少しながら一般会計予算は7.33倍に増加して過去最大となっている。これは災害廃棄物の処理や公共施設の復旧費が増大したためであるが、今後も道路等の復旧には膨大な費用と時間が必要になるので少ない職員で巨額の事務事業を進めることは大変なことだと思う。それはさて置き講師の輪島市役所健康福祉部長の河崎国幸氏は地震発生時には輪島病院の事務局長であり両方の視点から示唆に富んだ話を聞くことが出来た。なお職員が少ないため健康福祉部長でありながら福祉課長や福祉事務所長も兼務しているということで、多忙な中で研修にお付き合いいただいた。
地震が元日に発生したため病院には入院患者も職員も少ない状況であり建物は健全性を保っているものの検査や手術の機械は損傷し、上下水道や電気といったインフラが途絶え「災害拠点病院」の機能を失い、業務継続計画(以下「BCP」)が機能しなくなった。病院へも約百人が避難して足の踏み場もない状況であったが応援に駆け付けたDMATの協力を得ながら患者のトリアージを行うとともに避難者が他の避難所に移動することも手伝っていただいた。既存の入院患者も積極的に金沢などの病院への転院を進め、被災8日目からは自宅避難者などへの訪問看護を開始、36日目に外来全診察課が再開され、94日目に透析が再開、113日目に検査室が復旧し応急復旧完了宣言を出すのであるが、その間、職員の休暇を認めたり職員向け仮設住宅の整備や院内保育所の無料開放を通じて職員の退職を可能な限り防いだが、何より助かったのは衛生環境が悪化する中で君津市からトイレトレーラーが届いたことでスライドでは「救いの神」と形容されていた。後ほど質問して確認したところ段ボールの簡易トイレなども準備されていたが個室であることの精神的安定性は重要であり他のものは使いたくないという意見が大多数であったという。輪島市も必要性を感じて3台を購入したというが、本市でもトイレトレーラーに類するものは必要なのだろうと改めて痛感した。また災害は平日の昼間に起きる可能性は1/4程度しかなく、職員が不在な時に発生するものだと考え、被災した職員を支えながらの復旧を目指すBCPの見直し作業など経験しないと理解できない取組は君津中央病院にも引き継ぐべき内容であると考えた。
次に福祉避難所についての説明があり、福祉避難所は要配慮者への対応が出来る空間で避難所の延長にあり、要介護認定を受けるような人は介護保険施設に避難するしかなく、前者は介護保険法から災害救助法に範疇が移ることで無料であるが後者は介護保険法のままで有料の施設に成るがそれを減免する条例が必要という説明や、災害時で多くの人が施設を利用した場合は介護保険特別会計の財政安定のために保険料の見直しなどが必要になるという指摘に自分の理解不足を感じた。特に精神障害や発達障害の児童は支援計画に基づき事前に避難する場所へ何回も行く訓練を積まないと災害時にパニックを引き起こすという指摘は重要だと感じた。他の方々も誰に支援して欲しいかという点で計画を進め支援者と共に訓練を重ねることの重要性が指摘された。計画を作っただけの本市にとっては耳の痛い指摘であった。なお河崎部長も病院の復旧に向かう記録を残しているが、前日の喜田氏と同様に自宅が被災せず毎日着実に休憩をとることが出来たというのは長期に渡る災害対応で重要なことであろう。
会議室で昼食の弁当を頂き、午後からは佐藤危機管理官の案内で輪島市内の仮設住宅や港湾等の視察を行う。特に仮設住宅では積極的にコミュニティ造りを仕掛けて孤立することが無いように配慮していた。
公費解体は進み街中には空間が多くなったが、中には解体されずに残っている建築物も目立つ。輪島の名物であった朝市は方針がまとまらずに再整備方針が示せない状況で、そのうち販売をしていた方々が高齢化して再建が難しくなるのではという心配もあるようだ。現地視察の最後には
昨年
も見学している
門前地区の鹿磯漁港に向かった。ここは隆起量が一目でわかる場所で、漁港は使えなくなったと感じていたが港の中に港を造ることで漁船が使えるようにしていることには感心した。当面は工夫でしのぎ長期的な復旧は先の話に成るのだろうと感じていた。
この日も暗くなってからホテルに戻る。夕食の時間には千葉県支部が先月に館山で研修会を開催したことを私が説明し、翌日には奥能登広域市町村圏事務組合の議員を鴨川市の議員団が房総半島の観光施策を説明したお礼に能登の地酒の差し入れが有ったことを秋山議員から説明した。もちろん、そのお酒は夕食とともに全員で頂いたが、被災して現在は生産を休止している酒蔵も多く、飲むことも支援だと思いながら夜は更け、部屋に会場を移して遅くまで各議会の情報交換を楽しんだ。
6日は研修最終日でホテルの会議室を使って研修を受ける。なおこの日は木更津市議会で
総務常任委員会協議会
が開催され来年度の予算編成方針などの説明を受ける日であるが研修が事前に決まっていたので欠席届を出している。
3.
