No.80 | 北上編 ←No79伊勢編・No81東濃編→ | |||||||
旅行期間 | 1993年5月2日〜1993年5月5日 | 旅行日数:4日間 | ||||||
総走行距離 | 482km | |||||||
走破市町村 | 22 | |||||||
同行者 | W辺 | 使用自転車:GT | ||||||
総費用 | 40,017円 | 当時の年齢:29歳 | ||||||
初日 | 1993年5月2日 | |||||||
移動区間 | 自宅→花巻市ならの里YH | |||||||
2日目 | 1993年5月3日 | |||||||
走行区間 | 花巻市ならの里YH起点日帰り | |||||||
走行距離 | 135km | |||||||
走破市町村 | 5(江釣子,和賀,湯田,山内,沢内) | |||||||
累計数 | 2,507 | |||||||
5月1日の仕事が終わってから松戸のW辺邸に向かい、運転を交代しながら東北道で北上し、八幡平のスキーツアーを行う。下山後、盛岡でわんこそばを食べて花巻市のならの里YHに泊まる。連休で宿がかなり混んでおり、常連のW辺と同じ扱いと言うことで初日は玄関ホールに布団を敷いて寝させられた。 今日から5日の午前中まではW辺がYHでヘルパーとして働くので、3日はYHからの日帰り旅を行う。自転車も新しいのでその性能も確認する旅である。 花巻から江釣子の藤根に抜けて107号線を秋田県境まで走って山内村に入る頃から雨が降り始めたので県境から湯田に引き返し、JR北上線に出来た「ほっとゆだ」に入浴しながら雨宿りをする。小雨になったところで県道を北上し沢内村に入る。ここは岩波新書の『自分たちで生命を守った村』(菊地武雄著)を読んで感心していた村だが雨のために深く観察することもなく折り返す。 107号線を北上に向かって戻っていくと天気は急激に回復してくる。今でこそ東北の桜の名勝の一つと言われているが当時は関東では若干知名度が低かった北上展勝地に行ってみる。桜のトンネルは流石に綺麗だったが人影は少なかったと覚えている。バスツアーが全盛の2006年に再訪してその賑わいに驚いたものだ。 花巻に戻り宮沢賢治イーハートーブ館に立ち寄り、1人の詩人が出たことでこの地のイメージが良くなっているという状況について考えた。町の賑わいは文化人の輩出に影響される部分が少なからず有れば、その英才教育も手だろうし丸岡町の日本一短い母への手紙もその流れにある、等と賢治以外を考えていた。 そして今夜の宿は階段の踊り場に布団だった。ふぅ、何だかねぇ。 |
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3日目 | 1993年5月4日 | |||||||
走行区間 | 花巻市ならの里YH〜仙台市長町ビジネスホテル | |||||||
走行距離 | 204km | |||||||
走破市町村 | 13(大東,東山,東和,中田,迫,南方,米山,登米,津山,桃生,豊里,河南,七ヶ浜) | |||||||
累計数 | 2,520 | |||||||
就寝場所の環境が悪かったからではないが花巻を離れ南下を開始する。今日は北上川に沿って岩手県と宮城県の未走破の自治体が集積している地域を走るのが目的である。 北上川の東岸にあるYHを出発し、456号線を南下する。通過した江刺市ではこの年の夏から上映するNHK大河ドラマ「炎立つ」のロケが行われていたようだが特に意識もなく過ぎ去った。今思えばフィルムコミッションの先駆けの町であったからその黎明期をよく見ておくべきであった。 東山町から川崎村に出ると北上川に沿って走るようになる。昔の運輸は川に頼っていたから少しは華やかな名残でもあるかと思ったが堤防の整備のためか只の大河が流れる山際であった。県境を越えて宮城にはいると一旦迫町や南方町を走ってから登米町に出る。ここで初めて水運による繁栄の跡が残る街並みに出会うことが出来た。そこから前谷地を経由して矢本に出て早めの夕食を取る。 松島で夕暮れを迎え、半島状の七ヶ浜町に入った頃には暗くなっていた。これで残る宮城県は5町になった。安いビジネスを求めて長町に泊まり、近くの居酒屋で軽く飲む。久々の200km越え走行で疲れて酒も進まず早く寝ることになる。 |
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4日目 | 1993年5月5日 | |||||||
走行区間 | 仙台市長町ビジネスホテル〜船引駅前 | |||||||
輪行区間 | JR船引駅→JR石川駅→自宅 | |||||||
走行距離 | 143km | |||||||
走破市町村 | 4(角田,飯館,葛尾,都路) | |||||||
累計数 | 2,524 | |||||||
ホテルの近くの喫茶店でモーニングセットを食べて出発する。今日は阿武隈川に沿った地域と阿武隈山塊の中に取り残してきた山里を巡る走行である。 4号線で南下し、柴田から349号線で東北最後の市となった角田市を過ぎ、阿武隈川に沿って走る。安達編でカヤックを沈めてしまった場所を探しながら走るが、結局場所は解らなかった。しかし上陸してお茶を買った店は直ぐに解り、前を通ったときには懐かしくなった。 梁川で阿武隈川を離れ、霊山の麓を通り佐須峠を越えて飯館村に入る。399号線を南下して登館峠を越えて葛尾村に入り、掛札峠を越えて,都路村に入る。いくら足回りの良い最新の自転車でもこの連続する峠越えに根を上げてW辺との待ち合わせ場所である水郡線石川駅まで走行することを断念する。 常葉町を過ぎて磐越東線の船引駅まで出たら郡山乗り換えで水郡線の石川駅までローカル線の輪行を楽しんだ。思えば栗駒編でこの4駅先の神俣駅でK沢と待ち合わせたり、細切れに福島県を走り抜け、残り1町1村にまで減らすことが出来た。石川駅前で麦酒を飲んでW辺を待ち、助手席でのんびり休みながらの帰路に付くことが出来た。(次は東濃編) |
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