56.7月中旬の活動記録
 11日からはリフレッシュと体力増進の夏休みとさせて貰い、梅雨明けの天候の中で、渡島駒ヶ岳と恵山の登山函館から大間に渡り恐山を経てむつ市までの下北半島、及び竜飛岬周辺の津軽半島でサイクリングを行い、13日の夕方に新青森から『はやぶさ』に乗り、夜遅くに木更津に帰ってきた。
 
 14日は午後から農業委員会の日である。午前中に溜まっていた仕事を片づけ、12時前に市役所に行く。登庁されていた議長・副議長と一緒に食事を取り、午後1時から市長室で各団体選任委員の認証式に出席する。因みに公選の委員が20人で、団体選任委員は5人である。
 「農業委員会等に関する法律」の第1条では「農業生産力の発展及び農業経営の合理化を図り、農民の地位の向上に寄与するため」に市町村に置かれるものが農業委員会で、県には農業会議、国には農業会議所が置かれることになる。私と共に選出された三上議員より農民と議会の橋渡しを行う立場を大切にと言われているように、取り組むべき事がまた一つ増えたことに緊張と喜びを感じる。
 認証式の後、6階会議室に集合し、1時半より農業委員会臨時総会に臨んだ。議案は会長と会長職務代理者の選任等である。公選委員のうち6人が前期からの留任であり、職務を熟知しているという事で前期と同様に安藤一男氏を会長に、山口進氏を代理者に選任した。その後くじ引きで議席番号を決定(私は20番)、議会選出以外の23名は担当地区を決定して総会は終了した。引き続き、農業委員研修と全員協議会を開催して農業委員会は終了した。なお、農業委員会の委員報酬は議員報酬とは別に月額31,000円が支給される。そのうち、親睦会費等に11,000円を天引きされるので月額2万円である。議員報酬とは別に支給されていることを肝に銘じ、今まで以上の研鑽と活躍が必要になるだろう。
 夕方からは夏祭り等の調整で、岩根地区内を走り回った。
 
 15日は朝9時に岩根西公民館に行き、駅前広場の整備に伴う花壇形状を話し合う。小・中学校長、区長会、法人会木更津北支部、ジェスパル等の多くの団体が地域による花壇運営を前向きに検討する姿勢に、改めて岩根の地域力の高さを感心しながら私も技術的な提案をして方向を定めた。
 昼から市役所で打合せを行い、午後4時からは江川漁業協同組合で組合資格審査委員会に出席し、一旦帰宅して犬の散歩などを済ませて、午後7時からアカデミア音楽コンクール委員会に出席する。会議の多い金曜日であった。
 
 16日は朝4時半に起床して西山区の有志が本日から2泊3日で行く出羽三山講を見送りに行く。本年は例年通りの連休での日程であるが、都合の悪い方が多く、参加者が例年より少なかった。今年は震災を受け東北の日本海側に対する経済振興にもなるので支援のつもりで散財して下さいと送り出す。なお、県立中央博物館で『
出羽三山と山伏』という企画展を9月4日まで行っているようだから、来月にでも見に行こうと思う。
 その後、地域で所要を済ませ、昼から岩根4丁目の役員に挨拶した後、中里神明神社の祭礼に渡辺県議・斉藤市議と共に出席する。
 神社の氏子総代が高校1年の担任の先生だったので嬉しい反面、微妙に緊張もする中で挨拶させて頂いた。なお、祭礼に来賓として市議を呼ぶのは今年からという事である。中里は夕方から夜に掛けて獅子が町内を回ると友人に教えられ、隣の地区なのに祭礼の方法が違うことに妙に感心した。
 御輿や獅子が神社を出発した所で、岩根4丁目の夏祭り会場である公園に移動する。昨年法人会が植えた芝も一面に広がり、模擬店を町内単位で開かせる事や、外から嫁いできた女性たちの交流の場として嫁だけで運営するブースを設けるなど、地域交流の場として演出する手法に感心させられた。
 岩根4丁目から中里に戻り、神社の役員としばし麦酒を飲みながら色々と話し合う。2箇所の祭を梯子して入った麦酒も呼び水になり、この日は遅くまで暑気払いをしてしまった。
 
 17日は早朝から自宅の設備清掃等を行い、その後は事務処理等の仕事を片づけ、昼間には留守番のお礼として家族を連れて東京ドイツ村で昼食をご馳走し、夕方から友人を拾って東北に向かい伊達市に泊まる。
 
 18日は午前3時過ぎに目を覚まし、なでしこジャパンの決勝を見ながら出発の準備を行い、午前5時出発で相馬市を経由して東松島市に向かう。途中でラジオからW杯優勝の朗報がもたらされ、被災地の風景の中でも嬉しさが溢れる。なお、被災地での活動の詳細は『
最近思う事』に記載するのでそちらを参照していただきたい。この日は南三陸を経由して気仙沼市で宿泊する。
 
 
 19日は気仙沼市で一働きした後、陸前高田・大船渡を経由して奥州市の水沢まで行き、街中のホテルに宿泊する。
 
 20日は台風6号の影響が弱く、天気も持ちそうなので午前中に『藤原の郷』へ行く。最近は木更津でも映画やドラマのロケが増えているが、ここ江刺はフィルムコミッションの先進地である。世界遺産に指定された金色堂を含め、数多くの建築を復元した園内では、この日もロケのためのセットが組まれていた。
 バブルの頃には大鷲新田で日活映画村構想も有ったように記憶しているが、現在は全く話を聞かない。韓国や中国では歴史物映画のロケ地が次々と観光地になっている現状を考えると、東京に近い我が市で工業団地を遊ばせているくらいなら、一つの選択肢にする事は有りだな、と思いながら江刺を出発し、岩手・宮城内陸地震の跡地を見て夜遅くに帰宅した。
 
 
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2011年7月下旬の記録