餓鬼岳 2,647m 長野県大町市
2006年8月13日登山:単独

 2006年の6月〜7月の仕事は比較的暇であったが長い梅雨が続き、一度帝釈山へF島と行こうとしたが雨のため登山中止とした。8月になり仕事が忙しくなった頃に天気が良くなり始めた。休みはお盆しか取れない。夏のアルプスシリーズで混まないような山を考え、餓鬼岳の登山を考えついた。
 若干寝過ごして木更津の自宅を3:24に出発し中央道を西に進む。八王子料金所通過が4:17だったので深夜割引が使えず、1,300円損した。
 入口が分かり難い白沢口駐車場に付き、7:16より登山を開始する。白沢は名前の通り花崗岩の白い岩場を清楚な水が流れる良いルートであり、紅葉の滝や魚止の滝などの見所も多い。標高1500mの最終水場に8:31に到着し、2本のボトルに3リットルを詰め、重くなったザックで大凪山への急登を進む。途中何度も休憩を取りながら大凪山に10:27に到着して大休止を取る。既に小さいボトルは空になってしまったが、ここからは空気も冷たくなり比較的楽になる。百曲りを耐えて登り餓鬼岳小屋には12:52に到着した。山頂まで目前だが雲も多いので直ぐに麦酒を購入し、外のテーブルで昼食タイムとし、食後は昼寝をする。午後4時近くに目覚め16:06に山頂に着く。30分ほど粘るが展望はあまり良くない。小屋に帰って夕食を見るとちらし寿司にグレープフルーツが付く。餓鬼岳小屋の人気が高い理由も良く解った。なお、この日の宿泊は28名でほぼ満員。前日はわずか5名だという話は北アルプスとは思えない静寂である。
 1人1枚の布団で快適に目覚めた朝は天気まで爽やかに晴れ渡っている。朝食前にサンダルで山頂まで行き燕山荘とライトの光通信を楽しみながら御来光を待つ。南端に常念岳、北端に鹿島槍を臨み、笠ケ岳や立山も稜線の上に姿を見せている。何より燕岳の上に聳える槍の姿が美しい。5時の朝食までに御来光を迎えられず一度小屋へ帰る。食事中に太陽が昇った頃、荷物を片づけ再度山頂に向かう。 太陽に照らされた山々はより神々しい。「先の岩場で行くと唐沢岳が綺麗ですよ」と言われ10分先の岩場に行き立山や針ノ木岳を背景にした唐沢岳の展望を楽しむ。日程の都合で唐沢は省略したが名峰であることはその姿と位置で良く解る。
 展望をのんびり楽しんで小屋に戻り6:35より下山を開始する。辛かった百曲りも一気に下り大凪山に7:30に到着。ここで水を約500ccだけ残して処分し、荷を軽くして急坂に立ち向かう。最終水場到着は8:37で足もガクガクになる。大休止を取ってから梯子の多い川沿いの道を慎重に進み車に帰ったのは9:52であった。松川村の馬羅尾天狗岩温泉に浸かり、午後の渋滞が始まる前に木更津に向けて高速道路を飛ばして帰り、夜は地元で先輩が始めた祭りである「やっさいもっさい」を楽しんだ。
神室山 1,365m 秋田県湯沢市
2006年8月27日登山:単独

