No.96 | 備後編 ←No95徳島編・No97島並編→ | |||||||
旅行期間 | 1998年12月31〜1998年1月4日 | 旅行日数:5日間 | ||||||
総走行距離 | 356km | |||||||
走破市町村 | 22 | |||||||
同行者 | 無し | 使用自転車:GT | ||||||
総費用 | 72,749円 | 当時の年齢:34歳 | ||||||
初日 | 1998年12月31日 | |||||||
輪行区間 | JR巌根駅→JR新倉敷駅 | |||||||
走行区間 | 自宅〜巌根駅:新倉敷駅〜笠岡市真鍋三虎YH | |||||||
走行距離 | 31km | |||||||
走破市町村 | 1(寄島) | |||||||
累計数 | 3,002 | |||||||
春には退団する消防団の役員として最後の歳末夜警を行い、30日の夜に慰労会を終えた寝不足とアルコールの残る中、朝7時25分木更津発の内房線快速で東京に出て新幹線で新倉敷に出て大晦日の瀬戸内の走行を開始した。 新倉敷駅から玉島港に出て瀬戸内海を見ながら進み寄島に入る。港にはモニュメントが置かれ予想外に楽しい思いをする。そのまま笠岡港まで走って真鍋島行きフェリーに乗る。真鍋島は笠岡市に属しているので走破のためには行かなくても良いのだが、三虎YHは面白よ、とどこかのYHで言われていたことが記憶に残り、年越し場所に選び2ヶ月前に予約をしてあるのだ。 船には如何にも旅行者という雰囲気の若者がおり声をかけてみると三虎YHに行くというので港から一緒に歩く。自転車を押して細い山道を越えると南側の海に面してYHがある。そのシチュエーションを見ただけで来て良かったと思う。 食事の後、みんなでビール飲みながら紅白を見て、島のお寺に歩いていき除夜の鐘を突き新年を迎え初詣を済ませ、YHに戻っても色々と話が続き寝たのは午前3時頃だった。 |
||||||||
2日目 | 1999年1月1日 | |||||||
走行区間 | 笠岡市真鍋三虎YH〜上下町広島MGYH | |||||||
走行距離 | 80km | |||||||
走破市町村 | 3(豊松,油木,神石三和) | |||||||
累計数 | 3,005 | |||||||
朝6時に目を覚まし瀬戸内の初日の出を待つ。昨日遅かった割に結構みんな起きてくる。瀬戸内では明け方に外に出ていてもそれほど寒くない。 佐柳島の肩に日が昇れば今年も良い年を、と言葉を交わし合う。正月スペシャルな朝食を食べ、みんながのんびりしている中を朝1番の高速船で笠岡に帰る。 笠岡から井原を抜け県道を油木に向けひたすら北上する。穏やかだった瀬戸内の日差しも県境を越える辺りから雲が濃くなり、風も冷たく時折小雪が舞うようになる。店は全て元旦で閉まっており自動販売機の缶しるこを飲みながら。正月から一人で何をしているんだろう、などと自問してしまう。 油木から上下町に抜ければ完全に雪になる。ここに降った雪は江川になって日本海に流れ出るのだから日本海側気候でもおかしくないのか、と納得しながら古い街並みを満喫。午後2時前に山陰編でも泊まった広島MGYHに到着。 自転車で来たと知ってペアレントさんは直ぐにお風呂を入れてくれる。心遣いに感謝して一風呂浴びれば睡魔に襲われ夕食までの昼寝を決め込む。 夕食も雑煮などの正月メニューであり良い雰囲気の中で元旦を終えた。 |
||||||||
3日目 | 1999年1月2日 | |||||||
走行区間 | 上下町広島MGYH〜坂町広島坂YH | |||||||
走行距離 | 125km | |||||||
走破市町村 | 8(御調,久井,大和,世羅,世羅西,双三三和,豊栄,福富) | |||||||
累計数 | 3,013 | |||||||