石川県珠洲市(現地視察では無いのでデータは割愛)
視察項目
災害時の珠洲市の状況
最初に元福井県議会議員で災害ボランティア議員連盟の設立発起人で現在は連盟の顧問を務める東門操氏より話を聞く。半島の先端にある珠洲市は道路事情が悪く現地に赴く時間が取れず和倉温泉での会議となった。その珠洲市は福井県及び浜松市をカウンターパートに復旧を進めており、その縁で東門氏が珠洲市の現状を話しながら福井県の状況も説明された。大規模災害時には職員も被災するので災害対策本部に参集するのは1/3程度に成るが、一方でカウンターパートの自治体から多くの応援が入るので空間の確保が必要であること、受援力は支援力の輪を膨らませるので受援を前提に日頃から相手自治体との交流を深めること、福井県はナホトカ号の教訓でボランティア活動推進条例を作成し各自治体も連絡会議をもって市が調整しているが各自治体から様々意見が出されて調整する中でより良いものが出来ていることなどを説明いただいた。今回の震災では能登半島の自治体の前面に石川県が出てボランティアのコントロールを行った結果、被災地では人手不足感が生じたが被災地では県に苦情を伝えない県民性が昔からあると聞き、令和元年台風で千葉県庁など当てにできないと思っていた房総半島とは違うようだなと思いつつ話を聞いていた。
次に珠洲市防災アドバイザーで福井大学名誉教授の酒井明子氏より主に看護の視点で現状の課題を聞く。酒井氏は災害関連死を分析し、どの段階なら死亡を停められたのか個々の事例で判断するなど今後の災害に対する予防を検討されている。珠洲市では指定避難所が22箇所であったが震災の避難所数は94箇所となってしまうなど行政の想定を大きく超えた。よりよい環境を提供できるはずの被災地を離れた2次避難では引き籠りがちになることで体力低下が顕著にみられたことなどを分析している。また被災者には多くの申請書類が求められるが多くの高齢者は理解できず書くことが出来ないという指摘と、それをシステムで改善し戸別訪問データを個人別に各種団体とデータを共有する連絡会議により申請がされなくても真に支援が必要な対象者を把握すること、特に孤立地区の支援の重要性なども指摘されたが、意外だったのは規格が統一されていない13種類もの段ボールベッドが混在することによる混乱と、酸素ボンベの流通が止まって亡くなられた方が多いという指摘である。3日間を通じて避難所、特に福祉避難所の事務が多すぎて疲弊し福祉避難所を受けたくないという意見があることに対し連絡員の派遣による事務量の低下策や人々を支えるコミュニティの維持などは災害が起きる前に取り組むべき課題であると再確認した。
研修終了後に会議室でお弁当を食べて記念写真を撮影してから解散となり、多くの方はバスで金沢駅に向かうが千葉県組の3人は私の車で帰路に着く。なお研修参加費は宿泊費を含み2万9千円、交通費は3人で割り勘にすることで約1万円なので合計4万円弱で濃厚な研修を受講してきたのである。私の場合は政務活動費等の公費は使用せず全て個人負担である。そのため交通費は北陸新幹線より安い相乗りにしたのであるが和倉温泉から木更津到着まで約7百キロを走り続けたら流石に疲れてしまい、22時に帰着後は直ぐに着替えて布団に入って寝てしまった。
