赤石岳(2回目) 3,120m 静岡県静岡市 1999年8月21日登山:単独 5年前に実施した広河原から椹島までの縦走の続きを実施した。19日の仕事を終えてから車で木更津を出発。午前2時頃畑薙ダムまで移動し車中泊をする。翌朝今夜の赤石小屋に泊まるための宿泊券を購入し、最初の東海フォレストのバスで椹島まで移動する。気温も高く寝不足で辛い。午後1時前に小屋に到着して昼寝を決め込む。 翌朝、縦走路が長いので夜明け前に小屋を出発し、一気に登る。赤石岳の山頂だけ雲が懸かり展望が得られない。午前7時少し前に到着して20分ほど粘るが寒くなるし、前回に楽しんだからと諦め縦走路を南下する。 |
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聖 岳 3,013m 静岡県静岡市 1999年8月21日登山:単独 赤石岳から百間洞までは天気が持ったが中盛丸山を越える辺りから雨になり始める。今回は寝具持参で来ているから兎岳避難小屋で泊まろうかと考えながら進む。しかし、避難小屋に着くと中は板が剥がされて汚く、とても泊まる気にならない。まだ体力は持つだろうと縦走を続ける。 さすがに聖岳の登り返しで気力が萎え始めるが雨も上がり、ガスの中疲れ果てて山頂に到着。1時間の展望待ち大休止を取るが天候は回復せず。その間に通過したのは山岳パトロール1人だけだった。 結局、聖平小屋に着いたのは午後5時でその日最後の客だった。 |
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上河内岳 2,803m 静岡県静岡市 1999年8月22日登山:単独 朝は曇ってはいるが時折光も射し、今日の天気が回復する傾向を伝えてくれる。 聖平小屋から標高差540mを登り返して上河内岳に到着する。山頂到着直前に雲も切れ、縦走路や昨日越えてきた聖岳が綺麗に見えるなど展望は抜群によい。それにしても谷底までの標高差が大きい。明日の下山が思いやられるな、と思いながら縦走路をさらに南下する。 茶臼岳は帰路でのんびりしようと素通りすると急激に人が減る。縦走路を易老岳まで進むと人が増え、やはり光岳だけを登りに来る人が多いのだと実感する。 |
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光 岳 2,591m 静岡県静岡市 1999年8月22日登山:単独 易老岳から樹林の中を緩やかに下り、イザルガ岳に登り返す途中で気持ちの良い水場に出会う。良く涸れているという噂だったので流れに嬉しくなる。ボトル全てを満タンにして重量を3kg以上増やして歩くと気持ちよい高原状の広場に出て光小屋に着く。すぐさま荷物を降ろし、光岳山頂までカメラ片手に散歩に行く。 山頂に着けば登山道も不明確といわれる山々の頂が南に続いているのが見渡せる。『寸又峡温泉まで13時間』という看板の文字に後ろ髪を引かれるが畑薙まで車を取りに行くのが大変なのと、9時間以上の林道歩きが絶えられないと、これ以南の縦走を取り止める自分を納得させる。 光小屋はペンション並に綺麗だし蔵書も小屋の小ささの割にそこそこ有る。トイレは当時最先端のバイオトイレである。三伏峠以北から縦走してきた人か60歳以上の人ではないと原則的に食事は出さない、寝具は貸さないというような事を書いてある。どちらも持参しているので問題ないが北アルプスでは考えられないような対応に却って潔さのような物を感じて嬉しくなる。 翌朝は高曇りの御来光。上空の雲に富士山の陰が出来るという幻想的な夜明けをイザルガ岳で迎え、小屋に戻り朝食を取り、名残惜しく縦走路を引き返して行った。 |
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茶臼岳 2,604m 静岡県静岡市 1999年8月23日登山:単独 茶臼岳は前日も越えてきているのであるが、帰路の方が山頂でのんびりしていたので23日のカウントにした。山頂に着いて展望を名残惜しく見渡していると荷物が大きな若者が北から到着する。聞けば広河原から南下中と言う。自分は5年前に靴が壊れて諦めた話をすると奇遇ですね、と針金で補強してある靴を見せる。易老渡に降りるという彼の無事を祈り山頂で別れる。 茶臼山頂から一気に標高差約1,600mを下り、最後に僅かな登り返しで膝が笑い始めてつまらない石ころに躓くようになった頃に畑薙吊橋に到着する。この橋は通路幅が足場板2枚分と狭く、自分の思った場所に足を置けないような錯覚に落ち、非常に恐怖を覚えた。 長い吊り橋を渡ればダムサイトの林道をとぼとぼと歩き午後2時頃車に到着。田代のキャンプ場にある温泉で汗を流し、長い山道を運転して帰るのであった。 |
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