27.9月下旬の活動記録
21日は午前10時から
建設経済常任委員会協議会
が開催されるので傍聴に行く。議題は次の3項目である。
No
内容(件名とは異なる)
関係部
1
火葬場整備運営事業基本構想(案)の意見公募
環境
2
平成29年度市政に対する要望書
経済・都市等
3
木更津産米を食べよう条例の制定について
経済
火葬場については四市共同事業にすることの効果や考えられる施設規模、道路整備が約10億円で開業に間に合わない事などが示された意見公募を行うという事であり、気になる点は意見を出そうと思いながら聞いていた。要望書は商工会議所より出されたもので、市としての対応も資料で示され解りやすいものであった。米を食べよう条例は議員発議による理念条例であり意見公募を行ってから12月議会制定を目指すというものである。審査は正午を回って終了。午後からの会議に備えて君津中央病院に移動してレストランで食事を取る。
午後2時からは
広域行政等特別委員会
の君津中央病院視察が開催されるので委員外委員として傍聴する。議題は次の3項目である。
No
内容(件名とは異なる)
1
君津中央病院企業団第4次3か年経営計画の達成状況等
2
病院の外壁タイルの剥離状況
3
君津中央病院付属看護学校の概要
経営改革に向けて様々な取組が行われているが、医師や看護士を目標値まで採用することが出来ていないことが気になった。また、未収金の回収に法律事務所を使い、成功報酬(32.4%)で支払っている事は行政の私債権の未済金でも参考に出来ないかと考えさせられた。
会議の後に現地を見て回る。病院は築13年に過ぎないが西側壁面を中心にタイルが広範囲に浮き上がっている現状を確認する。建築物の瑕疵担保期間が過ぎているとは言え重大な瑕疵として裁判が可能か検討しているとのことで今後を注視したい。いずれにしろ落下による災害を防ぐことが最優先である。
看護学校は定数35人から60人に増やした効果が来年から出て病院の看護婦が充実されるようである。市立の小中学校に比べ格段に綺麗な学校やワンルームマンションのような学生寮を見ると、人材確保のためとは理解しても複雑な感覚である。
22日は秋分の日で、晴れていれば出島地区でレイラインイベントも行われるのだが朝から生憎の雨が降り続くので、自宅の事務所で机に向かいながらHPの更新や様々な雑務を片づけた。
23日は午前10時から
地方創生特別委員会協議会
が開催されるので傍聴に行く。議題は次の3項目である。
No
内容(件名とは異なる)
関係部
1
総合戦略に係る取組結果の検証等
企画等
2
オーガニックなまちづくり条例の意見公募
企画
3
路線バスに関する基本方針の見直し
企画
産官学金労言の各団体から成る「まち・ひと・しごと創生懇談会」において建てられた総合戦略の目標値の達成状況の報告や、総務常任委員会でも議論があったオーガニック条例と路線バスの「地域公共交通活性化協議会」についての説明が行われた。三上議員も意見の中で述べていたが、単に議員対して説明したということではなく議員の意見を受け取って必要なことは反映するという事でなければ会議の意味がない。
約2時間の傍聴後に昼食を食べながら
羅針盤会派会議
を行う。
昨年は9月17日に提出した
会派要望の本年度の対応、毎年年始に発行している会派報の進行管理、年始に行う会派行政視察等について方針と責任者を決め、富津市長選への対応等の相談を行った。会議の途中で議会事務局と本会議における委員長報告の原案の調整や総務常任委員会の視察の細部を詰めるなど、やるべき事が多く時間を過ごす。
午後2時過ぎに会議が終わり、石井議員とともにスズトヨ画廊で行われている友人の版画展を見に行く。如何に説明するような写実的な画風からな大胆に白黒二極化することの難しさを聞きながらパッションフルーツアイスを賞味する。その後は袖ケ浦で所用を済ませ帰宅した。
24日はアカデミアクリニックで人間ドックを受け、身長に対して体重が多いこと以外は取り立てて問題がないことを確認してから帰宅。午後は都内に所用で出かけた妻の替わりに子守をしながら次の議会に向けた資料請求の原案を検討する。妻の帰宅後に自宅事務所で会派要望の担当部分の書類を作成しているうちに深夜になってしまった。
25日は富津市長選挙告示日である。私が望ましい候補者と思っている高橋恭一元副市長から出陣式の案内が届いていたが地元の敬老会と重なり出席できないので会場の設営中にお邪魔する。旧知の富津市議会議員が多数働いている中で会場や選挙カーを見させてもらい、必勝を祈念して退席する。
自宅に帰って車から自転車に乗り換えて岩根小学校に移動し、岩根西地区敬老会に来賓として出席する。渡辺市長と滝口社会史福祉協議会会長が列席していただき、式典は始まった。当地区の対象者1031中203名の登録という事であるが、久々の好天なので参加者が例年より多く感じられた。
毎年、昼のイベントまで参加させていただいているが、この日は太田山で市民まちづくり塾と木更津あかり祭夜灯の合同イベントで
