空木岳 2,864m 長野県駒ヶ根市
1995年8月24日登山

 93年の夏に北アルプスの常念岳、94年には南アルプスの北岳に登っているので夏にはアルプス、と考え中央アルプスに入った。
 自宅を夜明け前に出発し、中央道で駒ヶ岳ICに到着。駒ヶ根高原の駐車場に車を停め標高差約2000mの池山尾根を午前7時より登山開始する。標高差の大きい尾根はペース配分が重要だと黒戸尾根の経験で学んでいるので7時間かけて午後2時に山頂に到着。
 急坂を370mほど降りてこの日は木曽殿小屋に泊まった。
木曾駒ケ岳 2,958m 長野県駒ヶ根市
1995年8月25日登山

 目覚めると朝焼けが凄く綺麗だったから珍しく夜明け前に小屋を出発し東川岳[2671m]で御来光を仰いだ。早く出発したからと言って行動がゆっくりになることはなく、その上昨日のハードワークにも関わらず体が軽い。だから宝剣岳[2931m]を越えたときはまだ午前10時前で、宝剣山荘で休息中に話しかけてきた人に木曽殿小屋から来たと言ったら「猿のように山を駆けてますね」と言われる。
 宝剣が峻険だったためか、木曽駒ヶ岳は緩やかにあっけなく到着という感覚で山頂に立った。麦酒を飲み早めの昼食を取り、千畳敷からロープウェイで一気に下山し、バスで車を取りに行く。時間はここでほぼ正午。直ぐに高速に乗り諏訪SAの温泉で着替え、渋滞の首都高を走り抜け、姉ヶ崎袖ヶ浦ICで高速を降り、鴨川有料道路で鴨川を経て内浦山県民の森に着いたのは夜9時近い時間だった。
 そして地元の小学生達が行っているキャンプの安全パトロールなどをしてバンガローで寝たのが午前3時過ぎ。長い一日が終わった。
黒斑山 2,405m 長野県小諸市
1995年9月1日登山

 上信越道の小諸〜更埴間の開通まで後1年ぐらいと見込まれるようになってきたので、開通記念式の1年前に事務所創設時のメンバーで懇親を深めようと言う誘いが届いた。「ついで登山」として黒斑山に単独で登ることにした。
 浅間山の入山禁止が続いているため本によっては100名山の代理ポイントに選んでいる物もある。事実、浅間山より163m低いだけだし展望も素ばらしい。
 浅間2000のスキー場から登ると容易に山頂に立てるのも魅力だが物足りないという気もした。
魚沼駒ケ岳 2,008m 福島県檜枝岐村
1995年10月21日登山
 
 週末の天気が良さそうだと解り、越後三山の地図を購入して只見湖の紅葉狩りも兼ねた登山に出かけた。
 早朝に駒ノ湯の駐車場に車を停め午前6時に登山開始。約1620mの標高差を4時間で登り、10時に山頂到着。1時間近く休息と食事と展望の満喫をして同じ道を3時間で下山し午後2時に車に到着。ぬるいが湯量の豊富な駒ノ湯温泉にのんびりと浸かる。
 下山後は枝折峠が一方通行運用になっているため大湯に戻りシルバーラインで奥只見に入る。駒ノ湯で予約した小白沢ヒュッテに到着したのは午後4時を少し回った所であった。
 宿泊は私以外に2人だけ。「ヒュッテも来週末で営業を終了して戸締まりをし里に下ります」とヒュッテの婆さんが言う。冬がそこまで来ている事を実感する。宿のTVは衛星放送しか入らないが、それでも入るだけ良いですよと婆さんは言う。奥只見の極めて深い山の中でニューヨークの出来事を見ているのも変な気がする夜である。
平ケ岳 2,141m 福島県檜枝岐村
1995年10月22日登山

 小白沢ヒュッテを夜明け前に出発して国道際の駐車場に車を停め午前5時半から登山開始。標高差1300mよりその長さが嫌になる台倉尾根を延々と歩くが前日の魚沼駒ヶ岳登山による筋肉痛でピッチが上がらない。
 池ノ岳まで上がると越後三山の展望が一気に開け感動するが既に6時間も歩いている。山頂到着は12時になろうとする頃であった。
 食事を取り玉子石を見てから下山開始。気力も絶えそうになりながら車に到着したのは午後4時半。山が深いだけに既に薄暗い。
 個人的にはこのコースはもう歩きたくないが、皇太子登山の際に付けられたというショートカットの道を通常登山に使用することは平ケ岳の遙かな山という魅力を薄めていくように思う。
 なお、下山後は檜枝岐温泉に入り、那須塩原IC経由で自宅に帰ったのは日付も変わった頃であった。
No18 .1995/8-1995/10    ←No17No19→
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