昨日の雪が上がり天気は曇り。寒いのは変わりない。朝食をゆっくり頂き9時半頃出発する。少し風邪気味のようだが今日は頑張って広島の未走破自治体潰しを行わなければならない。 三川から八田原ダム工事現場を過ぎて御調大原に入り解りにくい県道と市道を走り継いで世羅町前新原に出て西北西に進み三和町から375号線で南下する。昼も過ぎ寒さと空腹でいやになる自分を「山陽道西条ICまで行けばファミレスでもあるはずだ」と騙し続け、やっとの思いで西条ICに到着すると予想を裏切られる。「町中に入れば・・」との思いに答えてくれたラーメン屋を見つけて時の嬉しさは、この年最初のものでした。造り酒屋の街並みを見て2号線で海田町に出て、広島市街に行く元気もなくベイサイド坂YHへ午後4時に着いて早寝をしてしまった。 |
||||||||
4日目 | 1999年1月3日 | |||||||
走行区間 | 坂町広島坂YH〜福山市第一ホテル(輪行1回含む) | |||||||
輪行区間 | JR竹原駅→JR福山駅 | |||||||
走行距離 | 84km | |||||||
走破市町村 | 8(蒲刈,下蒲刈,豊浜,豊,関前,木江,大崎,東野) | |||||||
累計数 | 3,021 | |||||||
ぐっすり寝たので風邪も治ったようだ。おまけに天気も瀬戸内の明るい空が帰ってきた。九州編で切れている軌跡を繋ぐために仁方港まで走る。下蒲刈島見戸代行きの時刻を見るとあと70分もある。30分後に蒲刈島田戸港経由大崎下島行きの船があるので、それで蒲刈島に渡り、橋で下蒲刈島を往復する計画に変更。今日はずっとこの調子で、時刻表に記載されていない領域の旅である。 工事中の安芸灘大橋を潜れば田戸港に到着。蒲刈大橋を渡り下蒲刈に入って上蒲刈島に戻る。ここから豊島行きの船が出るのは3時間半後になってしまうため奇策を使用する。大浦港で船の手入れをしている漁師さんを発見し、目の前の豊島までの渡しをお願いする。2,000円で話がまとまり豊島の防波堤の切れ目に上陸(右中写真)。自転車を漁船に乗せたのは初めての経験である。 豊浜大橋を渡り大崎下島に入り、平羅橋、中ノ瀬戸大橋を越え、岡村大橋で県境を越えて愛媛県上関前村に入る。しまなみ街道開通前に広島県から愛媛県に走って入れたことに感動を覚える。岡村から大崎上島に行く計画であったが、岡村に行ってみるとその行路は大崎下島の小長港まで帰らなければいけないと云う情報を得る。仕方なく大崎下島に帰り明石港へのフェリーで大崎上島に渡る。,島を時計回りに進み、時間があるので途中で薬研寺温泉に浸かり、蜜柑を沢山食べて、白水から竹原に渡り、計画がガタガタだった島々の旅を終了する。 映画ロケ地の古い街並みを走って駅に着く。今日の宿は三原にするか尾道にするか迷ったが電話帳で目に付いた福山のホテルに泊まった。ホテルは綺麗だったがビジネス街にあり、街中で酒を楽しむ目的は達成できなかった。 |
||||||||
5日目 | 1999年1月4日 | |||||||
走行区間 | 福山市第一ホテル〜自宅(輪行1回含む) | |||||||
輪行区間 | JR松永駅→JR巌根駅 | |||||||
走行距離 | 36km | |||||||
走破市町村 | 2(沼隈,内海) | |||||||
累計数 | 3,023 | |||||||
今日も朝から良い天気だ。月曜日と言うこともあり正月休みが終わった人達が通勤ラッシュを生じさせている。私は福山から瀬戸内の暖かな日差しを浴びて鞆の浦に向かい古い街並みを味わう。 そこから沼隈に入り内海大橋で田島に渡る。高い橋の上からの瀬戸内の展望が良い。島でUターンして海岸沿いを北上し松永駅に昼前に到着して今回の備後編は終了にする。新幹線で夕方までに自宅に帰り年賀状の返事などを書き正月の対応を行った。(次は島並編) |