大崩山 1,643m 宮崎県北川町
2011年11月8日登山:単独

 
 溜まったマイルにクレジットカードのポイントを付け替えて加算し年内に国内近隣空港に行ける権利が発生したので九州に残った200名山の2峰を登ることにした。月曜日の2本の会議を終えて17:35の羽田発の飛行機で宮崎空港に飛び、夜8時近くにレンタカーを借りてホテルを予約していた延岡に着いたのが午後10時であった。夜も更けていたが駅前の喜多八でチキン南蛮を食べながら『千徳』を飲んで眠りについた。
 
 8日の6時に起床し、薄暗い中を祝子川登山口に向けレンタカーを走らせる。人家もない細い山道を進むと隠れ里のような集落が現れ、そこから5kmも走ると登山口に到着する。案内板も設置され、雰囲気は一般向け登山という印象を持ちながら7:35に出発した。途中山荘のトイレに立ち寄り、道も解りやすくて楽だなと思っていた。しかしワク塚分岐から曲がると道が解らなくなり前日までの雨で流量の多い川の徒渉点を探し回る。有ったはずの橋より下流側に降りていた事が解り上流側で石を飛んで渡り、ケルンに導かれるように山に向かっていく。急坂や梯子の連続に、この道を下りたくはないと思っているうちに袖ダキ分岐に着く。2段の梯子を登って出た岩の上は高度感と展望が良く、目前の岩をまさか登らないだろうと気が滅入る。
 袖ダキから上は岩を巻いていたが道は厳しさを増し、体力温存のため下ワク塚・中ワク塚の展望台は素通りして、最後の上ワク塚だけを梯子やロープで登る事にした。既に11:06となっておりガイド本のコースタイムを超過している。岩から降りて昼食を食べ、山頂を目指す。岩山も終わり普通の登山道から平坦で笹藪の煩い道になり12:14に山頂に到着する。先程までの快晴も、すっかり曇っていたし木立が多く展望もない。小休止して友人にメールを送ってから下山を開始する。
 坊主尾根分岐から少しは普通の登山道であり『楽で良かったな』と思っていると梯子が出始め、坊主岩のトラバースには「カラビナで確保しましょう」と書いてあり『持ってきてないよ』と泣きたくなりながら慎重に進む。その後も岩場に梯子、ロープが連発し『本当にこれは一般向け登山道なのか』と思いながら確実に疲労が蓄積していく。握力の限界が来たら、等と不安が増す頃、先行する地元の3人組に追いつく。往路で徒渉点探しに苦労したので、同行をお願いして下山ペースを落とす。
 林道分岐を過ぎると急な所も減り、心配された徒渉も濡れずに渡ることが出来て、対岸で3人組に別れを告げて歩行ペースを上げ、登山口に帰り着いたのは15:45に成っており、往復8:10は、ガイド本より1時間半も余分に掛かっていた。
 麓の集落にある祝子川温泉で汗とともに久々に危険な山に登った緊張感を流し、この夜も前日と同じ延岡のホテルに泊まり、夜食はリバーピアというビアホールで飲み放題を楽しみ、一人で無事下山を心から祝っていた。
尾鈴山 1,405m 宮崎県都農町
2011年11月9日登山:単独

 
 朝6時の天気予報では宮崎も昼から雨になると伝えていた。登山すべきか悩んだが、また此処まで来ることが大変だから、山頂まで最短ピストンであれば午前中の下山も可能だろうと、6:20にホテルを出発した。
 東九州道を利用し急いで向かう。車道も細く険しくなり最後の頃は岩だらけ悪路になって心配になる頃に登山口に着く。既に2台のレンタカーが停まっており、一人でないのが心強い。
 8:08より登山を始め、良く整備されている道を順調に登る。登山道に入って直ぐに[2000m]の看板があり、距離の短さに安堵する。昨日の大崩山に比べると何て楽な山だ思いながら標高を稼いでいると、7合目を過ぎた所に[500m]の看板があったので、山頂までの歩数を数えることにした。
 展望が無いままかと思っていた木立も8合目を越えると太平洋が見えるように成り、山頂直下の9.5合目の展望台は気持ちがよい所だった。そこにいた10人組は関東から三百名山を登るツアーの団体で前日に大崩山に登っていたという。元気な人達だと思いながら先を急ぎ、9:35に山頂に到着する。500mを登るのには1012歩だったので約50cmの歩幅だった事になる。
 雨の心配があったので写真を撮って水を飲んだら下山を開始し、出発しようとしていた団体の先に立って下りていき10:43に登山を終えた。往復2時間35分の二百名山であった。その後、矢研の滝でも見ようかと頭をよぎったが、途中の道の細さが心配なのでさっさと山を後にして木城温泉に浸かりに行った。
 温泉に入っている時から予報通りに雨になった。午後からの行程は西都原古墳を見てから高速で移動を行い、通算850湯目となる北郷温泉に浸かってから飫肥城を散策したり鵜戸神宮を詣でたりした。この夜はタウン誌で知った宮崎市内の3150円のホテルに泊まって、雨の中で鶏のもも焼きと『綾錦』と焼酎と冷汁を味わいに居酒屋一ツ葉に出かけた。なお、大淀川に掛かる橘橋を渡るのには796歩が必要だった。
 
