仙之倉岳 2,026m 新潟県湯沢町
2000年6月29日登山:単独

 梅雨ではあるが天気予報ではこの週末の上越国境は晴れそうだから谷川連峰最高峰の仙之倉岳に登ることにした。土曜の早朝に出発し、アクアラインと関越を経由して月夜野で一般道に出て三国峠を越え、元橋登山口に到着する。
 平標はスキーで登りたかったななどと思いながら松手山経由の稜線ルートで標高を稼ぐ。苗場の姿がどんどん綺麗になっていき、周辺には花が増えていく。平標山[1,984m]を過ぎて見えた縦走路も綺麗に晴れ渡って気持ちがよい。しかし仙之倉山頂に着く直前からガスが掛かり始め山頂での展望はなかった。
 帰路では平標から山の小屋経由の谷ルートを経由して下山する。木の階段が標高差300m近く続き、何事かと思うが、そうしないと浸食を止められないのであろう。
 この日は浦佐に泊まり、翌日秋山郷の屋敷温泉や切明温泉の野天風呂に浸かって帰宅するのであった。
黒岳(水晶岳) 2,986m 富山県大山町
2000年9月9日登山:単独

 7月と8月の週末は全て仕事と青年会議所行事で埋まってしまい、今年も夏のアルプスが途切れるのかと思っていたところ、9月8日の金曜日が休めそうな見込みになり、山中2泊の北アルプスに行くことが可能になった。例によってF島には声をかけるが休めないと言うことで単独登山である。
 7日の仕事を終えてから寝台特急を使って富山まで出て、富山電鉄とバスを乗り継ぎ折立登山口に到着する。
 そこから歩きやすい登山道を進み3年ぶりの太郎平に到着する。あまりに薬師岳が綺麗に見えるので小屋で生ビールを購入してこの景観に酔いしれる。
 ビールを飲み終えたら薬師沢をグングンと下り薬師沢小屋に泊まる。水音がずっと聞こえる小屋も落ち着いていて良い物である。
 翌朝、急坂を一気に登って天井の楽園と言われ憧れていた雲の平に至る。花の季節でも無いし昨日のような晴天でもないが、その開放感と広がりが気に入る。登山者は殆ど見られない静かな高原を後に高天原目指して一気に下る。温泉好きの夢である高天原温泉に行くためである。高天原山荘で温泉の利用方法と温泉沢登山道の状況を聞き、湯を目指す。そして誰も居ない綺麗な脱衣場まで着いた温泉でのんびり汗を流し、憧れを一つ達成する。
 温泉沢は迷いやすいというアドバイスを受け岩苔乗越経由を選ぶ。雲の平への登りの疲れが出たのか稜線に出る手間でだいぶへばる。大休止の後、水晶小屋に着き、荷物をデポして黒岳(水晶岳)山頂の往復を行う。目の前には常に赤牛岳が聳え、読売新道へ挑戦する日を楽しみにしてしまう。山頂でビールを楽しんだら水晶小屋で泊まる。この日の宿泊は自分を含めて6名だった。 
野口五郎岳 2,924m 長野県大町市
2000年9月10日:単独

 朝食を取ってからゆっくり出発。同方向へ行く人は同宿者には誰も居ない。さすがに9月の空気という寒さの中を快適に歩き野口五郎岳に到着。ゆるい起伏の中の最も高い部分という感じで独立感がしないのは周辺が見渡せないせいであろう。
 少し進んで野口五郎小屋に着くが、既に冬季休業に入りしっかり戸締まりをしてあり寂しさが深まる。
 小屋からの長い縦走路を黙々と歩くうちに雲も少し晴れて気温もどんどん高くなり始める。そのうち長野県側に高瀬湖が見え始め、この高度差を放出するのか、と覚悟をする。烏帽子小屋からブナ立尾根を降りるが噂の急坂ぶりを体に刻み込んでくれる。だからダムサイトにタクシーが待っていれば迷うことなく乗り込んで葛温泉までと頼んでしまうのであった。
茅ケ岳 1,704m 山梨県竜王町
2000年10月1日登山:K藤と2人

 長距離トラックの運転手になったK藤から9月29日に「明後日は空いているか」と連絡が入る。聞けば中京から関東への荷物の移動途中で1日の余裕が出来るので山でも登ろう、という誘いである。幸いこちらも30日の夜から空いているので夜に集合しよう、という事になり道の駅信州蔦木宿に向かう。温泉併設の施設なので風呂上がりに直ぐ車中泊出来て便利である。
 翌朝、トラックは大型車駐車場に止めたまま私の車で登山口に向かう。この山は日本百名山を選定した深田久弥氏が亡くなった山で、「百の頂に百の喜び有り」という記念碑が登山口近くの公園に立ってある。
 登山道は殆ど林間を進む。K藤の足元は登山靴でなく作業靴であるがそれが問題になるほどの難所は出てこない。この日は上空は晴れているのであるが南アルプスの手前の雲が取れない状況。山頂について八ヶ岳方面を見ても同じである。下山して富士見町の広原温泉にあるホテル八峯苑で汗を流して着替え、夕食後に道の駅で解散するのであった。
No30 .2000/6-2000/10    ←No29No31→
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