竹灯籠造り
が行われているので、先週欠席した分も応援するため自宅に戻り作業着に着替え、自転車から車に乗り換えて現場に向かう。到着後は昼食や片付けの手伝いを行った。
久しぶりに晴れて気温が上がったものだから服も汗まみれになり、イベント終了後は帰宅してシャワーを浴び、クールビズで敬老会のスタッフ慰労会に出席する。アルコールが入って色々と意見を交換して帰宅。その後は事務所で深夜までHPの更新作業を行った。
26日は議会最終日である。朝9時から
議会運営委員会
が開催されるので委員として出席し、この日に行われる予定の発議案3件を含む日程の調整と、議会申し合わせ事項の変更について審議する。
次いで10時から
本会議
が始まり、人事案件と陳情11号を除く委員会付託議案を委員長報告の後に審議する。ここで総務委員長と決算審査委員長としてまず2回登壇して報告した。次いで人事案件の議案号を付託無く審議し採決した後、國吉議員を退席して陳情11号の審議を行った。また総務委員長として審査結果である継続審査に至った理由を報告するため3回目の登壇をする。委員長に対する質疑や継続せずに採決すべきだという反対討論もあったが賛成多数で継続審査が可決され12月議会に先送りとなった後、基地対策要望と陳情10号と12号が可決されたことに伴う発議案を含め下表の3議案が上程される。
番号
内容(件名とは異なる)
所管委員会
発議08
基地対策関係施策に関する要望書
基地対策
発議09
指定難病以外の難病対策の充実を求める意見書
教育民生
発議10
東京湾漁業の環境整備等に関する意見書
建設経済
発議08で提案者を代表して4回目の登壇を行い、賛成多数で可決されたので早々に防衛省北関東防衛局に行くことになる。他の2件は全会一致で可決され市長の挨拶を持って9月議会の全日程を終えた。
本会議が終了して
議員全員協議会
が開催された。議題は下記の6件であり、全て何れかの委員会で説明があった案件である。委員会の意見が反映された資料に替わっている様に思えない点が散見された。
No
内容(件名とは異なる)
関係部
委員会説明日
1
オーガニックなまちづくり条例の意見公募
企画
9/6総務
2
総合戦略に係る取組結果の検証等
企画
9/23地方創生
3
火葬場整備運営事業基本構想(案)の意見公募
環境
9/21建設経済
4
空き家対策推進条例策定の意見公募
都市
9/8建設経済
5
小中学校適正規模適性配置の変更の意見公募
教育
9/7教育民生
6
学校給食費の改定
教育
9/7教育民生
協議会終了後、渡辺市長が9/27〜29で大韓民国塊山郡のALGOAサミットに出席し、10/5〜8でインドネシア共和国ボゴール市を表敬訪問する事に対して、三上議員から地方創生特別委員会の中で説明がなかったことに対して情報開示が不十分だと苦言が出されて終了した。
昼食後は10月8日のブルーベリーランに参加する議会チームの作戦会議を行う。私も午後2時頃から1周3kmを走ることになった。その後は基地の要望等の調整を行ってから退庁し、市内で所用を済ませる傍らで矢那川の彼岸花を見に行く。雑草の中でも咲き誇る姿に安堵してから帰宅した。
27日は前日に決まったリレー参加の下見で、朝7時から永原議員のガイドの元で渡辺議員とともに3kmの試走をする。想定の範囲であることが確認されたので帰宅し、次の議会に向けて打ち合わせ資料作成や翌日の諸準備などを行ってから市役所に行って打ち合わせる。
帰宅後は打合せで得たデータ入力を終えてからHPの更新作業に入り、ふと窓の外を見ると富士山が見えて綺麗な夕焼けである。仕事を一段落させて江川海岸に自転車で駆けつけたが既に明かりは失われていた。
28日は朝から妻子を乗せてアクアラインを渡り、プノンペンで高速道路の技術指導をしている学生時代の友人に会いに行くためのVISA申請に行く。上野で一緒に行く友人のパスポートを受け取り、赤坂のカンボジア大使館で2人分の申請を済ませる。直接大使館に行くのは初めての経験であったが、想定外に簡単で拍子抜けした。赤坂から妻の実家に向かい、先方の両親に孫の顔を見せると大変喜んでくれた。
29日は昼過ぎまで妻の実家でくつろぎ、自宅に戻る途中で大使館に立ち寄り発行されたVISAを受け取る。夜は友人の御母堂の葬儀に顔を出し、市内で所用を済ませて帰宅した。
30日は袖ケ浦市や市内で所用を済ませつつ昼食を早めに摂ってから駅前庁舎に着き、滝口議長・白坂副議長と供に基地対策要望書を携えて大宮新都心の北関東防衛局に向かう。要望書の内容と提出時の簡単な状況は
最近思う事
に示すとおりである。提出後に駅前庁舎に戻ると新しいポスターに気が付いた。『都会に一番近い自然があるまち きさらづ』のキャッチフレーズでどう人を呼ぶかは、これからのPRに懸かってくるだろうと感じながら眺めていた。
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2016年10月上旬の記録