No.72 安達編      日本を走る ←No71下越編No73栗駒編→
旅行期間 1991年6月1日〜1991年6月3日 旅行日数:3日間
総走行距離 71km
走破市町村 9
同行者 W辺・K藤・S井・F島 使用自転車:RT(S井のMTB)
総費用 22,515円 当時の年齢:27歳
初日 1991年6月1日
輪行区間 自宅→安達ヶ原、飯坂温泉→白石市木村屋旅館YH
走行区間 安達ヶ原〜飯坂温泉
走行距離 71km
走破市町村 9(岩代,東和,飯野,川俣,月館,霊山,保原,梁川,丸森)
累計数 2,278
 GWの下越編を終えて、適度な旅はリフレッシュになるのだから肩肘張って生きていなくても良いという当たり前の事に気づき、自転車も山も楽しもうと思った。そうなると色々な企画を立ててしまう性格である。そんな訳で今回は月曜を休日にして2泊3日の里と川と山の旅である。
 5月30日の青年会議所の会議が10時過ぎに終わり、木更津市内でS井を拾い、松戸のW辺家で彼のカリブに荷物を詰め替え、北柏でK藤を拾い岩槻ICより東北道で北上し、安達太良SAで仮眠を取った後、二本松ICで高速を降り阿武隈川を渡った安達ヶ原公園で私とW辺が自転車を降ろし走行を始める。
 なお、この時のトランクの中には私のシーカヤックと登山道具4セットが積まれている状態である。私がカヤックを出しているので自転車はS井のMTBを使用することになっている。自転車で走らないK藤とS井は午前中に霊山登山を行うので私達を降ろすと直ぐにカリブで登山口に向かうのである。
 走行開始は午前7時である。ほぼ徹夜なので眠いし怠い。天候は高曇りなので日差しにダメージを受けないのが良い。今回初めてMTBで長距離を走るが舗装道路に向かないことを実感する。細かなアップダウンを越えながら走破を続け飯坂温泉駅に10:40に到着する。K藤達はまだ着いていないのでベンチに腰掛けビールを飲む。11時を過ぎて2人が着き鯖湖湯に入るが熱くて浸かることが出来ない。水で薄めていると地元の人が入ってきて叱られる。なかなか奥が深い温泉である。
 一旦車に乗りびっくりドンキーで昼食を取り、保原まで移動して自転車を降ろし県境まで阿武隈川に沿って走行する。宮城県に入ったところで自転車をS井と交代し、K藤もW辺の自転車に乗り川沿いに走る。
 河原に降りられる場所を探し、W辺の手助けを借りてカヤックを組み立てる。阿武隈川下りを楽しむが瀬も多く素人には難しい。30分も下ったところで隠れ岩にぶつかり沈没する。自分が抜けるとそこから勢い良く水が入り圧力を受けてアルミフレームも曲がってしまうし、水圧が強くW辺も冷たい水の中で手伝ってくれるがなかなか岩から離せない。道は川に沿って付いているが木立などで死角も多く、自転車組に発見されるまで大夫時間が掛かった。交代で乗る予定だった他の者の予定も全て取り消して川から上がり、崖を登ったところのGSの水道を借りて泥を落としたのち、カヤックを解体し収納する。
 今夜の宿泊は鎌先温泉にある木村屋旅館YHである。川から上がって乾いた服に着替えて暖かい缶紅茶を飲んでYHまで温泉を我慢する。到着したら旅館がYHを兼用しているだけあって風呂も部屋も食事も豪華で非常に満足できた。カヤックの修理などの頭の痛い問題も夜の酒で先送りをしてしまうのだった。


2日目 1991年6月2日
移動区間 白石市木村屋旅館YH〜二本松市くろがね小屋
3日目 1991年6月3日
移動区間 二本松市くろがね小屋〜自宅
 土曜が休めなかったF島が今日から参加するので福島駅に迎えに行き安達太良山に登る。その夜泊まった山小屋に置いてあった雑誌で福島県本宮町にアサヒビール工場のビアホールが有ることを知ってしまう。
 山から下りたらABへ行こう!を合い言葉に下山してAsahi Beer hallに到着。酒が飲めないS井を運転手にして4人が飲み放題コースを頼み団体登山の打ち上げを行う。このABが気に入ってしまい今後も山の後で度々使用することになる。
 帰路は東北道の渋滞回避のため49号線でいわきまで走り常磐道経由で柏に着き『いこい』で清算の打ち上げをする。F島とK藤は柏駅から帰り、私はW辺の家からS井の運転で帰り、旅も解散になっていくのだった。(次は栗駒編