7日は起床して3日分の新聞を読みメールのチェックをしてから研修の後片付けを行う。午後1時半から岩根小学校に行き翌日の岩小フェスタでPTA執行部が担当するお化け屋敷の準備を行い、午後3時半に娘を歯科医院に連れていき、夕食後にHPを更新し始めたところ能登の研修内容が濃く、調べ物もしていたら深夜を大きく回り込んでしまった。
8日は8時に岩根小学校へ登校し
岩小フェスタ
のお化け屋敷の最終調整を行い、事業委員会の皆さんが運営する学校内のイベント会場の様子を見て回ってから持ち場に着き9時半から12時まで子どもを怖がらせ続ける。12時半から会場の撤去作業を行い15時に作業を終えて帰宅する。遅めの昼食を摂り休憩してからスーツに着替え地元で開催される
江川・万石・西山・高柳4地区合同懇親会
に出席して地域の方々と懇親を深めて帰宅した。
9日は冷たい雨が降るので防寒仕様の服装に着替え8時に旧潮見庁舎駐車場で開催される
第48回木更津市消防団早出し放水競技大会
を見学に行く。雨のため開会と閉会の式典は省略されたが、消防署員や消防団員はレインコートを着て雨の中で黙々と競技を進めていた。
参加の是非は自由なのでポンプ車の部で2分団1部(桜井・小浜)、小型ポンプの部で2分団3部(畑沢)が出場を辞退していたが、それ以外の31部が競い合った結果、ポンプ車の部で4分団3部(久津間)、小型ポンプの部で2分団5部(上烏田・八幡台・羽鳥野)が優勝を果たして競技は終了となった。実は同じ時間帯に江川区で役員による除草作業も行われており、昼はその慰労会に出席する。多少の酔いが回る中、徒歩で帰宅して事務所で翌日の打合せに備え質問原稿を作成した。
10日は質問原稿の見直しをしてから市内で所要を済ませて駅前庁舎に行きコンビニ弁当を食べながら打合せ用の資料を作成し、13時から経済部と質問と資料の調整を行う。調整が終わり荷物を持って8階の会議室に上がり14時から
第127回木更津市都市計画審議会
に出席する。この日は諮問は無く12月定例会でパブリックコメントを行う前に報告という位置づけである。この日の議案は下記の通りである。
区分
番号
内容(件名とは異なる)
議事
No.1
都市計画マスタープランの一部改訂
No.2
調整区域における開発行為等基準条例の一部改訂
前者では鎌足や富来田の変電所周辺にデータセンターを建設できるようにすることなどの見直しで、後者は市街化調整区域でも地目が宅地である土地での分筆行為を含めた自己居住用建築緩和や農業者が建築して10年以上経過した建築物は非農家に譲渡できるような見直しである。後者について条例施行後の最低敷地面積が300㎡に定められる中で条例施行前の分筆はそれ以下でも許可される点の要件、自己居住用であるから工務店による建売や永住権の無い外国人には認められないことなどの確認が行われ内容の濃い質疑が続いた。個人的には都市計画とは関係ないので質問しなかったが前者のデータセンターは冷却用に大量の水を使用するので地域で余裕のある工業用水の利活用も検討し雇用にはつながらないものの多額の固定資産税を受けられる施設の誘致は進めるべきであると考えていた。審議会が終了して帰宅し、夕食後に事務所に籠ってHPを更新した。
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2025年11月中旬の記録