No.58 | 如月編 ←No57家島編・No59丹後編→ | |||||||
旅行期間 | 1988年2月4日〜1988年2月9日 | 旅行日数:5日間 | ||||||
総走行距離 | 272km | |||||||
走破市町村 | 15 | |||||||
同行者 | 無し | 使用自転車:WR | ||||||
総費用 | 53,440円 | 当時の年齢:23歳 | ||||||
走行が短すぎるので 地図は省略します。 |
初日 | 1988年2月4日 | ||||||
走行区間 | 名古屋駅〜名古屋市婦人会館YH | |||||||
輪行区間 | 六甲寮→西宮北管理事務所→JR新大阪駅→JR名古屋駅 | |||||||
走行距離 | 3km | |||||||
走破市町村 | 0 | |||||||
累計数 | 2,071 | |||||||
年度末のやたら忙しいときではあるが住民票を木更津に置いている時の免許の書き換えが迫ってきたので一時帰宅のついでに旅をすることになった。今思えば何で休めたか不思議な時期ではある。 この日は担当工事の現場立ち会いと関連書類作成等の残業をしている内に同僚から、今日帰るなら新大阪まで送ると言われ、実は名古屋までしか行かないのであるがお言葉に甘え、自分の車は事務所に置いたままで新大阪まで移動し新幹線に乗車。到着した名古屋の雪の多さに驚きながらYHに泊まる。同室の少年は大学受験のための宿泊だそうだがこちらは気にせず栄町で飲んで来て寝るのであった。 |
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2日目 | 1988年2月5日 | |||||||
走行区間 | 名古屋市婦人会館YH〜豊橋駅 | |||||||
輪行区間 | JR豊橋駅→JR木更津駅→自宅 | |||||||
走行距離 | 122km | |||||||
走破市町村 | 14(日進,東郷,豊明,大府,東浦,刈谷,高浜,阿久比,武豊,美浜,南知多,渥美,赤羽根,田原) | |||||||
累計数 | 2,085 | |||||||
今日は知多半島と渥美半島の走破を目的としている。この両半島を繋ぐ船は11:10の後は14:00である。後工程を考えると午前の船には乗りたいと、タイムトライアルの開始である。しかしその一方で県道を右に左に曲がって知多半島周辺の走破も続けなければならない。この両立はかなり難しく最初は時速22kmで走れば何とかなると思っていたのが25kmになり、残り15kmを30分で走らねばならなくなったとき、つまり時速30kmを迎えたときに午前の船を諦めるに至った。そうなると3時間以上が急に生まれるので羽豆岬などをのんびり見学して港で時刻表を借りて今後のスケジュールを立てたりする。 知多半島はバタバタしたので渥美半島はのんびりしようと計画。しかし寒さのため行動が遅くなり豊橋までに余裕時間を使い切ってしまう。そして豊橋駅到着は「こだま」到着8分前になった。前輪と後輪を輪行袋に投げ込んでフレームを押し込み、切符を購入してホームに駆け上がりぎりぎりセーフ。真冬なのに汗が噴き出す。現在に至るまで輪行の最速レコードである。輪行袋の中身はこだまの中で整理したのであった。 |
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3日目 | 1988年2月7日 | |||||||
移動区間 | 自宅→日本カーフェリー | |||||||
2月6日の午前中はK沢と茶などをして、午後は家の車で幕張に行き免許の更新をする。夜はK沢、S井、I藤と居酒屋で飲んで故郷の癒し効果を味わった。 翌日はS井のスターレットで東京フェリーターミナルまで送ってもらい勝浦経由高知行き長距離フェリーに乗る。車の中では「翼の折れたエンジェル」を九州編のテーマとするS井が中村あゆみのTokyo City Serenadeをカーステで流す。 ♪羽田から登る飛行機達 フェンダーミラーに映っているよ〜 その歌に送られるように東京港から船で関西に帰っていくのだった。 |
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4日目 | 1988年2月8日 | |||||||
走行区間 | 那智勝浦港〜本宮町河鹿荘YH | |||||||
走行距離 | 73km | |||||||
走破市町村 | 0 | |||||||
累計数 | 2,085 | |||||||
那智勝浦港に到着。快晴である。南紀とはいえ2月はやはり寒い。が、風景や光は南国の情緒が溢れている。まずは那智の滝を見に行く。すると九州編で冷たい麦茶を振る舞われた場所で暖かな緑茶を頂く。 今日は川湯温泉までの短距離で時間もあるから静峡のウオータージェットに乗る。この推進装置は昔から気になっていたので3,200円と高額な乗船料ではあるが仕方ないと自分を納得させる。冬の川もキリリとした美しさもあって悪くはない。 清水が出ている水場に垂れ下がった氷柱をばりばりと食べながら宿に着き、大分時間が残るので紀内編でお気に入りになった下向大橋に行き空中浮遊間を味わってくる。 宿に帰り、日も暮れた後、湯船から見上げるオリオンの美しさに息をのんだ。 この南紀は歴史ある見所や良い温泉が適切にまとまり個人的に好きなところの一つである。 |
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5日目 | 1988年2月9日 | |||||||
走行区間 | 本宮町河鹿荘YH〜紀伊田辺駅:道場駅〜西宮北管理事務所 | |||||||
輪行区間 | JR紀伊田辺駅→JR道場駅:西宮北管理事務所→神戸市公団六甲寮 | |||||||
走行距離 | 74km | |||||||
走破市町村 | 2(中辺路,大塔) | |||||||
累計数 | 2,087 | |||||||
今日も氷柱を食べながら熊野古道に沿って田辺を目指す。当時は世界遺産なんて言葉も知らず、まさかメジャーな存在になるとは思ってもいなかった地域である。 梅の花のつぼみに春を感じる中で、大塔村に入り和歌山県走破完了となる。これは関東以外で初めての事で、日本中を走りきることも出来るかな、と感じた瞬間でもあった。 海岸まで出たところで紀伊田辺駅から福知山線の道場駅まで輪行し、4日の朝から置いたままになっている自分の車を取りに事務所まで走り、平日の残業に忙しい事務所に顔を出し、輪行袋を積んで車で帰るのだった。(次は丹後編) |