安達太良山 1,700m 福島県二本松市
1991年6月2日登山

 F島を福島駅で拾い、5人乗りの車であだたらスキー場の駐車場に着く。天候は薄曇りであり、登山開始は10時を回っている時間であった。
 整備の良い道を登り山頂に着くが展望は無い。しかし今回は人数も多いので昼食に楽しみを持ってきている。料理長W辺によるチーズフォンデュを食べながらビールやワインを飲むという山頂大宴会モードである。
 騒いでいるうちにガスが濃くなり視界が5m位になる。黒金小屋分岐を見落とす不安に駆られて宴会を終了し、少し見えるようになった時を狙って出発する。踏み跡が別れるたびに磁石で方向を確認し、意見を取り交わすが5人も居ると言い分がずれる。多数決原理で進むがこれでは速度も上がらない。
 小屋への分岐で篭山方面に間違って進んだようで引き返したりしているうちに雲が切れて足下に小屋が見える。登山道でない岩場を降りて予約してある小屋に到着するが時間が遅かったので夕食はキャンセル扱いされていた。手持ちの食料を食べて泉質の素晴らしい温泉に浸かり泊まる。
 翌朝は鉄山に登り直し沼ノ平らの特異な景観を楽しんでから下山をする。黒金小屋からは温泉の木樋が続き結構広い道であるが、想定しているより長いし、気温も高くて辛い。駐車場に着く前の渓流が気持ちよかった。なお、この前後の行程については自転車の旅である安達編を参照して頂きたい。
北奥千丈岳 2,601m 長野県川上村
1991年8月27日登山

 月曜日と火曜日が休みになり1年5ヶ月ぶりに道路公団上田工事事務所を訪問した。その帰り道で秩父最高峰となる北奥千丈岳に登ってきた。登ると行っても車で大弛峠まで登ってしまえば標高差は240m程度である。
 三角点が有る国師ヶ岳は2,592mでこちらでは金峰山より標高が低い。しかし最高峰は三角点もない上に縦走路から外れて陰が薄い山である。登山口からの距離が近すぎて山頂麦酒が抜ける暇も無さそうだから山頂紅茶にしなければならないのも残念である。
 夏だけに遠景は霞んでいたが、林道を苦にしなければ開放的な夏山を手軽に楽しむにはお勧めである。
雨飾山 1,963m 長野県小谷村
1991年10月19日登山

 8月から請け負っている建築工事の施工管理が新しい経験で楽しいのであるが忙しく出かける暇もなかった。しかし、この週末に時間の調整がつき1泊2日で山に行けることになった。日程が合うF島とK藤を誘い、名前も綺麗な雨飾山に登ることにした。
 18日の仕事が終わってから夜行急行列車で大糸線に入り中土駅からバスで小谷温泉に到着する。温泉旅館で山頂用の麦酒を購入して登山を開始する。しばらく車道を歩き河原の道から急に登山道が始まり急坂が山頂まで続く。そこそこの速度で歩いたはずだが山頂直下で女性の単独行に追いつかれる。松本から来ていて小谷口からの日帰り登山という話で、山頂の食事を供にすることを誘う。食事をしながら色々な話をして写真を送るための住所を聞いた。これがG藤さんとの出合であった。
 小谷に降りるG藤さんと別れ梶山新湯に下る。紅葉の時期だからかなりの混雑だった。夜の露天も気持ちよかったが湯の中まで混雑していた。持ち込んだウイスキーを飲んで簡単な宴を行って早めに寝る。
 翌朝、登山靴からビーチサンダルに履き替え山口バス停までの長い林道歩きを行う。帰りは日本海経由で帰り鉄道に詳しいK藤の勧めで筒石駅に途中下車をして海岸で食事を作り麦酒を飲む。
 在来線で宮内を回り水上まで出たらやっと特急に乗り大宮に出る。駅前でホッピーを飲んで旅の打ち上げを行い上尾と柏と木更津に別れていった。
大菩薩岳 2,057m 山梨県大和村
1991年11月3日登山

 文化の日とその代休の1泊2日で2つの山に登ろうという企画になった。前回の3名にS井が加わった4名で私の車に乗り、11月2日の夜中に走って、まずは大菩薩を目指す。笹子トンネルを抜けて上日川峠の駐車場まで車で上がり、そこから歩行開始。登山道と言うよりハイキングコースのような整備された道で大菩薩嶺に到着する。山頂周辺は木立で展望は無い。雷岩まで降りたところで登頂祝いの乾杯を行う。雲海の上で浮かんでいるような気分を味わう。
 大菩薩峠を経由して駐車場に戻り車での移動を開始する。柳沢峠を越えて丹波山村に出て蕎麦を食べ、お祭から後山林道に車を入れ終点まで行き路肩に車を停め三条の湯に向かう。登山口に温泉小屋があるというのは嬉しい物だ。
 東京都水源の森の豊かさに感心し、もう終わりに近付いている紅葉を見ながら歩き、川を離れて急坂を登り小屋に到着する。湯船は狭かったが部屋は4人で貸し切りに出来て、落ち着いた良い小屋だった。
雲取山 2,017m 山梨県丹波山村
1991年11月4日

 晴れた11月の朝は寒い。冬支度で歩き始めるが尾根への登りへ取り掛かると体も暑くなり服を脱いでいく。尾根に出て視界が開けるが、この頃は秩父の山々のピークには詳しくなかったので何処がなんだか解らないままである。それでも展望がよいのは有りがたい。
 尾根の緩い部分を少し行くとMTBを担いだ一群が現れる。この先の山頂部分は急だがそれ以外の縦走路では乗れるところが多いという。流石に東京の山には色々な奴が居るなと思う。
 最後に200m近い標高差を急登すると山頂に到着する。苦労が多いだけ昨日の大菩薩に比べて感動が深い。たどり着いた山頂で大休止を行い、4人で乾杯し昼食を食べる。F島は白岩山から三峰神社を経由して秩父鉄道三峰口に降りて帰りたいと言うが同意する者が無くてあきらめる。
 下山では疲れが出たのか車までが嫌に遠かったような記憶がある。さらにその先の青梅街道で渋滞も始まり運転がより面倒だった。この会は解散にあたっての打ち上げ宴会は無く別れていった。
No06 .1991/6-1991/11    ←No05No07→
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