No.42 | 陸前編 ←No41訪友編・No43大島編→ | ||||||||
旅行期間 | 1984年10月1日〜1984年10月5日 | 旅行日数:5日間 | |||||||
総走行距離 | 897km | ||||||||
走破市町村 | 53 | ||||||||
同行者 | 無し | 使用自転車:OP | |||||||
総費用 | 17,878円 | 当時の年齢:20歳(大学3年) | |||||||
本図は他の地図より縮小してる |
初日 | 1984年10月1日 | |||||||
走行区間 | 桐生市塚本家〜石巻市八幡神社 | ||||||||
走行距離 | 427km | ||||||||
走破市町村 | 27(益子,市貝,芳賀,茂木,南那須,喜連川,小川,湯津上,表郷,東,中島,本宮,大玉,二本松,安達,福島,伊達,桑折,国見,白石,蔵王,大河原,村田,柴田,鳴瀬,矢本,石巻) | ||||||||
累計数 | 1,296 | ||||||||
1日にどれだけ走れるか。 これまでの記録は中学時代の水戸編の320kmである。いつまでも中学生の自分に負けていられないので一度挑戦を考えていた。戦う時期として夏は暑すぎるので秋休みが良いだろう。コースは北陸方面や信州に向かうと峠が立ちはだかるので東北方面に抜けるコースが良いだろう。前回の訪友編で埼玉県を走破して、残る関東平野は白河の関に近い栃木の8町村だけになったから長距離記録の日に関東走破も重ねるのがより良いだろうと計画されたのがこの旅である。 出発は0:03。桐生から50号線を下館まで走り、益子まで294号線で北上し市貝から烏山に入って朝食休憩(5:25-6:00)。湯野上村に入って栃木県走破完了と同時に伊豆諸島と小笠原を除く関東走破を完了したのが6:50。白河の関を越えて東北に入ったのが8:55。表郷から乙女の滝を通り郡山で昼食(11:40-12:20)。昼食前に240kmを越えている。 郡山から4号線で北上し福島で小休止(14:25-14:45)。休憩に腰を下ろすと立てなくなりそうだ。国見峠を越えて柴田で夕食(17:05-17:40)。この様子だと目標としていた仙台を越えることは確実になった。あとは何処まで延ばすかが戦いだ。 暗くなった18:50に仙台を通過。この苦痛をもう一度しないと距離記録を更新できないのなら今日のうちに可能な限り頑張ろうと思いして明日予定していた走行を前倒しに取り込んでしまい、45号線で東に進む。 松島を19:45に通過し、いよいよ交通量も減って寂しくなる中で石巻駅到着20:50。既に走行距離は420kmを越えているし、明日行こうと思っていた金華山方面に行くには暗すぎる。そもそも体が動かないので終了にする。 自分をほめて上げるために寝所は居酒屋に近い場所で探し、駅の近くに八幡神社を発見する。居酒屋鳥勝でイカとマグロを肴に乾杯。酎ハイを3杯飲んで22:17に支払いを済ませ寝袋に入った。 |
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2日目 | 1984年10月2日 | ||||||||
走行区間 | 石巻市八幡神社〜牡鹿町金華山YH | ||||||||
走行距離 | 76km | ||||||||
走破市町村 | 2(女川,牡鹿) | ||||||||
累計数 | 1,298 | ||||||||
朝5時前に目が覚めるが体中筋肉痛で起きられず寝袋の中でぐずぐずしているうちに7時を回ってしまい仕方なく起き出す。今日は金華山が面白いと何処かで聞いていたのでYHを予約してある。昨日の予想以上の頑張りで今日の走行距離は少ないのだが、体の節々が軋みかなり辛い。かなりのスローペースでリアス式海岸の細い道を鮎川に向かう。昨日の深夜に走らなくて良かったと思う。今日の天気はよいが風が強い。 鮎川で鯨の昼食を済ませ、金華山行きの船に乗る。YHは下船して直ぐなのでそこに荷物を預け、林道で島を巡る。緑の中での休息が気持ち良い。鹿と緑が多く、神の島である事を実感する。燈台の先は自転車で走れそうもないので引き返す。 YHに帰ると同宿の2名がオーストラリア人だと解る。おまけに日本語を全く理解できないので、夕食の時は英語で会話せねばならない。神社のYHで鯨の竜田揚げを食べ布団に寝るという純日本の生活なのに共通語が英語というのも不思議な気分である。 |
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3日目 | 1984年10月3日 | ||||||||
