利尻岳 1,721m 北海道利尻町
1993年7月20日登山

 最北の山への憧れが4人を突き動かし、集団登山となった。ここに至るまでの旅や下山後の出来事については道北編に譲り、ここでは宿の車を降りた甘露名水以降の山行を記載する。
 水場は最後までないので甘露水を満タンに詰め登頂開始。願いが叶ったか天候は晴れ。稜線に出れば礼文島が見下ろせる。気温も昨日に比べて高い。登山道の開放感は高く、自分が高度を稼いでいく課程と山頂がだんだん近付いている状況を把握しながら登り続ける。それにしても標高差約1500mというのはやはり楽ではない。昨日宿に居た華奢な女の子も山頂を踏んできたと言うがかなり頑張っているなと自らの体で理解できる。
 利尻岳山小屋の鞍部で大休止を兼ねた少し早めの昼食を取る。私の水の消費が早い。大休止の間に雲が出始め、山頂到着時にはガスが巻いている。全員で登頂麦酒の乾杯をして休んでいる内に視界が開ける。下山すべき沓形の町が非常に低く遠く見え、あそこまで行くのかよ、という言葉が誰とも無しに口をつく。
 頑張って山頂についたものの下山路の沓形ルートは降り口のトラバースがガレているので危険である。しかし、それ以降は急坂を坦々と下るだけであり、標高900mを下回ると勾配も緩くなり、K藤やF島は走り始める。もうみんな歩くのに飽きて無口になっている。
 標高420mで舗装道路に出る。都合良く車でも来ていないかなという淡い期待は夢に終わる。公衆電話もなく車を呼べず、遥か遠くに見える街まで舗装道路を黙々と歩く。私の水筒は既に空になっている。
 そして街に出るのがこれほど嬉しいのか、という思いで沓形に降り宿に電話して迎えを頼む。もちろん来るまでの間に乾いた体に麦酒を流し込んでいたことは言うまでもない。
大雪山 2,290m 北海道旭川市
1993年7月23日登山

 利尻はK藤とS井も一緒に登ったが、大雪では彼らと別行動の途中なのでF島と2人で登山をする。
 大雪山旭岳ロープウェイで姿見まで上がる。池はまだ雪の中である。そこから大雪山系最高峰の旭岳に向け700m近い標高差を一気に登頂する。キタキツネが彷徨いている山頂に到着。記念写真を撮って少し待てば展望が開けてくる。延々と続くような起伏に縦走意欲が湧いてくるが今回は日帰り装備しか持っていないので課題は先に送る。
 下山は間宮岳を経由して中岳分岐から下り、憧れの中岳露天風呂に入浴。この開放感はたまらない。
 温泉にすっかり惹かれてしまったために姿見の駅からのロープウェイ中間駅の近くにある天女が原温泉にも入る。下山中に2度も湯に入りすっかり筋肉をふやけさせる登山になった。なお、大雪に至るまでの経路については道北編を参照にして頂きたい。
谷川岳 1,977m 群馬県水上町
1993年8月1日登山

 群馬に居る頃から登りたいと思いながら遭難者の多さに尻込みしていた谷川岳に単独で登る決意をした。
 村上行き夜行列車を土樽で降り、仮眠しようと思うが寝付くことが出来ず午前3時からヘッドライトで歩き始める。茂倉新道を登り、茂倉岳[1,978m]で稜線に出ると深い霧の中である。一ノ倉岳からオキノ耳に至る間の高度感もなく谷川らしくない。山頂に着く頃には雨になり肩の小屋で朝食を作り山頂麦酒を飲む。天気も良くないので下りは谷川岳ロープウエイを使って土合に降り、バスで湯桧曽に出て温泉に入った。まだ昼前のことであった。 
磐梯山 1,819m 福島県猪苗代町
1993年8月8日登山

 谷川登山から1週間で有るが、今回はK藤と一緒に磐梯山を目指した。登山口は最も容易な磐梯山ゴールドラインの八方台からの登りである。20年近くが経過した今となっては登山道の状況を思い出すことが出来ないが比較的楽に登ったように覚えているし、学校の行事での小学生の登山者が沢山居た記憶がある。
 山頂からの展望は、下界に雲がかかり猪苗代湖も裏磐梯の湖も見えない。時折雲が切れる合間にうっすらと安達太良山や吾妻連峰が見える程度であった。雨の谷川よりも良いが展望に恵まれない日々が続いている。
 帰路は芦の牧温泉に入って帰宅した。
No11.1993/7-1993/8    ←No10No12→
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