男体山 2,484m 栃木県日光市
1989年10月14日登山

 紅葉を見ながら日光の山に登ろうという話になり、私は上田から鳥居峠と金精峠を越えて、S井はW辺の家で落ち合ってからいろは坂を登り、戦場ヶ原の駐車場に13日の夜中に集まった。
 翌朝、W辺の車を志津小屋近くに置いてきてから二荒山神社に行き正面から登り始める。最初の内はW辺が好調だったがオーバーペースでダウンし、私とS井が途中で何回か待たされることになる。3時間かけて山頂に着くとやはり寒い。期待していた中禅寺湖の見下ろしも出来ず一面ガスの中である。
 昼食を取って志津に降りる。W辺の車で二荒山神社に停めてある私の車を取りに走っていると山頂が良く見えている。今後もガスの山を降りると晴れるというのは良くある話になる。車に戻ったら日光湯元温泉へ向かう。
 日光湯元の民宿でW辺は直ぐ寝てしまい、S井と酒を飲みながら見た近鉄の優勝と大石の渋い表情が妙に印象に残った夜だった。
奥白根山 2,578m 栃木県日光市
1989年10月15日登山

 天気予報では晴れる事になっていたが時折小雨が混じる寒い日である。そんな天候の中、朝から車2台で金精峠に移動し登山を始める。
 金精峠が最も標高差が少なくて楽だと判断したが金精山[2,244m]を超える縦走路は予想外にきつい。ガスで展望も得られないまま五色沼に到着し最後の急登にかかる。山頂はずっと雲の中である。全く展望のない山頂に到着するが寒さのあまり記念写真だけ撮って直ぐに下山する。
 避難小屋で昼食を取っているうちに雲が切れ始め展望が開けてくる。しかし山頂に登り返す元気はない。男体山方面の展望が有れば良いことにする。
 再び金精山を越えて峠の車を取りに行き、群馬側に下り白根温泉に入浴してさっぱりした服に着替える。前橋まで一緒に走り、母校の近くのレストランで夕食を取って解散し私は碓氷バイパスを越えて上田に帰っていった。
 これが公団時代最後の登山であった。
鳥海山 2,236m 山形県遊佐町
1990年8月2日

 F島と交代で車を走らせ、朝8時頃に鉾立登山口に到着する。車で標高差を稼いでいるがまだまだ山頂は遠い。2人とも標高差1,000m以上の山は初めてなので山小屋に泊まる覚悟で登り始めた。
 象潟口コースで標高を稼ぐ。道の整備も良く勾配も緩いので大変歩きやすい。鳥海湖を見下ろせる御浜神社で一休みする。気温がだんだん高くなってきて辛くなる。
 登りは千蛇谷コースを進む。谷には雪が残り、雪渓歩きが初めてなので嬉しくなる。山頂直下の急坂を前に大休止を兼ねて昼食を取る。息も整えて大物忌神社まで登れば最高峰の新山は目の前である。
 岩場を登って午後1時頃に山頂に到着する。F島と山頂到達を祝い先ほどまで雪渓で冷やしていた缶ビールで乾杯する。一休みしたら外輪山を登り返し七高山から火口淵を降り始める。息は切れていたが足の筋肉はまだ元気で、速度をどんどん上げ始める。御浜に3時前に到着したので泊まって影鳥海を見るという計画を取り止め、下山して牡蠣を食べようと決めて小屋を通過する。
 鉾立には4時頃到着する。一刻も早く生ビールを飲みたいと温泉にも入らず酒田まで走り電話帳で予約したビジネスホテルでシャワーを浴び、近くの居酒屋で極楽タイムに突入するのだった。以降の日程は自転車の旅である鳥海編を参照していただきたい。
明神ケ岳 1,169m 神奈川県南足柄市
1991年3月10日登山

 この頃、S井が横浜に出張していた。横浜に宿が有るうちに遊びに行こうとK藤が誘うので9日の夕方に集まり居酒屋や屋台で飲んだくれる。飲みながら明日登山しないかという話になり箱根を越えることにする。
 翌朝、相鉄から小田急に乗り換えて松田駅で降りる。1/25000地図を購入してからタクシーで最乗寺に向かう。お寺を参拝して奥の院から登山を開始する。そもそも当初予定では登山の企画が無かったからジーンズにスニーカーという足元でK藤に至ってはマントを持っている。2時間で山頂に着き宮城野に降り、箱根登山鉄道で帰る。途中の塔ノ沢で公衆温泉に入る。小田原駅前で打ち上げをし東海道線のグリ−ン列車で帰る贅沢をした。
No05 .1989/10-1991/3    ←No04No06→
日本を走る