No.79 伊勢編      日本を走る ←No78琉球編No80北上編→
旅行期間 1993年1月2日〜1993年1月6日 旅行日数:5日間
総走行距離 252km
走破市町村 10
同行者 F島 使用自転車:WR
総費用 33,437円 当時の年齢:28歳
初日 1993年1月2日
移動区間 自宅〜天川村大峰山登山口(輪行のみ)
2日目 1993年1月3日
移動区間 天川村大峰山登山口〜名張市赤目館(輪行のみ)
3日目 1993年1月4日
走行区間 名張市赤目館〜松坂市愛宕山YH
走行距離 106km
走破市町村 6(青山,大山田,美里,安濃,芸濃,河芸)
累計数 2,498
 消防の部長として歳末夜警を取り仕切り、大晦日と元旦も無事に過ぎたので関西最高峰を登って伊勢路を走る旅に出かける。F島を京葉線新木場駅で拾って東名を走り、深夜遅く登山口に到着して自転車を外に出して車内で寝袋に入り泊まる。なお、皮肉にもこの夜に自宅の近所で火災があったが既に電波が届かない世界にいたため情報が入らず、後始末まで副部長を中心に対応してもらう事になった。
 翌日は大峰山に登ってから赤目温泉に移動して泊まる。赤目館には1泊しかしないが車を明後日の夕方まで置かせてもらうように頼み了承を得る。その夜は前夜の寝不足解消でさっと寝てしまう。

 1月4日に自転車の旅を開始する。まずは朝食を取ってから赤目四十八滝の遊歩道を歩く。最初のうちは滝を見ながら階段を担げば自転車でも行けるような道だったから押して進むが、次第に道は登山道のように険しくなり4.8kmを進むのに2時間近くを費やしてしまった。遊歩道を通り抜けて車道に出て赤目口まで走り降りる。165号線を東に進み青山峠から高原道路に入る。展望は良いが上り坂がきつく汗を大量に流してしまう。美里村への下り坂ではそれが冷えて体温を急激に奪われる。芸濃町多門に抜けるアップダウンを越え、津市の専修寺について一休みする。重要文化財である725畳敷きの御影堂は流石に大きい。
 そこから当初予定では楠町まで行くつもりだったが時間がないので河芸町でUターンして松坂まで走りYHに到着する。宿泊は我々だけであった。素泊まりなので外に食事に行く。松坂牛でも、と思うが値段の高さに方針を転換して、結果として餃子の王将になってしまう。王将を出てから居酒屋で少し日本酒を飲んで帰り、この夜もぐっすりと眠る。 
4日目 1993年1月5日
走行区間 松坂市愛宕山YH〜名張市赤目館(輪行1回含む)
輪行区間 JR松坂駅→JR伊勢柏崎駅、名張市赤目館→南木曽町車中
走行距離 146km
走破市町村 4(南島,宮川,飯南,飯高)
累計数 2,502
5日目 1993年1月6日
移動区間 南木曽町車中〜自宅(輪行のみ)
 松坂駅で朝食の弁当を購入し伊勢柏崎まで輪行してこの日の走行は始まる。志摩を回るF島を古和峠まで送ることによって南島町に入り、そこで引き返して42号線を北上する。大台町から宮川村まで往復して栃原から368号線を西に進む。飯高町に入った所で残る三重県は2町(多度町と楠町)だけになった。
 高見山トンネルを抜けて奈良県に入ると県道で室生へ向けて北上する。沿道で吉野杉を使ったログハウスの別荘が沢山建っており、特に風光明媚でもないこのあたりでも売れるのか、と驚き、これだったら小櫃川の上流でも売れそうだと思う。
 室生から165号線で三重県に戻り赤目口で日も暮れたので自転車を駅前に置きバスで宿に向かう。赤目館にお礼を言って車を受け取り自分の自転車を駅前で輪行して回収する。F島は近鉄久居駅で拾って伊勢道に乗る。東名阪を勝川で降り、19号線を北上する。土岐で夕食を取り中津川で買い出しをして妻籠の駐車場で車中泊を行う。

 6日は和田峠を越えて小諸の草笛本店の蕎麦を食べ、碓氷峠を越えて群馬県太田にF島を降ろす。なお、この少し前にF島は転職して埼玉県上尾市から群馬県大泉町に引っ越している。館林から高速に乗り東関東道の幕張SAで自宅に電話して初めて2日に火事があったことを知るのであった。
 なお、この旅をもって大阪生まれのWRは終了となる。今までの経験を元に馴染みのカヤギサイクルで新しい自転車を組み立てた。今までと比べるとリムとタイヤを頑丈にして(700Cの28)スポーク本数も4本増やして36本とし、幅広いギヤ比を求めてロードにMTBのギヤ(F48,36,24×R12〜24)を導入したGTの完成である。この自転車の最初の旅は次の北上編となる。