那須岳 1,915m 栃木県那須町
1992年12月6日

 この年は正月の阿蘇中岳に始まり、2月を除いて毎月登山を実行して来た。その勢いで12月もどこかの山に登ろうと友人を誘い、日程の合うK藤とF島と3人で、まだ積雪の少ない那須岳に行くことにした。
 12月からの現場は工期も短く土曜の遅くまで仕事が続き、柏のK藤邸に到着したのは午前2時頃だった。K藤の車に乗り換えて登山口駐車場まで走る。つまり徹夜である。F島はこの少し前から群馬県人に成っていたので今回は現地集合である。
 
 少しだけ仮眠して7時頃より登山を開始する。8年前は強風で撤退したが今回はその時に比べれば遙かに状況は良い。稜線に出ても雪も風も苦にならない。逆に霧氷が着いて山頂部は綺麗である。茶臼岳の山頂まで上がり、麓のコンビニで購入してきた乾杯用ビールと昼食を取る。那須ロープウェイの営業も先月で終了しているので他に誰の登山者は1人しか居ない静かな山頂であった。
 下山して塩原温泉の岩の湯に浸かり、佐野の焼き肉屋に寄って今年一年間の御苦労様会をやってF島と解散する。飲んで泊りたいところではあるが明日からの仕事も厳しいのでその日のうちに帰宅した。
大峰山(八経ヶ岳) 1,915m 奈良県天川村
1993年1月3日登山

 昨年の九州の山が正月でも登れたので、関西南部も何とかなるかと思ってF島を誘って正月2日から山と自転車の旅に出た。この山の前後の記録は伊勢編を参照していただきたい。
 下市からの309号線の運転に疲れ果てて行者還林道のトンネル西口駐車場に着いたのは午前1時を回っていた。車は小さいファミリアなので椅子を倒すためには自転車の輪行袋などのような大きな荷物を外に出さねばならない。それらを片づけてから寝袋に入っるが寒さのため何度も目を覚ますことになる。
 快晴の朝だがとても寒い。朝食にラーメンを造り身体を暖めてから登山を始める。縦走路に上がると登山道は雪道である。幸い正月に入山した人の踏み跡が数多くあり道に迷うことはない。
 登り始めて2時間半で天河奥宮に到着する。目前の八経ヶ岳は雪山のように見えてアイゼンの無い足元が心配になるが、神社にいた登山者が心配ないという。たしかにすれ違う人でアイゼンの人は居なかった。
 山頂からは大峰山脈や高野の山並みが一望できるが殆ど里も見えず山の深さを感じる。凍りそうに冷えた乾杯ビールを飲んでグリセードの練習をしながら下山を始める。車に帰り冷え切った身体を暖める今夜の赤目温泉の宿まで3時間近い大変な運転が残っていた。
高谷池 2,147m 新潟県妙高高原町
1993年4月24日登山

 昨年の武尊山でのスキー登山の面白さに目覚めてしまい、山スキー用の板とストックを購入してしまった。その手始めにK藤と火打山日帰り登山を目指した。
 国民宿舎からの往復を目指したが除雪が進んで居らず、3km以上も余分に歩く事になり、その上、板の取り扱いに手こずり高谷池の雪原に出たのは午後1時を回っていた。ヒュッテは営業前であったし、明日の天気予報が悪かったので山頂を眺めながら撤退を決断する。
 快適に滑り降りてその夜は燕温泉の駐車場で雨の中の車中泊をした。翌朝が晴れたときには複雑な気分であった。なお、火打山のリベンジは4年後の事である。
八幡平 1,613m 秋田県田沢湖町
1993年5月2日登山

 GWに八幡平のスキーツアーを企画したが休みの日程や自転車を交えた前後の行程の関係でW辺と2人で行くことになった。県境登山口駐車場に車を停め、板で山頂まで歩く。岩手山も綺麗に見えて気持ちよいが、ここから蒸ノ湯温泉に滑り降りる段階で、W辺は自分の古い板に私が武尊で使用したアタッチメントで登ったので、下りに板が固定できないことが解った。調整するような道具も持ってきていない。ツアーを止めて車に戻ろうかと提案するが、W辺は騙しながら下るから大丈夫だと言うので滑り降りることにする。
 シールをはずし滑走を開始するが、やはり上手く滑られずに速度を上げられない。それをサポートするように暫く併走していたが蒸ノ湯温泉手前の勾配が急な場所に滑り込んだ場所で別れてしまい見失ってしまう。仕方なく温泉の前で待っていると15分位して痛そうな顔をしてW辺が到着する。源泉の上のスノーブリッジを踏み抜いて雪の下に湧く高温の源泉に片足が入り火傷をしたという。直ぐに宿で手当をお願いすると供に、近くの阿仁に遊びに来ているK藤に連絡を取る。幸い大した事は無かったが、K藤に駐車場まで運んで貰い、W辺の車を私が運転して帰るというバタバタとした終演だった。
カメラ忘れで写真無し 焼 岳 2,455m 長野県安曇村
1993年7月8日登山

 久しぶりにG籐さんと旅行しようという話になり、彼女の住む松本の近くの焼岳の登山規制が緩和されたので登りに出かけた。彼女を自宅で拾って出発し、中ノ湯温泉から登り始める。最初の急坂を終えた標高1900mの平場で写真を撮ろうとして車に忘れてきたことに気づく。彼女もカメラを持っていないので焼岳は映像無しに成ってしまった。
 森林限界も超えた急な道を登り、真の山頂のである南峰より少し低い北峰2393mの頂上に着き、手作りおにぎりを食べる。カメラが無くて火口湖や活火山の景観を撮れなかったのがつくづく残念である。同じ道を下り中ノ湯温泉に入って松本に帰った。なお、この時の中ノ湯は2年後の橋脚工事での水蒸気爆発に伴い廃止されてしまった場所であり、色々と取り戻せない想い出がある。 
No10 .1992/12-1993/7    ←No09No11→
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