予算審査が始まる | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2025/03/12記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
木更津市議会では本日から予算審査が始まった。東日本大震災が発生した3月11日の翌日で、初日は昨年と同じ12日である。個人的には昨年は11日深夜に父が亡くなったので議会の初日は休ませてもらい葬儀や連絡など様々な手続きを行っていたことを遠い昔のように思い出す。 2011年3月11日は当時存在していた潮見の旧市役所で予算審査の3日目を迎え、教育費の審査が始まっており午後4時には終わりそうだから帰って選挙の準備をしようかなと思っていた頃に発災した14時46分を迎え、激しい余震が続く中で審査が中断したことを覚えている。 14年前の話は前にも書いたので今回は予算委員会に関する話を記載する。私は2007年に当選して同期の4人とともにフォーラム未来という会派に所属した。28人の議員のうち11人を要する大きな会派であったので予算委員会は先輩方が担当し続け、初めて予算委員会に選出されたのは下表に示すように当選から2年が経とうとする2009年3月のことであった。 |
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上表に示すように2期目に会派羅針盤として分離してからは予算審査に選出される頻度が高くなった。選出されない年でも副議長や議長という出席義務者(表中の「-」)を務めていたこともあり、議員歴18年目となる今年は委員長も含む「委員」としては10回目、義務出席も含めば13回目の予算審査である。因みにそれ以外の5回はコロナの時期も含め、全て全て傍聴しているから決算審査の移ろいはよく覚えている。というか変化の原因を造り続けてきたことも間違えない。 4回目と5回目は総務委員長の充て職として委員長に成ったが、そこでは今まで口頭で伝えていた注意事項を整理して1枚の文章として議員と執行部に通知した。特記すべきは数値を聞く質問は事前通告を義務化したこと、質疑は完全一問一答制に変えたこと、答弁の齟齬が生じないように確認の意味での反問権を認めたことであろう。それから9年が経過し、今では木更津市議会の一般常識に成ったことは誇らしく思っている。 2020年に議長に就任し、@予算費目ごとの審査ではなく組織ごとの審査とすること、A予算委員長が総務委員長の充て職ではなく委員の互選とすること、の2点の改革を進めた。 @は2021年3月から改変され、複数の予算科目の事業を進める職員は3日間の審査に毎日足を運んでいたものが、総務課・職員課・企画課・財政課の職員を除き長くても半日程度の拘束となることで年度末の多忙な時期の業務量を大きく削減したと思う。 Aは総務委員長たるものが予算・決算の審査をすることが当たり前だろうという異論が出され想定外に長引いた結果、私が議長を終えた2021年9月から運用が始まった。過去には2期生が総務委員長兼予算審査特別委員長を務めることもあって進行に余裕のなさを感じていたが、改変後はベテラン議員が務めることに成り進行もスムーズに成ったものと自画自賛している。なお、その互選制度での最初の委員長は決算審査の國吉委員長であった。 予算審査の互選選出委員長の初代は私が務めさせていただき、委員からの質疑が終わった後に委員長から何点も質問したので疲労した方々も多く居たことだろうと思う。 今回の委員会審査で必要とされる最低限の書類は下表の小計に示す918頁であり、補正予算も付託されていることや来年度の方針との整合などを考えると議会運営委員会に提出された資料や本会議初日で渡辺市長が表明した施政方針なども必要となる。 |
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上記のうち「財源充当・未充当一覧表」は鶴岡現議長が必要だと作成を求めた書類で既に10年近い歴史を持つ。資料が年々増えていき2017年12月議会でタブレットを導入するまで委員会審査の会場には厚さ5cmのキングファイルを2冊持ち込み、執行部に見えるように多くの付箋を張り付けていたことも懐かしい。今では予算書も製本したものを持たない方針なのでテーブルの上がすっきりしてメモも取りやすくなった。 今回から永原議員の提案で加わった「所属別歳出予算増減等一覧表」は特に秀逸な資料で前年度当初予算だけでなく補正での動きも一目で理解できるため審査の質が向上したものと感じている。しかし、その資料に理由まで記載してあるので、我が会派の吉田・吾津といった新人議員は却って質問する事項が解らなくなっていると嘆いている。私も2009年に新人議員として最初の予算審査に望んだ時には加減が解らず、つまらない質問も沢山していたことを思い出す。期数を重ねるまで仕方がないよと伝えているのであるが焦燥感が伝わってきて妙に懐かしい感覚である。 委員会審査が始まった日にこの様なことを書いているのは、昨夜までに全ての日程における質問(通称「弾」)の準備を終え、数値を聞く質問の通告も終えて余裕があるからである。2期生の頃までは余裕もなく翌日の質問を前夜に考えるという自転車操業だった。今ではその反省で審査が始まるまでに一通りのことを終えておくという姿勢である。まだまだやれることは有るのだが、審査で私ばかりが目立っても、という言い訳で弾をこれ以上増やさない様にしてHPを更新している次第である。 |