 翌朝も雨だったのでシーガイアにある松泉宮温泉で贅沢な朝湯を楽しみ、予約便より早い午前中の飛行機で宮崎を後にして3泊4日の登山ツアーを終了した。
守屋山 1,650m 長野県伊那市
2011年12月18日登山:単独

 
 私が登山好と知っている方から水曜日の忘年会の場で『先日、守屋山に登ってきました』と話題を振り向けられた。その時はこの山の名前を知らず、帰宅後にネットで調べてみると信州百名山の一つで展望が良い事を知った。その週末の日曜日は幸い空いているので、冬型の晴れを期待して登山することを決めたのは山の存在を知った3日後の土曜日の忘年会から帰った夜だった。
 
 日曜の朝4時半に自宅を出発し、談合坂SAで朝食を取って中央道を西に進む。山梨県内は快晴だったが韮崎ICで高速を降りると山の上には雲が掛かり始める。慌てて準備した物で、山梨県の登山地図を持ってきていない。展望が若干悪くても当初目的を達成しようと杖突峠に到着して8:05より登り始める。気温は-4℃で、霜柱もサクサクと気持ちよい音を立てる。
 途中で2回車道を横切り、軽トラに抜かれてキャンプ場には8:32に到着。ここより道は殆ど雪で覆われるが薄くアイゼンを付けるほどではない。登山道を登っていくと先ほど追い抜いた軽トラが登山道の脇にある林道終点に停まっており、2人の人が草刈機や鎌を降ろし山頂に向かっている。話を聞くと展望を確保するため苅り払い作業をするという。守屋山からは日本百名山の33座が見えると教えていただいたが、9:07に到着した東峰から見えている頂は両手で数える程度で、他は全て雲で覆われてしまっていた。
 雨乞いで社を投げ飛ばすことを檻で保護している東峰を後にして1等三角点の有る西峰を目指して進む。諏訪湖が見下ろせて気持ちがよい稜線だが木立が切れない。西峰に9:26に到着して小さな小屋を覗くと綺麗に整理されており、そこの新聞記事から、先ほど私が話していたのが山を維持している金子棟梁だと知ることになった。東峰に戻ると5名で除草作業を行っており『餅を振る舞うので天気が安定した1月に来なさい』と言われ、この山がとても好きになってしまった。
 東峰で山頂写真を撮り、簡易スパイクを付けて下山して車には10:46に帰り着いた。往復で3時間も掛けていないので山梨でもう1峰登るかと考えたが、この山のイメージを薄めないために登山はここだけとして、伊那でローメンを食べ、辰野で温泉に入って帰路についた。
 
 諏訪ICから高速に乗って山梨県に入ると快晴になってきたもので、甲府南ICで降りて精進湖に抜けて富士山の展望を楽しんだ。富士吉田では看板を見て、つい吉田うどんを食べてしまい、これでは登山しても体重が増えるわけだと苦笑しながら山中湖でシルエットの富士を見て神奈川に抜けた。東名が交通事故で渋滞しているとラジオが流していたから国道を使って町田に出て夜8時に帰宅した。
九鬼山 970m 山梨県大月市
2012年01月03日登山:単独

 
 正月休みの不摂生を解決しようと思っている頃、S井から千葉で新年の飲み会をしようと連絡が入る。千葉だと電車だなと思いながら調べると3日までホリデーパスが購入できることが解った。それでは倉岳山の時に行けなかった九鬼山を登ろうと決めて眠りについた。
 