 秋の高気圧が東北地方に張り出すと言う天気予報を信じて土日の休みで鬼首の禿岳(かむろだけ:1,262m)と神室山(かむろやま)の2峰を1泊2日で登る計画を立て、金曜日の仕事終わりに北上を開始した。日付が変わり古川ICで降り、岩出山の道の駅で3時間の仮眠を取る。 朝7時前に川渡温泉で朝湯を楽しんだ後、禿岳登山口である花立峠まで車を急がすが峠の途中からガスの中である。時間をおけば晴れると思い、再度荷台で横になり2時間ほど眠る。
 目が覚めると10時少し前であったが、山頂は厚い雲の中であり、ガスが上がる気配も無い。仕方ないのでこの日は入浴強化日にして瀬見温泉、神室温泉を巡り、稲庭うどんを食べてから子安温泉に浸かり、秋の宮温泉で宿泊する。なお、登山口は前神室も登れて谷と尾根のバリエーションに富んだ秋田県側を選択した。
 翌朝5時に起床し、登山口に車が到着したのは5時40分であった。車が10台以上停められる広場があり、自分は5台目であった。準備を行い、05:51に登山を開始する。最初は西ノ又コースを進む。2本のつり橋を渡り、私より20分早く宿を出た団体を追い越して、予想よりより早く06:58に三十三尋の滝に到着する。その先の急坂を登り07:08に最終水場のある不動明王の広場で宿から持ってきた朝食のおにぎりを食べる。まだ歩き始めて1時間である。早朝の爽やかな空気に体も好調である。
 07:31から林の中を急登して覗き窓を超えると谷からの風に乗り雲が湧いている。前神室側の空は晴れているが神室山頂方面は雲の中のようだ。御田ノ神に出ると高山植物がちらほら見え始め、笹原で視界が開けている事もあり山頂の雲を除けば爽快である。分岐まで上がると山頂が見えたり霞んだりをしている。周囲が見えている内に山頂に付こうと速度を上げ、08:38に山頂到着。そこを起とうとしていた小田原の人は8時までは周囲が良く見えていたと悲しいことを言う。それでも鳥海山が見えることと雲の流れが芸術的なことを山の神に感謝しなければならないであろう。小田原の人が下山し、一人の山頂で「秋味」を飲みながら20分粘るが天候は変化なし。晴天域に有る前神室への移動を開始する。分岐まで戻り稜線を少し歩くと青空の従走路となり道端の花も増えてくる。この区間が最高に気分が良い。前神室は09:40に到着し、少しのんびりして下山を開始。第3、第2、第1と小ピークを越えてブナ林の栗駒が見える道を車に戻ったのは11:20の事であり、約5時間半の山歩きであった。帰路は宝寿温泉で着替え、宮城県白石市の小原温泉岩風呂で足を揉み解し、一般道で日立南太田ICまで走り、牛久ICまでを通勤割引で走った後、再度一般道だけで木更津に帰り着いたのは23時になろうとしている頃であった。
男体山(2回目) 2,484m 栃木県日光市
2006年9月10日登山:S井と2人

 17年前には展望が得られなかったのが悔しいな、という話をS井としているうちに、9月第二日曜日に男体山の再登頂をすることになった。日程が近づくうちに日光の天気予報が晴れから曇りになり、今回も展望が得られないのではという不安が頭をよぎった。しかしその日は気温が高くなりそうなので比較的予報の良い西上州の低山ではバテそうである。駄目なら太郎山か鳴虫山にでも登ろうと日光に向かった。9日の21時にちはら台でS井を拾い、16号と4号バイパスで日光に向かう。高速道路を使うこともなく午前2時前には戦場ヶ原三本松駐車場に到着する。日光市内では小雨も有ったがここでは月明かりに男体山が聳えて見える。明日の天気は良いほうに外れそうだ。軽く麦酒を飲んで寝袋で眠る。
 朝5時半に目が覚め、曇ったガラスを拭うと男体山の山頂が晴天の空をバックにはっきりと見える。直ぐにS井を起こし、昨夜コンビニで買っておいた朝食を食べ、志津口へ向かう。
 6:50に登山を開始すると、最近ジョギングを行っているS井がハイペースで登り始める。私も今回の標高差が約700mしかないので、鉛直速度500m/hrと思われるペースに合わせて登り続けると50分弱でガレ場に到着してしまい小休止を入れる。残り標高差は200mに過ぎない。東に広がる関東平野は雲の中だが、太郎山、日光白根などに囲まれた奥日光の高原は青空の元で美しい。
 登山開始から1時間半弱で山頂を越え、展望が良い場所を求め太郎山神社前まで行く。足下の青い中禅寺湖や遠く雲海の向こうの秩父や富士山を眺めると、天気予報を信じなかった自分を褒めてあげたくなる。これだけ気持ちが良い山頂なのでチーズを食べて麦酒を飲み1時間ほどのんびりしてしまう。
 雲が少しずつ半月山を越えて中禅寺湖に流れ始めてきたので下山を開始し、10:50には車に帰る。そして湯元の温泉寺で風呂につかり、みんみん鹿沼店で餃子を食べ、一般道だけでちはら台を経由して自宅に帰ったのは午後10時であった。
位山 1,529m 岐阜県高山市
2006年9月23日登山:単独

