No.73 | 栗駒編 ←No72安達編・No74薩摩編→ | |||||||
旅行期間 | 1991年8月14日〜1991年8月18日 | 旅行日数:5日間 | ||||||
総走行距離 | 274km | |||||||
走破市町村 | 14 | |||||||
同行者 | K沢 | 使用自転車:WR | ||||||
総費用 | 43,507円 | 当時の年齢:27歳 | ||||||
初日 | 1991年8月14日 | |||||||
移動区間 | 自宅〜若柳町若柳金成IC | |||||||
2日目 | 1991年8月15日 | |||||||
走行区間 | 若柳町若柳金成IC〜雄勝町松ノ湯旅館 | |||||||
走行距離 | 98km | |||||||
走破市町村 | 6(栗駒,鴬沢,一迫,花山,岩出山,鳴子) | |||||||
累計数 | 2,284 | |||||||
同級生のK沢と飲んでいると、彼もサラリーマンになって自転車に乗るようになったと言う。話が盛り上がり盆休みを利用して東北方面に行こうという事になり、私の走破の目的も達成できる栗駒周辺を走ることにした。移動のための車は高速代も安いし完成車のままで積載出来るからK沢が輪行袋を購入しなくて良い、等の理由でK沢の1boxの軽を使用することになった。 14日の『やっさいもっさい』祭りの警備が終わってから自宅に帰り近所に住むK沢に迎えに来てもらう。東北道を運転を交代しながら走り、運転してないときは後ろの荷台に横になって足を延ばして眠り、睡眠時間を確保するようにした。 若狭金成ICで降り、もう職員でも関係者でもないが料金所の職員駐車場に無断で車を停めて朝まで寝る。夜が明けると自転車を降ろして走り始める。早朝の走行は気持ちよく、アップダウンが多い道を鳴子まで快走する。 鳴子で温泉に入ろうと提案するがK沢は温泉に入ると疲れるからと拒否する。逆に生ビールを飲んで一休みしようと提案する。私は登山では山頂ビールを飲むことを信条にしているが、自転車の場合は走り終えるまで基本的には飲まない主義なので躊躇する。しかし今日の走行距離は残り50kmを切っているから、例え峠越えがあっても大丈夫だろうと付き合った。炎天下の中を走ってきたから美味い。つい2杯飲んでしまう。そして木陰で2時間の昼寝をして少し涼しくなってから鬼首峠越えに取り掛かる。この頃はまだ鬼首道路は建設中であり標高810mの旧道を越えなければならなかった。昼寝をしても寝不足のためか、麦酒が残っているためか何て事無いような峠でバテて押しが入りK沢より遅れる。何とか峠を越えて予約してある秋の宮温泉に駆け下り、露天風呂を楽しんでから早々と寝てしまうのだった。 |
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3日目 | 1991年8月16日 | |||||||
走行区間 | 雄勝町松ノ湯旅館〜若柳町若柳金成IC | |||||||
輪行区間 | 若柳町若柳金成IC→一関市駐車場 | |||||||
走行距離 | 140km | |||||||
走破市町村 | 3(稲川,皆瀬,東成瀬) | |||||||
累計数 | 2,287 | |||||||
朝食前から露天風呂に入りサッパリして快晴の空の下を出発する。湯沢市で日本百名水の力水をたっぷりと飲みボトルに満タンにする。不思議と疲れが抜けてくる。岡も軽く超えて稲庭地区に到着すると朝食を食べて2時間しか経っていないと言うのに本場の稲庭うどんを食べる。腹が減っていなくても美味い。交通の不便さに関わらず何回も訪ねたくなる店であった。 今日は上り坂も快調で小安峡に楽に着き渓谷観光をする。そこから須川湖に向けての栗駒有料道路の急坂でK沢がダウンする。内心で昨日の鬼首峠の醜態を挽回し面目躍如と歓ぶが、頑張れよと声をかけ、自転車歴の先輩らしくアドバイスを行ったりする。励ましながら時間をかけ標高1,115mの須川温泉に到着する。栗駒山の頂まで少し歩けば登れそうなほど近く見える天気だった。温泉から流れ出る湯の白さに浸かりたいなと思うがK沢が嫌がるので今後の楽しみにとっておく。 須川温泉からのダウンヒルは快適であり、コーナーを走り抜けている姿を撮り合ったりする。昼食を10時に取ってしまったので流石に腹が減り、一関まで降りたら岩手名物を食べたいという話になって焼き肉屋で冷麺を食べる。4号線で県境を越えるうちに日も暮れてナイトランになる。そして若柳金成ICまで戻って自転車を積み込み、車で4号線を一関市街に戻る。 銭湯で汗を流し、服を着替え、駐車場に車を停めて居酒屋で今回の栗駒越えを打ち上げる。程良く酔って車に戻り自転車とカヤックの袋を外に出して2人で車中泊をする。 |
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4日目 | 1991年8月17日 | |||||||
移動区間 | 一関市駐車場〜福島市飯坂温泉愛宕山公園 | |||||||
5日目 | 1991年8月18日 | |||||||
輪行区間 | 福島市飯坂温泉→本宮駅前、神俣駅前→自宅 | |||||||
走行区間 | 本宮駅前〜神俣駅前 | |||||||
走行距離 | 37km | |||||||
走破市町村 | 5(白沢,三春,船引,常葉,大越) | |||||||
累計数 | 2,292 | |||||||
17日は2日間の山越旅で疲れた足を休めるためにドライブの日である。まずK沢のリクエストで中尊寺を見学し、昼食に石巻で寿司を食べ、鮎川まで行って鯨資料館を見る。夏らしく石巻湾の砂浜で海水浴を楽しむが波が高くカヤックを組み立てるのは止める。ただ重い物を持っていっただけになってしまった。前回の安達編で気に入ってしまった飯坂温泉まで一般道で移動して愛宕山公園の駐車場で2日連続の車中泊を行う。 18日は寝起きに鯖湖湯に浸かり帰路に付く。曇りであるが雨は降りそうも無いのでK沢に頼み少しの時間を貰い福島県の未走破自治体の走行をさせてもらう。東北本線の本宮駅前で自転車を降ろしてもらい磐越西線の神俣駅前で2時間後に待ち合わせをする。K沢はその間1人で阿武隈洞見学をしてくると言う、 本宮から県道で三春に出て288号線で常葉町に入る。境界の少し先でUターンして船引に戻り神俣駅前まで線路沿いに走れば北海編の軌跡と一致するのでそこで終了となる。荷物は殆ど空とは言え2時間の全力疾走は辛く汗だくになる。 K沢に拾われて349号線で鮫川村に入り道路脇にある村営温泉に入る。日曜の午後なのに客は誰も居なかった。風呂上がりに車内で過疎の村の町おこし方法について勝手な議論をしながら常陸太田から佐原を経由して裏道の国道で帰り、夏の大渋滞を回避して自宅に帰り着いた。 なお、公団を辞めてからの仕事がこの頃から上手く回り始め、地域社会の中でも消防団や青年会議諸活動も行えており、旅を控えてまで時間を作ることが必要ではないと言うことに気づき始めていた。その中でこの栗駒編よりももっと長い旅をしたいという要望が高くなり大きな旅の企画を考え始めていった。(次は薩摩編) |
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