 朝7:24に巌根駅からの内房線に乗り10:25に中央本線の大月駅に着く。片道乗車券が2520円の距離をホリデーパスの2300円で往復できるので非常にお得感がある。富士急の駅で時刻表を貰い、駅前のコンビニで食料を調達して目前の菊花山[644m]に取り付く。
 大月駅の標高が358mもあるので楽な上りと想像したが、正月を飲んで過ごした身には急坂で息が切れる。しかし広がり始める風景に励まされ11:26に山頂に到着する。前に大月の街が横たわる向こうに大菩薩を中心とした奥秩父の山がハッキリと見えている風景と、振り返ると奇麗な富士山の姿に満足する。今回の行程で最も良い風景がここだとは知らずに先へ急ぐ。
 下り坂は落ち葉で滑りやすくなっているが危惧していた雪は全くなかった。歩きやすい縦走路を登り返して馬立山[797m]には12:24に到着。展望は無いがここで昼食とする。山頂にいた登山者に「風もなく暖かで良いですね」と話しかけると「午前中は風がありました」と不機嫌そうなので離れておにぎりを食べる。
 昔は里人の往来のあったような札金峠まで下り、九鬼山への登りに掛かると北斜面という事もあり急激に冷えてくる。低くても冬山だなと思いつつ13:53に山頂に到着する。今日は車で来ていないのでビールを無人の山頂で開けるが冷たすぎて一気には進まない。北面に広がる展望を肴に少しづつビールを飲みながら駅で貰った時刻表を見ると田野倉駅15:09という各駅に乗りそこねると次は16:19に成ってしまうことを知る。地図上のコースタイムは70分だが、残り60分に成っている事に気づき、急ぎ荷物をまとめて下山を開始する。
 少し下ったところで逆光の富士山が眺められ、半分程度下った場所ではリニアの軌道である高架橋なども見下ろせる展望地があり、それらでは立ち止まって写真を撮るのだが基本的には早足で下山を続け、14:50には沢を渡り舗装道路に出る。残すコースタイムは15分なので安心して歩いたら意外に駅が遠く、何とか富士急田野倉駅に着いたのは電車入線の5分前であった。
 大月駅では東京行き快速が7分の接続で出発するので汗で濡れた服を着替える暇が無く、結局、錦糸町駅前のサウナまで冷たい服を着続けてしまった。爽やかな服に着替え午後7時過ぎに千葉駅前でS井と合流して新年会と称して日本酒を飲み、巌根駅に帰り着いたのは22:38に成っていた。自宅まで歩いて帰り、長い一日が終わった。 
身延山 1,153m 山梨県身延町
2012年01月09日登山:単独

 
 九鬼山から1週間も経っていないが、3連休の最終日だけが自由になるので日帰り登山の行く先を色々考え、当初は三石山と身延山を1日で登ろうと決めたのは前日の夜であった。
 朝4:30にタイマーで起床するが、前夜の新年会の疲れで眠り返してしまい目が覚めると6:30を回っており、身延山だけに行くことを決意して自宅を出たのは間もなく7時に成る頃であった。
 アクアラインを渡る途中で、フリースを忘れた事に気が付き、途中の鮎沢PAで朝食を取りながら携帯で富士市のユニクロを検索する。店の開店は10時なので『富士と新幹線』というベタな写真を撮りに富士川に立ち寄って時間を潰す。服を購入し、登山口である久遠寺三門に到着したのは既に正午に成ろうとしていた。
 
 三門の近くに車を停め、観光案内所でイラストマップを入手して12:08より登山を開始する。菩提梯の急な石段を登り裏の駐車場から来た人達で混雑する本堂の参拝を済ませ奥の院参道(東ハイキングコース)に進む。
 時折車に抜かれながら舗装された狭い車道を進むと十如坊、丈六堂、大光坊等が現れ、それぞれに参拝者が居る事に久遠寺の奥深さを感じる。相輪塔を過ぎると舗装道は終わるが軽トラなら走れそうな道が山頂まで続く。走って下山する若者達とすれ違いながら標識を励みに進み、14:05に五十丁目の南側展望台へ到着する。富士山は天子山地の上に少し頭を出していた。
 そこから先はロープウエイで来た軽装の人が多くなる中で石段を登り奥之院思親閣に詣でて山頂到着の無事を感謝する。少し歩いて北側展望台に行くと南アルプスが美しい。ここで小休止を取ってからロープウェイ山頂駅を経て西ハイキングコースで14:29より下山を開始する。
 山頂への物資運搬用のような立派な車道を追分感井坊まで下ると、コース唯一の案内図が設置されていた。こちらの坊には人影もなく、寂しさを感じる所であった。
 さらに下ると道は車道から離れ、松樹庵、妙石坊等の境内を通過しながら谷底に降りていく。再び車道に出ると砂防公園が土砂で埋もれている風景に出くわした。秋の台風は余程酷かったのだなと思いながらトンネルを抜け、車に帰り着いたのは16:02に成っていた。既に太陽が西の山に沈んだ中で冷えた身体を暖めるため、門前町にある身延温泉に浸かって帰宅した。
No67 .2011/11-2012/1    ←No66No68→
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