 台風14号が日本の東沖を通過するので週末は西に行くほど天気が良いと予想されたため、岐阜県の山を登りに出かけた。
 土日の休みでは早朝からの走行する事になる。2:20に起床し出発。塩尻北ICで高速を降り、野麦峠を越えて飛騨に入る。初日は寝不足が響くと予想されたので位山を選んだ。しかし林道終点からの登頂は余りに安易と思えたので7:45に分水峠の道の駅から歩き始める。北アルプス方面にはガスが掛かり展望は無い。
 道は緩やかで蜘蛛の巣が多いことを除けば歩きやすい。樹林が濃く展望が得られないまま8:50に山頂と思われる場所に着く。開けた広場からの白山の眺めに感動するが昭文社のガイドに示された展望台も山頂の碑も無い。少し南に進むと川上岳分岐となりガイドの地図ではこれより北のはずだと探し回るが解らない。一旦山頂直下の水場に行き、そこから山頂への案内に従って登ると三角点へ到着する。ガイドとは違い川上岳分岐の少し南側だった。展望台はどうやら解体されているようで先ほどの眺望の良い広場がその跡地だと気がついた。
 下山時間が短く酒がぬける間もないので登頂麦酒もやめて足早に山頂を後にする。樹林帯を抜け、スキー場の最上部に出ると御岳、乗蔵、笠岳などの展望も開けている。スキーシーズンに来ると気持ちよいだろうな、と思いながら11:00に車に帰り着く。
 道の駅のお嬢さんお勧め高山ラーメンの「甚五郎」で昼食を取り、細い山道を抜けて濁河温泉に入り、飛騨川温泉、下呂温泉と梯子をして夕暮れの加子母乙姫キャンプ場入口の駐車場に着く。寝支度を終え麦酒を飲んでいると京都から来たY本さんの車が到着する。挨拶を交わしながら色々な山の話をする。キャンプ場は賑わっているが今夜の車中泊はこの2名のようだ。星は微かに見える曇り模様の夜だった。この朝の睡眠不足解消のため、午後8時前に寝てしまった。
小秀山 1,982m 岐阜県中津川市
2006年9月24日登山:Y本氏と2人

 朝5時半ごろ目覚めて寝起きの牛乳を飲んでいるとY本さんが登山を始める。長丁場になりそうだから私も急いで支度をして5:55より歩き始め、キャンプ場の便所で6:00を迎える。二の谷は通行止が続いていると思い三の谷コースの往復を考え30分ほど林道を遡行する。営林小屋より山道が始まり標識が極めてよく整備された樹林の中で高度を稼いでいく。針葉樹林が広葉樹に変わり、薄いガスを抜けて青空が広がりはじめ、二の谷分岐を過ぎると石も混じる急坂になり息が切れるころ兜岩の上に着く。到着時間は8:10で、約2時間ほど無休止で1000mを登るハイペースだった。
 兜岩の高度間は抜群で展望も良いのだが中京平野は霞んで太平洋は見えなかった。10分ほど休憩し、なだらかな稜線歩きに入る。軽い起伏を3個超えて小秀山の頂上に9:00丁度に到着した。正面には期待通りの御岳の展望が広がってる。遠く位山は雲の中で日程の選択もバッチリであったことが嬉しい。鈴の音が先行していたY本さんも10分前に到着しており最高の展望の中で互いにこの日に登れた喜びを交わし会い記念写真を撮る(写真提供Y本さん)。未明に駐車場に着いた車の人は私が熟睡していた5:00頃に登り始めたとY本さんが言うので、途中で抜いて無いから二の谷コースだろうかと推測する。二人とも二の谷はまだ封鎖中だと思っていたのだ。9:30になるとその人が到着し登りに4:30かかった険しいルートだけど途中の滝が美しいし特別な危険は無いと聞き、Y本さんから下山に二の谷を降りようと誘われ、「下山に使用しないで下さい」の看板を思い出して不安を覚えながらも同行する。
 9:50に山頂を出発し10:30には二の谷出合に到着する。今日は雲の上昇が早く、兜岩からガスの中の展望が無い道になり擦れ違う人たちに御岳の展望が良かったとは可哀相で言えなくなる。分岐から急に道が貧相になり、少し行くと落ちていくような急勾配となる。登ってくる人はみんな相当バテている。降りる我々も滝の音を励みに頑張っていると渓谷に着き孫滝に出会う。その気持ちよさに水を飲み、顔を洗い、生き返る心地になる。川沿いに下っていくと明らかに大きな滝の上部に着き、それを回り込んで降りた正面が夫婦滝であった。その迫り来る迫力に肩を並べるものは私の記憶でも称名滝とか幾つかしか無いほど観光の名所にして良い所だと思った。この滝まではキャンプ場からハイキングでも来れる様に桟橋や階段の整備は驚くほど進んでいる。その陰に朽ち果てた桟道が見えて、これが二の谷長期通行止めの原因で有っただろうと納得する。渓谷の美しい二の谷を選んで正解だったと喜びあいながら12:30に下山を終える。
 下山後は名残を惜しむように付知峡温泉に一緒に行き、またどこかの山でも一緒に行きましょうと約束をしてY本さんと別れ、国道で甲府昭和ICまで走った後で中央道に乗ったら見事に渋滞にはまり、帰宅したのは23:20であった。
No49 .2006/8-2006/9    ←No48No50→
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