博士山 1,482m 福島県柳津町
2011年05月24日登山:F島と2人

 
 東日本大震災の発生後、少なくとも被災地でボランティア活動をするまではと登山は長期自粛していた。しかし「いわき」「気仙沼」の活動を終えて心の重石が取れたのでいよいよ解禁とし、最初の行き先は、放射能の風評被害で観光客が激減している会津に決めた。対象の山はF島が前から気になっていたという博士山と小野岳に1泊2日で行くことにした。
 
 23日の仕事を終え太田市のF島家に立ち寄りピックアップし、この夜は湯西川の道の駅で就寝。
 翌朝目が覚めると雲が重い。天気予報は午後から晴れると言うことなのでゆっくりと出発し、田島のコンビニで昼食を購入し登山口に向かう。昨夜の雨と今年は雪が多いという情報により駐車場の整備された道渓泣コースでなく距離が長いが稜線通しの近洞寺コースをピストンする事にして良く整備された林道脇に車を停め8:58より歩き始める。
 木立の中の水場で水筒を満たし、急坂を詰めて行くうちに青空が広がり始める。コブシや石楠花も咲き、トチノキやブナの新緑も眩しく良い山だと思っている頃に分岐に付く。その先で一部登山道が雪に覆われている場所もあるが難しい場所もなく11:21に山頂に到着した。磐梯山や猪苗代湖も見えているが水蒸気が多く鮮明ではない。それでも見下ろす会津盆地が気持ちよい。
 おにぎりを食べ麦酒を一口のみ11:45に下山を開始する。曇りの往路と違い、快晴になった復路はともかく気持ちがよい。広葉樹林の木漏れ日は爽やかで、会津の初夏は快適だと思いながら13:24に下山を終えた。
 今夜の宿の湯野上温泉に入るまで時間があるので、今年の春に赤瓦で復元された鶴ヶ城や七日町通り、塔のへつり等を観光して回る。土産を購入した売店では修学旅行生が激減し、勤務も交代制に成っていると聞く。会津の観光産業復活までは時間が掛かりそうだ。民宿山形屋に着き山菜の天ぷらで日本酒を飲み前夜の疲れもあって早く寝てしまった。
小野岳 1,383m 福島県下郷町
2011年05月25日登山:F島と2人

 
 朝6時前に目が覚め、小野岳を見ながら露天風呂で朝湯に浸かり、7時からの朝食を取って出発。この日は夕方に木更津で会合があるため時間の短い大内宿からのピストン登山である。
 未舗装林道を登った駐車場を7:58に出発し、杉林の中の急坂を登り始める。昨日と違う単調な植生に飽きが出る頃、水量が豊富な小野の泉に到着する。これより上の植生がブナ林のためか水が美味い。稜線まで上ると晴れてはいるが昨日に増して透明度が下がり遠方が見通せない。登山道は東電の保線も兼ねているので整備状況がよいため快適に歩け、9:27に広い山頂に到着する。澄んでいると猪苗代湖の展望も良いのだろうなと思いながら山開き前の頂でのんびりする。
 10:45に下山を始めると2組の登山者とすれ違った。平日なのに他の方に合うと、東北の山にも登山者が帰ってきて居るのだと嬉しくなる。泉で水筒に水を満たし駐車場には10:52に到着。往復3時間の登山であった。せっかくなので大内宿の観光を行い、ネギで食べる高遠そばを三澤屋で食べてから帰路に着く。甲子道路を越え、北関東道を使ってF島家を経由しても午後5時前には帰宅することが出来た。
 スーツに着替え、午後6時から始まる会合では登山の疲れも見せず、日本酒を沢山飲んだので山道具を片づけるのは翌日になってしまった。
渡島駒ヶ岳 900m [1,132m] 北海道七飯町
2011年07月11日登山:単独