走行区間 | 牡鹿町金華山YH〜陸前高田市小友駅 | ||||||||
走行距離 | 138km | ||||||||
走破市町村 | 9(雄勝,河北,北上,志津川,歌津,本吉,気仙沼,唐桑,陸前高田) | ||||||||
累計数 | 1,307 | ||||||||
朝から風が強く「本日の船は欠航します」とのアナウンスが流れる。朝から登山して午後の船で鮎川に帰ろうと思っていたが、1日島から出られなくなるのは辛い。どうせ1日が長いだろうから昼頃に山でも登ろうとYHでグズグズしていたら女川行きが11時に1便だけ出るとのアナウンス。今から登山したら間に合わないと諦めてその船に乗る。YHでは3名だったが参集殿への宿泊が多かったようで結構な人数が港に居て、船が出て良かったとみんなが言っている。私も同感である。 船は揺れながら女川港に到着。横殴りの雨も降り始めている。雨具を付けて三陸海岸を海沿いに北上する。雨の中の走行は機械的に足を動かしているだけになるので記憶に残ることが少ない。神割崎あたりで小降りになったりもするがそれでも悪天候の中で走り続け大船渡線の小友駅で泊まる。 |
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4日目 | 1984年10月4日 | ||||||||
走行区間 | 陸前高田市小友駅〜古川市ホルモン屋 | ||||||||
走行距離 | 196km | ||||||||
走破市町村 | 10(大船渡,三陸,住田,室根,千厩,藤沢,川崎,花泉,石越,若柳) | ||||||||
累計数 | 1,317 | ||||||||
雨は上がっているが曇りの寒い朝を迎える。関東ではまだまだ暑い日が続いているのに流石に東北だと実感する。碁石海岸を散歩してから45号線を北上して盛駅に到着する。この駅に乗り入れる岩手開発鉄道は採石の運搬を行い、国鉄は客もなく空気の運搬をしているようであったが、第三セクターの先駆けとして半年前に開業した三陸鉄道南リアス線は観光バスで乗りに来るほどの盛況だった。『鉄道に乗るなら国鉄で来いよ』と思いながら駅を後にし、まずは45号線で大峠を越えて三陸町に入り、境界でUターンして盛に戻り、107号で住田町を経由し陸前高田に戻ってくる。この走行により北海編で来た釜石以南の海岸線の自治体走破が終わる。 海岸を昨日の逆方向に進み、雨で行くのを止めた巨釜半造に行く。曇天のせいかあまり感動するほどの風景ではない。気仙沼からは284号線で千厩まで走り、そこから藤沢経由で花泉に出る。県境を越えて石越に入り若柳を経て築館で4号線に出る。古川まで4号線で南下したところで古川駅前のホルモン焼き屋に入り夕食を取る。食事しながら谷地駅と塚目駅のどちらが寝やすいか聞いたところ、今夜は間もなく閉店だから野宿するならここで寝て行きなさいと進められ、お言葉に甘えさせていただき座敷で寝袋に入る。 |
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5日目 | 1984年10月5日 | ||||||||
走行区間 | 古川市ホルモン屋〜桐生市塚本家 | ||||||||
輪行区間 | 国鉄名取駅→桐生駅 | ||||||||
走行距離 | 60km | ||||||||
走破市町村 | 5(三本木,大衡,大和,富谷,泉) | ||||||||
累計数 | 1,322 | ||||||||
朝7時前に目覚め、2階の店主に感謝の言葉を伝えて出発する。今日は昨日までと打って変わり秋晴れのとても爽やかな日である。刈り取られた水田の向こうに栗駒山が美しくそびえている。この天候だったら夕方までずっと走っていたいのであるが、『5日の夜には赤城荘の同窓会を開くから帰って来いよ』とW辺が出発前に言っていたので輪行して帰らねばならない。阿武隈川沿いに走って福島から2年前に開業したばかりの東北新幹線で小山まで帰り、両毛線に乗っても間に合いそうだが特急料金を節約するためには仙台近郊から乗らねば間に合わない。 取りあえず4号線を南下して仙台に入り青葉城見学をして長町駅で輪行しようと窓口に行くと長町は仙台市内に有るので計算は仙台からの距離になると言われる。何か悔しいので名取駅まで走って輪行する。 桐生に帰って会場であるW辺の下宿に行くといつも顔を合わせているメンバーだけの3人での宴会である。これなら急いで帰ってこなくても良かったなと深く後悔するが全ては後の祭りだった。(次は大島編) |
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