 
 駒ヶ岳の登山制限が緩和され、青森新幹線の開通とともに東日本パスという企画切符も売り出されたので自転車による下北・津軽の旅も含んだ計画を企画した。当初はニセコに住むK藤家まで遊びに行く事も考えたが、様々な所要が入り始め、日曜日の午後の飛行機で函館に入り、水曜日の新幹線で帰るツアーと成ってしまった。
 
 10日の飛行機は函館空港の視界不良で場合によると千歳に向かうとアナウンスがある中で離陸したが、午後5時半に到着した函館空港は快晴であった。直ぐに予約していたレンタカーに自転車と登山道具を積み込み五稜郭に復元したという函館奉行所を見学に行き、その後に湯ノ川温泉の宿に着いたのは午後7時過ぎであった。なお、宿は素泊まり3千円であるので、遅くても問題ないのである。なお、この日は函館の街中に出ることなく、近くの居酒屋で夕食を取り就寝した。
 
 11日は朝7時半に宿を出て赤井川口に向かう。まだ噴火の可能性があるため登山時間は9時から午後3時までに制限され、林道のゲートも8時半過ぎまで閉められていた。少し待つと係員がゲートを開き、6合目の駐車場について歩き始めたのは丁度9時であった。
 幅が広く迷うことも無い道を登り始めると後ろに大沼が見下ろせ開放的な気分には成るのだが、山頂は直ぐにガスに隠れて見えなくなる。歩行40分で標高900mの馬の背に到着し、そこから先は立入禁止エリアになる。山頂までの標高差231mを残すが、当面はここが許可された「頂」である。そこでせめて写真でもと、1時間半以上ひたすら展望を待つが雲が切れず、砂原岳の山頂が見えたことで満足させて下山する。
 この日はもう一つ登山を行う計画にしていたので鹿部に降りるが海霧の中で、意欲が下がる。ホタテ丼を昼食に食べ、温泉に入って、それでも海岸の温泉には行こうかと思い、29年ぶりに通る国道を南下するのであった。
恵山 618m 北海道函館市
2011年07月11日登山:単独

 
 車を恵山に向けて走らせていくと霧が晴れ始め、海の上に火山の荒々しい姿が浮かび上がり始める。一気にテンションも高くなるが、登山口には直行せず、秘湯として有名な水無浜温泉に行く。平日であるが海水浴客も5名ほど居り、一瞬躊躇するが、スパッと入浴してこの日の2湯目を味わう。満ち潮で段々温くなるし、遠くで泳いでいた若者が温泉に来たので湯を上がり、恵山をぐるっと回り込んだ登山口まで車を走らせる。
 登山口には午後3時過ぎに到着。空は抜けるように青く、津軽海峡には雲海を見下ろすことが出きる。標高差も少ないのでカメラと携帯とタオルだけを持って15:10より登山を始める。道標は多いが「山頂」という案内だけが解りにくい遊歩道を進み、3人とすれ違いながら15:53に山頂へ到着。既に誰も居ない静かな頂で周辺の展望を楽しんだら来た道を戻り、16:43に登山口に戻ると車は私の1台だけになっていた。レンタカーの返却時間が迫っていたが麓にある恵山温泉に立ち寄り汗を流して服を着替える。入浴料は400円だったが明礬の強い個性的なお湯に満足し、空港に帰り着いたのは午後6時になる少し前であった。
 登山靴や服を空港の売店で購入した北海道土産とともに宅急便で送り、身軽に成ったところで自転車で湯ノ川の宿に戻り、本町に飲みに出た(以降の旅は下北編)。
富士山(2回目) 3,776m 静岡県富士宮市
2011年08月09日登山:同僚やその家族等の9人


 9年前に友人を案内して4人で登った山に、今回は同僚やその家族等の9人でチャレンジした。当初計画ではもう一人富士経験者が居て10人の予定だったが、近所で不幸があって急遽欠席となり、私以外は全員初経験の62〜13歳までの8人の団体を引き連れる事になったのでお守り代わりに1人500円の登山保険に加入した。私の登山歴の中で始めての経験である。
 
 8日朝にリースした10人乗りの車に8:20に迎えに来て貰い、他のメンバーとは金田BTで集合して富士宮口の新5合目を目指す。月曜なので富士スカイラインの交通規制は行われて無いが、駐車場の遙か手前に停める事になるかと心配していた。しかし乗合のためか登山口近くに置くことが出来た。標高2400mなので空気も冷たく天候も曇りで炎天下の中で登山せずに済む事も喜ばしい。レストハウスで各々昼食を取り準備を済ませ12:30より登山を開始する。
 7合目まではコースタイムに遅れずに標高を稼ぐが、段々とペースが落ち始める者が目立ち始め、前になり後になり励ましながら登っていく。途中で通り雨と雷があったが大きく天候が崩れることなく、17:35に9合目の万年雪山荘に到着した。具のないカレーの夕食と、350の缶麦酒が800円する事に富士山を実感する。尤も麦酒を飲んだのは2人に過ぎず、皆が疲れているのが気になる。平日のためか、寝床は予想より余裕があった事が何よりである。朝には回復していることを願いながら床につく。
 
 9日は2:00に小屋の電気が点る。外に出てみれば既に多くの登山者が星空の下を登り始めている。富士山だなと思いながら身支度を始めるとメンバーの一人が高山病の症状を訴え、下山することとなった。残る8人は質素な朝食を取り2:45頃よりバラバラと登り始める。睡眠時間を満足に取れた者は居なかったが一晩の休憩を取ったためか夜明け前に山頂に全員が到着する。だが、富士宮口から少し東に回ったところで御来光を見ようと促すが、既にここで限界に達して居る者が続出し、お鉢巡りを実行した者は5人に減ってしまった。
 遙か下に雲海が広がり、海岸や麓の街は見えないが周辺の山々の頂が見え、あの山もこの山も富士山を見るために登ったなぁと思いながらお鉢巡りを楽しむ。富士吉田口の大混雑や影富士と南アルプスの展望などを楽しんでから剣が峰に着くと、既に写真撮影用の長い列が出来ていた。お鉢を巡らず山頂に直行していたメンバーから時間が掛かると言われたが、せっかくだからと並んで6人の写真に収まる。
 富士宮口の売店内で休息していた2人と合流して御殿場口を7:20に下り始める。復路を御殿場ルートにしたのは擦れ違い渋滞回避と砂走り体験及び宝永火口見学を考えてのバリエーションである。逆ルートにすると苦労しそうだと思う中、爽やかな天候を満喫しながら標高を下げていく。着ていた服は薄着になり、靴にはスパッツを被せて砂走りに突入する頃、雲も上がってきて展望が利かない。宝永山分岐を見落とすと御殿場まで下ってしまうので緊張しながらも砂走りの楽しさに誰より早く下り、周りが追いつくことを待つという繰り返しで宝永火口に下っていく。皆の疲労が目につき始めるが、考えてみると起床して行動開始から8時間以上も経過しているのだから当然である。その状況で6合目に向けた軽い登り返しは苦しそうであったが、もうそこだ、と励ましながら何とか11:15に全員無事下山を果たすことが出来た。
 
 先に小屋から下山したので体調も回復し車の後ろの草原で睡眠を取っていた同僚に、長らく待たせてしまった事を謝りながら帰路につく。駐車場から約2km下まで路肩駐車が続いている状況を見ると我々の運の良さに感謝するばかりである。
 帰り道は全員で大野路の温泉に入り、裾野で水餃子ラーメン等を食べ、運転しない私は生麦酒を飲み、車の助手席で眠りながらアクアラインを渡り、日が高い内に解散した。富士山の涼しさが直ぐに恋しくなったことは言うまでもない。
No65 .2011/5-2011/8    ←No64No66→
日本を走る